第24話「君を、ずっと」

 エミラディオート一族の作る遺跡は、相変わらず分からないことが多い。

 そもそも重機の発達していない世界なのにこの規模の空間を掘れることも分からないし、電気が通ってるわけでもないのに暗いという感覚は一切ない。それなのに光源がないという違和感たっぷりな空間。

 エストスに訊いても「君らでいう企業秘密というやつだ」とその秘密を知ることは出来なかった。


「この先に、あるのか」


 今はまだ長い階段を下っている途中だった。

 階段を降りているのは俺とエストスだけ。

 といっても俺は万一のための護衛のようなものだ。これから先はエストスとその仲間たちだけの世界。俺が顔を突っ込んでいいのは最低限だけだ。

 ただ、やたら階段が長い。

 もう数分は下っているのに終わりが見えなかった。

 そんな俺の気持ちを察したのか、エストスは静かに言う。


「私の仲間たちがこれを作ったのは、おそらく私が封印される前、スワレアラ国への反乱を起こす前のはずだ。戦った後にそんな余裕はなかったはずだからね。私に気づかれないようにするためにとにかく地中深くへ掘ったのだろう。退屈だろうけど、我慢してくれ」


 そう言われてしまうと、文句は言えなかった。

 カツン、カツンと、階段を下る音だけが響く。


「……ここ、か」


 俺たちの足が、巨大な扉の前で止まった。

 ドアノブどころか手をかける穴すらないこの壁を扉と表現するべきか悩むところだが、行く手を阻んでいるこれは扉なのだろう。

 きっと、エストスだけが開ける扉なのだろうから。


「【神の真似事リアナイテーション】《組立ビルド》」


 エストスのその一言だけで、目の前の壁はバレーボールくらいの大きさの四面体に凝縮された。

 相変わらず物理法則とかよく分からない俺でも明らかにぶっ飛んでると分かるスキルだ。

 ドン、と鈍い音が地面に落ちた四面体から聞こえた。

 そして何もなくなった正面にあったのは俺が今まで数度見たような、巨大な空間だった。

 そこにあるのはガラクタにしか見えない物たちと、壁一面に描かれた文字たち。

 正面に大きく書いてある文字は、俺にも読める字でこう書いてあった。



 ――我等が誇り高き同胞、エストス=エミラディオートへ。



「……ぁ…………?」


 エストスの口から、わずかに声が漏れた。

 何を、思っているのだろうか。

 一歩、二歩と少しずつ進みながら、エストスは他にも壁に書かれた文字を目で追っていく。


『ここに来ちまったってことは俺たちは死んでお前は生き残ったってことだな。本当はここはお前にバレずに済ませたかったんだけどな。とにかく、生きててくれてありがとうよ、エストス!』


 そこにあったのは、同胞たちの言葉だった。


「……ゲオリオ」


 おそらく、これを書いた人の名前だろう。

 信じられないのか、放心したようにエストスは別の言葉へ視線を移す。


『あなたは正義感の強い子だから、私たちが死んでしまったら自分のせいだと思うかもしれないけれど、そんなことないわ。私たちは全員、自分の意思で戦うと決めたの。だから自分を責めないで、強く生きて』


「……アリエラ…………!」


 また別の言葉が、エストスを優しく撫でた。

 同じような文面が、寄せ書きのように壁に彫られていた。

 そして、その全てが優しく、暖かい。

 俺の思った、通りだった。


「ほらな、やっぱりじゃねぇか」

 

 俺はエストスの横に並ぶ。

 瞬きを一度もしていない彼女の目から、ボロボロと涙が溢れていた。


「誰もお前を憎んじゃいない。誰もお前に贖罪なんて望んでない」


 返事はなかった。

 ただ静かに、壁に彫られた字だけをエストスは見つめていた。


「…………少しだけ、一人にしてくれないか?」


 視線は壁のまま、エストスは呟いた。

 もちろんだ。大切な仲間たちとの大事な再会だ。俺たちが間に入るなんて余計なこと、するわけがない。


「わかった。先に階段を登って待ってる」


「ありがとう。すぐに戻る」


 それだけのやり取りをした後、俺は振り返って出口へと向かう。

 階段を登りきると、入り口で待っていたリリナたちが手を振って出迎えてくれた。


「お! おかえりーって感じ! ってあれ? エストスは?」


「まだ少し残ってるってさ。危険な感じはしなかったから心配はいらない」


「……そっか」


 普段ハキハキと話す少女三人だが、今回ばかりはほとんど話すことなくエストスの帰りを待っていた。








 絶対に許されてはいけない罪だと、そう思っていた。

 なのに、これは。


「ああ…………」


 エストスは大事そうに壁に彫られた字を撫でる。それぞれの文にそれぞれの個性がある。みんなが一人ひとり、自分の手で書いたのだろう。文の内容と筆跡から、誰がどれを書いたのかすぐに分かった。


「……ミアナ」


 今エストスが触れている文字は、昔に料理や裁縫など、家事全般を教えてもらっていた四つ年上の女性のものだ。

 彼女がそこにいるだけでその場が明るくなるような、太陽のような人だった。


『これがエストスに読まれないことが一番なんだけどさ。やっぱり残しておきたかったんだ』


 彼女らしい書き出しだと、そう思った。


『少し前はこんなことになっちゃうなんて思わなかったけど、だからってエストスが悪いなんて思ってる人は一人もいないよ。これだけはちゃんと伝えたくて。きっと、エストス以外がみんないなくなっちゃう未来だってあり得る。そうなったら、きっとエストスは責任を感じちゃうだろうから』


「まったく。予言者ではなかっただろう、君は。まあ、予感を察知するような勘は鋭かったけれどね」


『あなたが奴隷たちを助けたいってみんなに言ったとき、私は嬉しかったの。一番外界と関わりを持とうとしなかったあなたが、一族以外のために戦うって言ってくれて。強くなったねって、そう思った』


 次々と記憶が鮮明に蘇ってくる。

 あの時に戦おうと言わなければよかったと、何度も悔いたはずなのに。

 その悔いすら、大切な仲間はさせてくれないようだ。


『あの時のエストスの決断は、決して間違ってない。だから誇っていいの。エミラディオートという名を。エストス、あなた自身を。私たちがいなくなった世界でも、あなたにはエストス=エミラディオートとして、胸を張って生きてほしい。いつか私たちのところへ来たときに、たくさん話を聞かせてね。ありがとう、エストス。――ミアナ』


「ああ、わかった。いつか飽きるほど話そうじゃないか。どうやら、話題には困らない人生が待っているようだからね」


 幸せそうに笑みを浮かべると、エストスはその文字を頭に焼き付けるように見つめてからまた別の文字へ――


「…………、」


 随分と目を惹く文字があったのか、エストスの視線がある文の前でピタリと止まった。

 口に出すのも苦しいのか、体を震わせながらエストスは後悔を顔に滲ませて呟いた。


「…………アウロ……!」


 それはとある、青年の残した文字だった。

 彼はいわゆる幼馴染というもので、幼少期から腐れ縁のように共に過ごしていた。

 今でもほぼ毎日飲んでいる紅茶は、彼の作ってくれた茶葉だ。

 エミラディオート一族としては珍しく頭の悪い男で、皆が頭を使って立ち向かうところを力で解決してやろうとかいう一直線な男だった。

 ただ、そのおかげで今の自分があると言ってもいいくらい、彼は多くと立ち向かい、救ってきた。

 隣を歩くだけで楽しかった。

 何気ない会話でいつも笑わせてくれた。

 この感情は、きっと。


『よお! エストス! 元気か!?』


 知性の感じられない、彼らしい書き出しのせいで思わず笑いそうになる。


『これをお前に読まれてるってことは俺は死んじまってるってわけだ。悔しいね。せめてこの戦いが終わるまではお前を守れてるといいんだけどな』


「安心しろ。君は守ったぞ。私だけじゃない、皆を守ったんだ」


『まあ俺のことだからなんとかなってるだろ! 今まで何度もやばいところは切り抜けてきたからな! それよりもお前に伝えなきゃいけないことがあるから、俺はここにお前への言葉を残したかったんだ』


 書いてはいないが、自分に秘密でこの場所を作ったのもアウロだろう。

 こんなことをしようとするのも、したいと思うのも、彼からしか考えられない。

 おそらく一人だけで書き残すのは照れくさいとか、どうしようもない理由なのだろうけど、その可愛らしい恥じらいに今は感謝しておこう。

 そして、エストスは次の文に視線を移した。



『ありがとう、エストス』



「……ぇ…………?」


『お前と一緒にいれて幸せだった。お前とこれからもずっと一緒にいたかった。くだらないことで笑い合える日々がたまらなく好きだった』


 ドン、ドン、と鼓動が鳴っていた。

 自分でも理由は分からない。でも、脈が騒いで仕方ない。


『俺みたいな恥ずかしがり屋のひねくれ者はさ、馬鹿のくせにお前と面と向かって素直にこんな言葉一つも言えないんだ。だから、せめてこの場に遺しておきたくて』


 エストスの記憶が蘇る。

 自分を庇った血だらけのアウロは、エストスの腕の中でその命の灯を消した。

 その時に聞けなかった言葉が。

 今際の際でも発しなかった言葉が。

 エストスの、目の前に。



『君をずっと愛してる。今も昔も、死んで俺がこの世界から消えても、ずっと』




「ぁ……ッ‼︎」


 それは、あまりにも。

 どうしようもないほど、凄まじい一撃で。


「どうせなら、君の口から聞きたかったよ……! アウロ……!」


 壁に書かれた文字に触れながら、崩れるように膝をつく。

 正しいリズムで呼吸ができない。

 むせて咳き込むせいで余計に息ができなくなる。

 大きく、深呼吸をした。

 空気をありったけ吸い込んだのに。

 なのに、胸が苦しくて、苦しくて。

 吐き出さなくては、耐えきれない。

 吐き出さなくては、前に進めない。

 だから、


「私も愛してるよ、アウロ……‼︎ ずっとずっと、君のことが……‼︎」


 もう、こちらからは届けることは叶わないのに。

 文句の一つでも言わなければ割りに合わないのに。

 向こうから一方的に押し付けられたそれは、狂おしいほど愛おしくて。


「ありがとう、みんな……! ありがとう、アウロ……‼︎」


 懺悔など、する余裕すらなかった。

 有り余って仕方のない愛しか。

 伝えきれないほどの感謝しか、口にできない。


「ありがとう……ッ! ありがどゔ……ッ‼︎」


 何度も何度も感謝を口にして、そしてようやく上がった視線の先にあったのは、アウロの遺した、最後の言葉。


『お前だけが残ったとしても、きっとお前は一人にはならない。だから、幸せになってくれ。俺も、みんなも、全員がそう願っているから』


「うん……! ゔん……!」


 ぐちゃぐちゃに顔を歪ませて。

 情けなく嗚咽を漏らして。

 皆の言葉を心に閉じ込めるように胸を抱きしめて。

 大きく何度も首を縦に振りながら、エストスは絞り出すように言った。


「幸せになるよ……ッ!」


 大きな空間に、一人の女性の泣き声が響く。

 外にいる彼らに泣き声を聞かれたくないなど、考える余裕はどこにもなかった。







 俺がエストスを残して遺跡を出てから、二〇分ほど経った頃だろうか。

 エストスがゆっくりとした動きで階段から上がってきた。

 涙は流していなかったが、頬にある涙の跡と赤く腫れた目を見れば何があったかは聞くまでもなかった。


「もう、いいのか?」


「ああ。伝えたいことは全て、伝えてきた」


「……そっか」


 それ以上は何も言う必要はないと思った。

 他の三人も同じようで、何も言わずに次の行動を待っている。


「んじゃあ、帰りますか! 腹も減ったしな!」


「おー! シアンも腹ペコだー!」


 もう真っ暗になってしまった。

 風が木々を揺らす音が聞こえる。

 みんなに終わったという実感がようやく湧いてきたのか、肩の力を抜いてみんなが歩き出す。


「ありがとう、ハヤト」


 ふと、後ろからエストスが言った。

 俺は笑って答える。


「気にすんなって。仲間だろ?」


「……ああ」


 それだけ言って、俺はまた前へ歩き始める。

 横を歩くエストスの足取りが、心なしか軽やかに見えた。

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