第12話「大切な友達のために」

 日が暮れ始めた。

 まだ夜と呼ぶには少し早いが、動き出すには今しかないだろう。

 エストスが未だに宿に帰ってこないのは気になるが、頭も良いし、なにより強い。心配する必要はないだろう。

 今はまず、リリナとの約束を守らなければ。

 見回りから戻り夕食を済ませ、昼間からずっと不毛な争いを繰り広げるシアンとリヴィアに、俺はとりあえず話しかける。


「なぁ、ちょっといいか」


「ちょっと⁉︎ あなたのベッドはここじゃないでしょ⁉︎ 私のベッドなんだからどいてよ!」


「そんなことないぞ! ここはシアンが最初にゴロゴロしたベッドだ! ここはシアンのベッドだぞ!」


「な、なぁ……」


「最初にゴロゴロって、帰ってきてすぐの話でしょ⁉︎ 昨日だって私はこのベッドで寝てたのよ!」


「でもシアンはこのベッドでゴロゴロなんだ!」


「あ、あの〜」


「そんなの知らないわよ! 大体ね、あんた自分勝手過ぎるのよ! そんなわがままが通るわけないでしょ⁉︎」


「わがままじゃないぞ! シアンはこのベッドがシアンの場所だって言ってるだけだぞ!」


「いい加減にそのどうしようもなく無意味な喧嘩を止めて俺の話を聞いてよ! 何度も呼びかけてるじゃん!」


 あまりにも空気として扱われて折れそうな心を俺はなんとか支えて叫ぶ。

 いい歳をした男が半ベソで文句を言うものだから、これ以上の無視はさすがに出来ないと思ったのか、二人は俺を見る。


「なによ」


「いや、シアンとちょっと外へ出ようと思ってさ」


「おー? シアンとか?」


「ああ。ほら、夜だからって魔物が出ないとは限らないだろ? 昨日もエリヴィアが一人で見張ってたわけだし、少しでも力になろうと思ってな」


 そこそこ出来のいい言い訳に二人は納得したようで、俺とシアンは宿を出ることにした。

 これでまず第一段階。

 リヴィアには今も屋根に座っているエリヴィアと一緒に見張っているそうなので、今日の襲撃にはすぐ反応できるだろう。

 ちなみに、今日の襲撃に関してはエリヴィアだけにはこっそりと言っておいた。シアンにバレずにという話も分かってくれたので、本当にありがたい。

 本当は北方から来るだろう敵を待ち伏せしてほしかったところだが、向こうの情報を鵜呑みにするのは危険だということで、北方をさらに警戒する程度にするとのことだった。


 次は第二段階。

 シアンが出来る限り違和感を抱かないように置いていって、エルフの里の防衛に加勢する。

 一番の方法は、シアンが襲撃そのものを認知すらせずに全てを終わらせることだ。

 そうすればシアンへの言い訳そのものがなくなる。

 これなら、シアンもエルフの里も救えるはずだ。

 そのはず、だった。


「どうして、だよ……?」


 リリナの言う通り、俺たちは襲撃予定とは正反対のエルフの里の南方へと来ているはずだ。

 魔道書を開いて現在地を確認しても、完全に反対位置だ。リリナと話した謎の石碑があった場所とは完全に反対。

 エルフの里をまっすぐ突っ切っても、全力で走って俺でも一〇分はかかる。

 里を大きく回るならなおさら時間はかかるはずだ。

 なのに、なぜ。


「なんで、こんな量の魔物がいるんだよ……‼︎」


 一〇や二〇には到底思えない、おびただしい数の魔物が、ほんの一〇〇メートルほど先から迫っていた。


「ハヤト? あの魔物はなんだ?」


「あ、あれは……」


 敵だ、と素直に言うべきか迷ってしまった。

 元々シアンを戦わせる気すらなかったのだ。こんな形になってどう説明したらいいのか分からない。


「ああ、また会ったな。シアン」


 鈍く、かすれた、人が出しているとは思えない低い声が、迫る魔物の群れから聞こえた。

 声の主を探そうと目を凝らすが、人影は見えない。

 数秒後、魔物の大群が止まった。


「お前だけじゃなく、リリナまで。失うということはこんなにも虚しいのか」


 人影のない魔物の群れから、再び低い声が響く。

 ふと、一体の魔物が前へと出た。


「……ドリアン?」


 呟いたのは、シアンだった。

 言われて、俺は気づく。

 立てば三メートルにも及びそうな巨躯。鋼のような筋肉をまとった屈強な肉体。トラにも見えるようなそれは、四足歩行のそれは、顔の長さに負けないほどの牙を持つ口を開いた。


「気に入っていないんだその名前、本当は。まあ、有象無象の魔物と同列じゃないだけマシか」


「ドリアン、なのか……?」


 最も驚嘆に震えていたのは、シアンだった。

 それに気づいたドリアンと呼ばれた魔物は、目を細める。


「言ってなかったな。魔物にはほとんどいないが、話せるんだよ、本当は。お前たちの言葉も、ちゃんと分かる」


「なんで……? シアンは、知らないぞ……?」


「マゼンタに言うなと言われていたからな。今回の件で俺の口から言えと言われたから、こうして話してるんだ。嬉しいよ、本当は。ずっとこうして話したかったからな」


「…………、」


 シアンは、完全に言葉を失っていた。

 当たり前の常識が覆された衝撃は、計り知れないようだった。


「気持ちは分かる。お前が生まれてからずっと話すことなくともに過ごしてきたからな。驚くと思ってたよ」


 饒舌なドリアンは、思い出したように話を変える。


「そうだそうだ。こんな場合じゃないんだ。取り返しがつかなくなるからな」


「ぇ……?」


「シアン。今すぐ、マゼンタの元へ行け」


「ママの、ところ……?」


 不思議そうに首を傾げるシアンは、戸惑いながらも言葉を紡ぐ。


「ドリアンは、なんでここにいるんだ?」


「そりゃあ、エルフの里を潰さなきゃいけないからな」


「じゃあ、シアンはドリアンを止めなきゃいけないぞ?」


「ああ、そうなるだろうな。でも、それより先にやらなければならないことがあるだろう? 本当は」


 ドリアンの言葉の意味を理解できず、シアンは再び首を傾げた。


「俺は北方へ襲撃する予定だったんだよ、本当は。でも、急遽変更さ。……分かるだろ?」


「リリナ……?」


 無意識に、声が出ていた。


「リリナが、どうしたんだ?」


 俺が言った言葉に、シアンはいち早く反応した。

 ドリアンは俺を見ると、呆れたように牙を揺らした。


「……言ってないのか。お前は甘い男なんだな、本当に」


 ようやく、俺の頭が追いついた。

 エルミエルでシアンがリリナと再会したとき、シアンが乗っていた魔物はなんだった?

 石碑の場所でリリナが俺と話したとき、帰るために乗った魔物はなんだった?


「リリナのこと、知ってたのか……‼︎」


「目の前で話されちゃ聞きたくなくても聞こえちまうよ、本当に。それにあいにく俺は四足歩行でね。お前らみたいに手で耳を塞げないんだ。悪く思わないでくれ」


「ハヤト……? なんの話をしてるんだ……?」


 これ以上、秘密にするには無理がある。

 仕方がない、か。


「本当はリリナに、魔王軍は北側から襲撃するから、シアンを反対側に逃がしてくれって頼まれてたんだ」


「な、なんでだ⁉︎ シアンはみんなを止めに来たんだぞ!」


「その甘い男の気持ちも分かってやれ、シアン。お前とマゼンタを戦わせたくないから、それくらいはわかるだろう」


「そんな! シアンはママと話したいぞ! たくさん言わなきゃいけないことがあるんただ!」


「ああ、そうだろうな。俺は別に止めはしないよ」


 目に見えて興味がないような声色で、ドリアンは言った。


「俺の仕事は逃げようとするシアンをマゼンタの元へ向かわせることだ」


「そんなことさせるわけねぇだろ! 俺はリリナと約束したんだよ!」


「そのリリナが殺されるとしても、お前はここにいるつもりか?」

 

「ぇ……?」


 あまりにも冷たい言葉に、息が詰まった。

 退屈そうに、ドリアンは口を開く。


「マゼンタは裏切りを許さない女だ。身内でも、裏切り者への容赦はない」


 言われて、ようやく気づいた。

 リリナも、マゼンタを裏切ったということを。


「おい、待てよ。リリナは今どこにいる」


「裏切り行為がマゼンタに知られてるとも知らず、北方でマゼンタの隣にいるだろうな」


「なんだって……⁉︎」


「だから言ってるだろう。取り返しがつかなくなるから、俺は早くシアンをマゼンタの元へ行かせなきゃいけないんだ」


 余裕のあるドリアンとは対照的に、今にも走り出したくなるほど俺は焦っていた。

 そして、状況を理解したシアンは、呟くように、


「ママが、リリナを……?」


「そうだ。どうする、シアン」


 ドリアンは問いかけた。

 こんな明らかな罠、シアンも理解しているはずだ。

 でも、それでもこの罠に自ら足を踏み入れなければいけない。

 だったら今すぐこいつらを倒してリリナの元へ?

 いや、それでも一〇分以上かかる。今すぐ走り出しても間に合うかすら分からない。

 ならシアンにこいつらの相手を任せて俺がリリナを助けに? 

 それもダメだ。千以上の魔物がいる上に、あのドリアンとかいう魔物もいる。シアンがいくら強くても無事でいられるわけがない。

 どうする……?


「ハヤト。シアンは……、」


 小さな魔族の少女は、丸い瞳で俺を見つめていた。


「シアンは、ママと話したいぞ。リリナを助けたいぞ。この里のみんなも、死なせたくないぞ」


 願いを、思いを、シアンは並べる。

 叶えてやりたいなと、そう思った。

 どうするべきか、決まったような気がした。

 リリナには申し訳ない。

 でも、これしかない。


「シアン、行け。お前の母さんのところまで」


「いいのか、男。リリナと約束したんじゃないのか?」


「うるせえな。約束したからってリリナを見捨てていいわけねぇだろ。俺は救うぞ。シアンも、リリナも、この里も」


 口には出してみたが、物理的に一人じゃ無理だ。

 だから、


「助けてくれ、シアン。お前の力が必要だ。馬鹿なお前の母さんをぶん殴って、リリナのことを救ってくれ」


 俺の言葉を味わうようにゆっくりと飲み込んだシアンは満面の笑みで、


「おう! 任せろ、ハヤト!」


 シアンは俺たちに背を向け、遠くを見る。


「――【闇獣牙ヴェスティアキュリテ】‼︎」


 瞬く間にシアンはその姿を少女から大人へと変え、全力で地を蹴る。

 今まで見た中でも最も速い走りで、シアンは視界から消えた。

 やけに静かになった空間で、ドリアンは俺を見る。


「お前は、いいのか? 一人でこの数の魔物を相手にするんだぞ?」


「何言ってんだ。俺に任せて先に行けってのは、男なら一度は言ってみたい言葉だろ」


「……理解に苦しむな。せめて俺のことを恨まず死んでくれると助かる」


「心配すんな。誰も、死なせねぇから」


「そうか。それは楽しみだ」


 言って、ドリアンは大きく息を吸い込み、全力で吠えた。

 それを合図にして、無数の魔物が一斉に走り始めた。

 俺は右手に力を入れ、大きく振りかぶる。

 向かってくる魔物めがけて、俺は拳を勢いよく突き出した。


 ドンッ! という破裂音が聞こえた。


 俺の放ったパンチの圧だけで、魔物たちが吹き飛んでいく。

 そんな様子を見たドリアンは、トラのような顔で表情が変わらないはずなのに、どこか笑っているように見えた。


「なるほどな。これは面白そうだ」


「遊んでる暇はないからな。五分で終わらせるぞ」


「やってみろ」


 間髪入れずに、魔物たちが再び突撃してきた。

 戦いが、始まった。

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