第20話「味方であり続けるということ」

 なんとなく、なんとなくだけど。

 確信なんて全くなくて、虫の知らせというか、嫌な予感というか、なんというか。


「あれだけ格好つけて先に行けって言っておいて、完全においていかれた気がする……ッ‼︎」


「当たり前だろう。最初からクライマックスだったんだ。あのときにシアンを行かせた時点でそんなことはわかっていただろう? 本当に」


「てかなんでお前までついてきてんだよ! 今まで散々俺の邪魔をしてたくせに!」


 現在全力疾走中でシアンに追いつこうとしている俺の横を四足歩行で軽やかに走っているのは、確かシアンがドリアンと呼んでいた、喋る魔物だった。


「そもそも、俺はシアンとマゼンタが敵対すること自体反対だったんだ。だからお前には感謝しているんだ、本当に」


「だったら最初からシアンと一緒に行けばよかったじゃねぇか、ちくしょう!」


 シアンを先に行かせた後、ドリアンに続いてきた大量の魔物を、俺は片っ端からぶん殴って倒した。一度にまとめて倒せるといっても、あれだけの量だ。五分以上は拳を振り続けた気がした。

 そしてようやく魔物がドリアン一匹になったときに、筋骨隆々なゴリゴリの虎のような魔物はこう言ったのだ。


「ふむ。どうやらこれではエルフの里の襲撃は失敗か。これは撤退するしかないようだな、本当に」


 正直、好都合なはずだったのに何言ってんだこいつ状態で混乱していた。

 数回会話をしてからドリアンに本当に戦意がないことが分かり、こうしてなぜか一緒に走ってるわけなのだが。


「元々、誰かに仕えると決めた魔物は基本的には主人には逆らえないものなんだよ、本当に」


「だから不本意なのにあれだけの魔物を率いて来たってか⁉︎ もっと自分を持てって!」


「自分で言うのもあれだが、魔物の中で俺ほど自我がはっきりとしている存在は貴重なんだ、本当に」


「だったら主人に逆らうぐらいやってみろってんだバーカバーカ!」


「……俺は何があってもマゼンタを連れて帰るつもりなんだ。だから形だけでも裏切りではなく撤退にしなきゃ行けなかったんだ。分かってくれ、本当に」


 虎に似た魔物はまるで人のように悲しそうな目で言った。

 なんだか悪いことを言ったのではないかと申し訳なくなってきた俺はそっと話題をすり替える。


「それで、シアンも連れて帰るって決定は変わらないのか?」


 数秒、思考を巡らせるような間隔をあけて、ドリアンは口を開いた。


「最初は、そのつもりだった。だが、お前とシアンの姿を見ていて何が正解なのか分からなくてなった、というのが本心だ、本当に」


「……俺も、何が正解かなんて分かって動いてるわけじゃねぇよ」


 実際、あの勇者と戦っているときだって、何が本当に正解だったかなんて分からない。あの時はシアンを守ることで必死だっただけだから。

 でも、これだけは言える。


「ただ俺は、これだけは間違ってるって思ったことに全力で抗ってるだけだよ」


「…………そうか」


 涼しい顔で猛スピードを出して走りながら、ドリアンは俺を横目に見た。


「俺は主人であるマゼンタに何十年も仕え、シアンはマゼンタの腹の中にいた頃から知っている。出来ることなら、シアンには幸せになってほしい」


「……そうだな。俺も、あいつが笑ってる方が嬉しいよ」


「お前にシアンを守れるか? 本当に」


 それは例えるなら、父親へあなたの娘を下さいと挨拶に行くような感覚だった。


「お前の元にシアンが行くということは、魔王軍からも、魔王軍の敵からも、お前はどちらからも狙われる可能性があるということだ。純粋な力だけじゃない。そんな状況でも、何があってもシアンの味方でいられると、言えるのか?」


 シアンを連れていくことは、シアンを取り巻く環境全てを敵に回すことだってあるということ。

 分かってはいたが、改めて突きつけられると即答には難しい問いだった。

 でも、答えは決まってる。


「約束したんだ。何があっても守るって。決めたんだ。全部救ってやるって」


 これだけは絶対に揺れてはいけない。

 俺がこの世界にこのふざけた力をもらって生きる以上、正しく力は使わなくてはいけない。

 ただ誰かを悪と決めて一方的に正義を振りかざすことの怖さは、右の拳がよく知ってる。

 だから、魔王軍の味方になるわけでも、勇者として魔王軍と戦うわけでもない。

 俺がやるべきことは、そのときに助けるべき人を、善悪なんて関係なしに助けることだ。


「……そうか」


 あれだけの言葉だけでドリアンにどれだけの気持ちが伝わったかは分からない。

 でも、俺の目を見てドリアンが笑ったように見えたのは、確かだった。


「シアンを任せた。守れよ、本当に」


「ああ。もちろんだ」


 それから、シアンたちのもとへたどり着くまでは数分程度だった。

 最初はどこか分からなかったらどうしようかと思ったが、巨大なクレーターのような穴が空いていたので一目でそこだと分かった。

 クレーターの中心、一番底になっている場所に倒れる女性とスキルを使って大人の体型になったシアンがいた。

 そして、そこに近づくと少し離れたところでシアンを同じように見下ろす人影が、俺に気づいてこちらへと走ってきた。


「ハヤトじゃん! ちょっと助けに来るには少しだけ遅かったって感じ……ってかドリアンもいる⁉︎ どゆこと⁉︎」


 なぜか仲間のように隣にいるドリアンを見て案の定リリナは目を丸くした。

 だが、この状況を説明するには少し時間がかかる。


「説明するのは面倒だからまた後でな。とりあえず、シアンは無事か?」


 嬉しそうに頷いて、リリナはピンと親指を立てた。


「もち! あーしとシアンとエストスの力で完勝って感じ……あ! そうだ! ハヤト、確か回復魔法使えるって感じっしょ?」


「お、おう。とりあえずは使えるけど、どうした?」


「だったらエストスを治してやって! 超重傷!」


 リリナの視線を追うと、そこにいたのは腕の装備を外して木にもたれかかる血だらけのエストスだった。


「お、おい! 大丈夫か、エストス!」


 声をかけてから俺がここに事に気付いたエストスは、力なく笑いながら、


「……無事ではないね」


「待ってろ、今治してやるから」


 俺は右手をエストスの正面へと突き出し、【治癒ヒール】を唱えた。

 時間を巻き戻しているかのように治っていく自分の傷を見て、エストスは感心したのか満足そうに、


「さすが私の最高傑作だ。ここまでスムーズに回復魔法が使えるなんてね」


「それが無かったら今頃俺は数十回くらい死んでるからな、本当に素晴らしいよ。ほら、立てるか?」


 俺が【治癒ヒール】のために出した手をそのまま差し出すと、エストスは素直に俺の手を取って立ち上がった。


「ああ、ありがとう。助かった」


 あれ? エストスってこんなに素直にありがとうとか言うやつだったっけ?

 まあいいか。戦いとかで疲れてるんだろうし、さっさと帰ってみんなで飯でも食べようか。

 と、勝手に一件落着させようと思っていたが、俺がここに来た理由をようやく思い出した。


「そういえばリリナとシアンがヤバいからって来たんじゃん! 二人とも大丈夫⁉︎」


「ハヤト、シーちゃんの無事を確認して、エストスを治してからあーしの心配って、さすがに酷すぎって感じじゃない?」


「い、いやあ。すまんすまん」


「本当だったら一滴残らず吸血してやりたいけど、あんな不味い血、あーしには飲めないから別のやつに飲ませてやれって感じ」


「え、別のやつ……?」


 俺が問いかけると、リリナはニヤニヤしながら俺の後ろを指差した。

 純粋な恐怖を、感じた。


「ハヤト来てくれたのかがぶがぶぅ‼︎」


「有無を言えずにうぎゃああああああぁぁぁぁあああ!?!!!!???!?」


 背後から首筋を思い切り噛みつかれて全身がビクンッ、と起きてはいけないような反応をした。

 死ぬ、本当に死ぬ!


「てかお前、スキル使って体がデカくなってるから威力が段違いに――」


「シアンは疲れたぞがぶがぶっ!」


「おんぎゃあああああぁぉぁあ⁉︎ エストス! リリナ! ドリアンでもいい! 早く助けてくれ! 本気で死ぬ!」


 俺が急な貧血の症状に視界が歪む中助けを求めると、俺の言葉を聞いたシアンが口を離した。


「ドリアン? ドリアンもいるのか⁉︎」


「ああ、いるよ。だからそれ以上吸うのはやめてくれ、ここで死なれたらさっきまでの大事な会話が台無しになってしまうんだ、本当に」


 異常な量の筋肉を毛皮でまとめたような巨躯を持つ虎に似た魔物は、落ち着いた声で言った。


「おー! よく分からないけどハヤトが死んじゃうのは嫌だぞ!」


 そう言って俺を解放すると、シアンは少しずつスキルで成長させていた体を元の小さな体に戻し、ドリアンの元へ駆けていく。


「マゼンタを倒したのか」


「そーだ! ママが分からず屋だったから、シアンがぶん殴ってやった!」


「そうか。マゼンタは何か言っていたか?」


「強くなったって言われたぞ!」


「……そうか」


 それだけ言うと、ドリアンはシアンの横を抜けて気を失っているマゼンタの元へ歩く。

 静かにマゼンタを見下ろして、ドリアンは誰にも聞こえないような小さな声で呟いた。


「頑張ったな、マゼンタ。早く帰ろう」


 滑らかに自分の顔をマゼンタの体の下へと滑り込ませてその背中に意識のない彼女を背負うと、ドリアンは俺の方を見て、


「シアンを、頼んだぞ」


「……ああ」


 それだけ言うと、ドリアンは正面を向いて走り出そうとするが、それに気づいたシアンが声を上げた。


「ドリアン、行っちゃうのか⁉︎」


 ピタっと動きを止めると、振り返らずにドリアンは言う。


「ああ。俺は帰らなきゃいけないんだ、本当に」


「ドリアンもママもシアンたちと一緒に行こう! お家もおっきいから大丈夫だぞ!」


「ダメだ。行けないんだよ、本当に」


「どうして――」


「俺は、何があってもマゼンタの味方だ」


 シアンの言葉に被せるように、ドリアンは言った。たったそれだけで、シアンは返事ができずに口ごもる。


「シアンの敵になったつもりはない。その男がお前の味方のように、俺はマゼンタの味方なんだ、本当に」


 そう言うと、ドリアンはようやく振り返ってシアンを見つめる。獣であるはずなのに様々な感情を宿したような、綺麗な双眸を持つドリアンは、単調な声で言った。


「いつか全てが終わったときに、シアンが帰る場所は絶対に残しておかないといけないからな、本当に」


 シアンが返事をする時間を与える事なく、ドリアンはマゼンタをその背に乗せて走り出した。

 すぐにドリアンの姿は消え、沈黙が訪れるかと思いきや、くせのある赤毛を揺らしてリリナが声を上げた。


「ちょっ……⁉︎ これ、あーしはもうシーちゃんサイドって扱いって感じ……?」


「そりゃそうだろ。だって裏切り者の魔王軍幹部と一緒にまた別の幹部倒しちゃったんだから」


「あー、やっぱそーだよね……」


 なんだかんだで帰る場所を失って肩を落とすリリナを見て、怪我の治って顔に生気の戻ったエストスが口を開いた。


「安心するといい。今は空き部屋がとても残っているからね。この色仕掛けに弱そうな男を好きなだけ籠絡するといい」


「うっそ⁉︎ マジ? ねね、ハヤト。あーし、帰る場所なくなった感じだから住まわせて!」


「俺は別に構わないけど……」


「うっひょー! さっすがシーちゃんを連れていこうっていうだけの器がある男は違うって感じ! 魔王軍裏切ったのに安全な場所で寝泊まり出来るとかマジで嬉しいって感じ!」


 キャピキャピと歓喜の舞のような動きをしてリリナは喜びを表現していた。

 俺は別に構わないけれど、リリナを連れて帰ったらまた食費が無くなるとかってピンク色した口の悪いメイドに凄い怒られそうな気がするけど、まあ、いっか!


「それよりさ、エストスとリリナって普通に喋ってるけどいつ仲良くなったの?」


「んー。仲良くなったってよりは、互いに助け合った戦友って感じ?」


「なんかもっと深い絆で結ばれてそうなフレーズ出てきて何が起こってたのかすっごい気になる」


 俺が素直な感想を口にすると、リリナは思い出したようにエストスへ向かって、


「そういえば、エストスが来たときにあの石碑がどうたらって言ってた感じじゃん? あれはどうだったの?」


 リリナが指差したのは、今日の昼間、リリナが俺にシアンを逃がしてくれと頼んだ時に身を隠すのに使っていた謎の文字が掘ってある石碑だった。

 何を言いたいのか分からなかった俺がエストスを見ると、わずかに、ほんのわずかに都合の悪そうな顔で返事を躊躇いながらも口を開いた。


「それは、昨日ハヤトたちに見せた、エミラディオート一族にしか読めない文字が掘られた石碑だ」


 言われて、俺はエルミエルの遺跡にあった壁画に掘られた文字と石碑の文字が同じであることに気が付いた。

 近寄ってさらに見てみると、確かにこの文字が石碑にもあったと思う。


「本当だ。じゃあ、これにはなんて書いてあるんだ?」


 俺が素朴な疑問を投げかけると、エストスは石碑の文字をなぞりながら、


「確か、魔王軍がこのエルフの里を攻めていたのは、昔に多く交流をしていたエミラディオート一族の痕跡を探すため、だったよね」


「そうだケド、それがどうしたって感じ?」


「……君たちは、とても惜しいところまで進んでいたみたいだね」


 そう呟くと、エストスは静かに石碑に書いてある文を読み上げた。


「『我等エミラディオート一族の全て、ここに眠る。汝、我等の叡智と神の力を打ち砕け。さすれば道は開かれん』」


 次の瞬間、石碑の周辺の地面が震え始め、見覚えのある紫の煙が地表からあふれ出した。

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