第19話「決意」

 ――誰かを守れる、シアンになりたい。


 それはとても、強い言葉だった。

 今まで過ごしてきた親友の変化を象徴するような、そんな言葉だった。


「シーちゃん……」


「もう、大丈夫だぞ。シアンが、守るから」


 その背中を見るだけで、恐怖が消えた。

 立ち向かおうという、勇気が生まれた。

 エストスを守ろうという意地と使命だけで立っていた体から無駄な力が消えた。

 あの友達の隣にいたいと、心の底から思った。

 すぐ前に立つシアンの横に、リリナは立った。


「なら、あーしにも守らせてって感じ。あのめっちゃクールな馬鹿のこと」


「大丈夫だぞ! 二人ともシアンが守る!」


 ほんの少しズレたシアンの返事を聞いたリリナは、薄っすらと苦い笑みを浮かべた。


「い、いや。シーちゃん? ここは一緒に守ろうでいいって感じじゃん?」


「でもシアンが守るって決めたんだ!」


「あー、こんないい雰囲気でもシーちゃんはシーちゃんって感じなのね……」


 諦めたように、リリナは首を横に振った。

 ただ、後ろにいる血だらけのエストスを守るためには二人で戦わなくてはいけない。

 リリナは人差し指を立てて、


「じゃあさ、シーちゃん。シーちゃんはあーしを守る。んで、あーしはあの人を守る。ってことで、二人であの怒り心頭で怒髪天な激おこお母さんと戦うって感じ。おっけー?」


「おー? よく分からないけどよく分かったぞ!」


「うっし! 伝わらなかったけど有耶無耶に出来たから結果オーライって感じ!」


 何も達成していないはずなのにキメ顔でガッツポーズをすると、リリナは深く息を吸う。


「ねえ、あんた。……エストス、だっけ?」


「……ああ」


「ちょっとそこに座って休んでろって感じ。今からあーしとシーちゃんで守ってやっから」


 笑顔で言うリリナとは対照的に、エストスは心底不本意そうな表情をしたが、


「今までたくさん守ってきたって感じっしょ? たまには守られてみろって感じ」


 ボロボロになったかつての英雄へ、幼さの残る笑顔でサキュバスの少女はぶいっとピースサイン。

 手の付けられない娘を諦めるような顔で、木に体を預けていたエストスはずり落ちるように地面に腰を下ろし、魔弾砲を離した。


「……すまない」


「こういうときはありがとうって素直に言えばいいんだって感じ」


「……勝って戻ってきてくれ。礼はその時だ」


「死ねない理由がまた出来ちゃったって感じ。絶対言わせてやる」


 自然に上がっていた口角をなぞるように舌を唇に這わせて、リリナは言う。


「行くよ、シーちゃん」


「おう! ママにも間違いを直してもらうんだ!」


 そう、シアンが言った瞬間だった。


「終わったかしら」


 母親のような柔らかな言葉のはずなのに、突き刺すような殺意が、そこにはあった。

 ついさっきまで自分を震わせていたあの殺意。

 でも、怖くない。

 一人じゃない。

 立ち向かうための勇気は、もうもらった。

 生きなければならない理由は、もう見つけた。


「あーしは戦闘向きじゃないけど、互角の肉弾戦ができるシーちゃんがいれば……!」


 リリナは臨戦態勢を整えたシアンへ、


「シーちゃん。とにかく暴れて。あーしが全力でサポートすっから」


「おう! 任せろ!」


 シアンは地面を踏む足に力を入れると、ぐっと体勢を低くする。


「ママ! お話の時間だっ!」


「ええ、来なさい。蹴っ飛ばしてあげる」


 次の瞬間、シアンの左拳とマゼンタの右足が真っ向から衝突した。

 策略か駆け引きからは遠くかけ離れた、純粋な肉弾戦が始まった。

 拳を主体にひたすらに連打に連打を重ねるシアンと、拳を避けながら複雑な体勢から蹴りを繰り出し、多方面から攻めるマゼンタ。

 エストスとの闘いとの違いは、シアンが蹴りを受けても耐えて反撃へと繋がるところだろうか。

 エストスを翻弄したはずの緩急のついた蹴りも、その蹴りを受けても怯まないのなら目立った利点はなかった。最初の数度は緩急のついた蹴りでシアンを攻撃していたが、効果があまりないと気づいたマゼンタは高速の蹴りを連続させることに集中し始めた。

 同じ近距離戦だったはずであるが、毛色は全く違う攻防だった。

 しかし、そんな攻防にさらなる色を加える要因が一人。


「【幻惑ファントム】」


 サキュバスという魔族は、最前線で戦う種族ではない。

 むしろ、人目に触れない場所でひっそりと生き、誰かに認識されることなく生気や魔力を吸い取って人知れず去っていくような存在だ。

 では、なぜサキュバスたちは誰にも気づかれずに全てを終えることができるのだろうか。

 その答えが、これだ。


「くそッ‼」


 舌打ちをしたのはマゼンタだった。

 イラつきを露わにするが、態度とは反対に冷静に後ろへ下がった。

 その理由はマゼンタとリリナにしか分からない。

 突然マゼンタが下がったことに驚いているシアンへ、リリナは叫ぶ。


「シーちゃん! あーしのスキルでマゼンタにしか見えない幻を見せてる! 長くは続かないからさっさとやっちゃってって感じ!」


「おー! そーゆーことか! 分かったぞ!」


 シアンは地面を蹴ってマゼンタへと拳を振る。

 正面から近づいているはずなのに、それを認識できないマゼンタは別の場所を見たまま、シアンの拳を受ける。

 ゴッ! という鈍い音と共に、無防備だったマゼンタは吹き飛んだ。


「このクソガキどもがァ……‼」


 口から流れる血を手で拭いながら、マゼンタは二人を睨む。

 しかし、その視界に映っているシアンとリリナが幻であることも、マゼンタは理解していた。

 これが、リリナの、サキュバスの力だった。

 眠りに沈む人々を誘い、惑わし、弄ぶ。

 人を惑わすためには、本人に夢を見ていると錯覚させなければならない。

 そのために必要なものは存在するものは見えず、存在しないものを見せる力。

 それが【幻惑ファントム】。

 発動条件は対象の体液を取り込むこと。

 エストスとの闘いをこれで補助できなかったのは、マゼンタの体液を摂取する機会がなかったからだ。しかし、


「エストス。あんたが捨て身でマゼンタに血を流させたおかげで、あーしも戦えるって感じ!」


 リリナの力を知っていたはずのマゼンタも、リリナを警戒せず、エストスへの怒りに満ちていたためか、血をリリナの前で流したまま回復をした。

 それだけの時間があれば、体液の摂取など簡単だった。

 大体このスキルを使えるのは対象の体液を摂取してから五分程度なのだが、この戦いに関して問題はないだろう。


「本当に、腹が立つ」


 言葉とは全くかみ合わないようなとても落ち着いた声で、マゼンタは言った。

 そのまま静かに目を閉じると、ゆっくりと息を吐く。


「視界を奪ったくらいで負けるほど、私は弱くないわ」


「なら、やってみろって感じ」


「ええ。来なさい」


 目を閉じたままのマゼンタへ、シアンは殴りかかろうと拳を振った。

 しかし、マゼンタは紙一重で直撃を回避。視覚以外の感覚でその攻撃を感じ取っているからか、ほんの少し反応が遅れシアンの拳がマゼンタの頬をかすめ、赤い横線がそこに浮かび上がった。


「目を閉じても避けようと思えば避けれるのね。難易度は跳ね上がるけれど」


 マゼンタはゆっくりと目を開くが、その視界には目の前で追い打ちをかけようとするシアンの姿は見えていない。

 その、はずなのに。


「この詰めの甘さも若さ故……。なんだか悲しいわね」


 見えていないはずの攻撃を、今度は完璧にマゼンタは回避した。

 あまりにも簡単に幻覚を攻略されたにも関わらず、リリナの表情に絶望はない。


「ほらリリナ。私にその幻覚は効かないわ。もっとマシなことをしたらどうなのかしら」


「うっさい。一回モロにくらっておいて強がるなって感じ」


「言うじゃない。素直な子は嫌いじゃないわ」


 言いながらシアンの攻撃を避けるマゼンタは、自分の余裕を見せびらかすように声を上げる。


「ほらほら、姿がなくても地面に影が残っているのよ。それも消さないと私は愛娘からの愛の鉄拳を笑顔で避けてしまうわよ?」


「わざわざ教えてくるほど余裕があるのはさすがに腹立つって感じ……!」


 リリナの不満が口から洩れるが、マゼンタは言葉の通りに笑いながらシアンの連撃を避け、ついには蹴りの反撃まで始めた。

 このままでは強靭な体を持つシアンでも耐えきれなくなる。

 しかし、リリナには肉弾戦は出来ない。

 力になりきれないことを悔やんで唇を噛んだ瞬間、背後から声が聞こえた。


「少し、伝えたいことがある。こっちへ来てくれ」


 血だらけのエストス=エミラディオートが、リリナへ呼びかけた。

 傷だらけではあるが、自分の白衣を使って簡易的な包帯を作り応急処置を終えていた。

 ただ、重傷であることに変わりはないが。


「私の傷はいい」


 リリナの視線からその気持ちを感じとったエストスは、先に心配を制した。

 既にガントレットを外し女性らしい細く美しい手を露出させたエストスは、自分の元へ来たリリナの耳元で何かを呟いた。

 それを聞いて、リリナは不意に口角が上がった。


「結構難易度高いっしょ。それ」


「ああ。だから君の力が必要だ。助けてくれ」


 はたから聞けば何気ない会話だったかもしれない。

 しかし、あのエストス=エミラディオートが純粋に助けを求めるということの意味を、その言葉の重みを、ほんのわずかだが理解しているリリナは、嬉しそうに胸を張った。


「ふふん! このプリティサキュバスリリナちゃんに任せとけって感じ!」


 そう言って、リリナは走り出した。




 そんな会話が行われているすぐ横では、ただの打撃で地を揺らすほどの親子喧嘩が繰り広げられていた。


「私を裏切ってまで人間とお仲間ごっこだなんて聞いて呆れるッ! さっさと戻ってきなさい! シアン!」


「嫌だ! シアンは変わるんだ! 間違ってたシアンから、正しいシアンに!」


 拳と言葉に想いを乗せて娘は母へと訴えるが、文字通りにその想いをマゼンタは蹴り飛ばす。


「ふざけるな! 何が正しいのかしら! 私たちだって攻撃されてる! 仲間を失っているのよ! だったら私たちがやつらを攻撃することになんの問題があるの!」


 魔王軍の敵は勇者だけではない。スワレアラ国はもちろん、他の国からも共通の敵として扱われているゆえに、出会ったら最後、どちらかが倒れるまで戦い続けてきた。

 仲間だって、失った。

 それならやつらだって仲間を失うのが道理だろう。

 そう叫ぶマゼンタに対するシアンの返答は、こうだった。


「それじゃあ誰も、ポカポカにならないんだ!」


 自分の心が変わったと自覚した原因は、これだったから。


「助けてもらって、嬉しかった! マンプクになって、嬉しかった! みんなと笑って、楽しかった! ポカポカしたんだ!」


 知らなかった、世界があった。

 わけも分からず自分を襲ってくる敵を蹴散らし続ける日々。

 親も友達もいた。しかし、世界に嫌われている気がしてならなかった。

 そんな中に現れたたった一人の男が、全てを変えた。

 確かに自分を嫌う人もいる。

 でも、だけど、違った。

 救ってくれた。守ると、言ってくれた。

 たったそれだけで胸の奥の何かがポカポカして、ドキドキして。

 だから変わろうと思ってた。

 この世界の誰もがポカポカできるなら、きっと。

 奪うのではなく、守る自分になれたら、きっと。

 ほんのわずかでもいい。

 この世界の歯車を狂わす異物になって、苦しむ人がいなくなれば。

 だから。


「ママにもリリナにも分かってほしいんだ! 誰も苦しまない、ポカポカの世界を! シアンが変わって、シアンが変えるんだ! ハヤトがシアンを助けてくれたみたいに、今度はシアンが助けるんだ!」


 全てから自分を守り、自分の全てを変えてくれたあの人のために。

 救ってくれた命の宿るこの胸を、堂々と張れるように。

 しかし。


「そんな世界、存在するわけないのよ! 子どもの無謀な夢に現実を突きつけるのも、親の役目! 諦めなさい! 全てが苦しまないなんて夢物語はいらない! 魔王の目的が達せられれば、世界は変わる! それでいい!」


「違うぞ! そのためにシアンたち以外のみんなが苦しむのはダメなんだ!」


 拳に、脚に、強い想いがこもる。

 いつの間にか、二人とも回避を忘れていた。

 これこそが対話だと言わんばかりに、相手の想いを体で受け、返す。


「いい加減に諦めなさい……ッ!」


「嫌だ! シアンは諦めない!」


 思い出す。

 痛みに耐えて全てから守ってくれたあの背中を。

 諦められるわけ、なかった。

 そして、全く別ながらも負けられない理由を持つサキュバスの声が、聞こえた。


「シーちゃん、やっちまえって感じ。あーしも諦めないから」


 シアンとの戦いに夢中だったマゼンタは、ようやく違和感に気づいた。

 リリナのスキルで幻覚を見ているはずだったのに、本物のシアンは視界に映っていた。

 だが、まだリリナのスキルの効果は続いているはず。

 ならば、あのサキュバスはこの視界から何を消して、何を見させた?

 答えあわせは、次の瞬間に訪れた。


「そういう、こと……ッ!」


 宙に浮く感覚があった。

 ただし、自分が飛び上がったわけではない。逆だ。

 地面が、消えた。


「君の能力は、『地面に触れている部分が少ないほど自身を強化する力』だ。君は言ったね。『人差し指一つだけでもついていれば発動する』と。ならば」


 素手で地面に触れ、スキルでその地形を変えていたエストスが、不敵に笑った。


「もし『人差し指一つも地面に接することのできない』状況なら、君の力はどうなるんだろうね」


「この、クソどもが……ッ!」


 エストスのしたことは、スキルで地形を造り変え、マゼンタの周囲の地面をすべてクレーターを作るように排除しただけだ。

 本来ならば徐々に変わっていく地面の形に気づかないわけがない。

 ただ、その現象が視界に映っていればの話だが。


「あーしの力、舐めないでって感じ……!」


 見えているはずのものが見えず、見えていないものが見えてしまう。

 さらに、一番強烈なシアンという存在がその視界にいる状態で、地面だけが幻覚だと気づけるわけがない。

 そして、そうして気づかぬうちにスキルの発動条件を失ったマゼンタの目の前に映る銀髪で褐色の少女は、確かに実在する本物だ。


「シアンは変わるぞ! ママ!」


 純粋な強さだけなら、既に娘は母を超えていた。

 力強く叫ぶシアンを見て穏やかに笑うマゼンタは、一体何を思っていたのだろうか。


「強くなったのね、シアン」


 娘の強烈な拳は、か弱くなった母をくりぬいた地面のそのまた底へと叩きつけた。


「大丈夫だぞ、ママ。シアンは、魔王軍のみんなも、全部守ってみせるから」


 土煙が上がるなか、シアンは気を失って倒れるマゼンタをただ見つめていた。

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