行間「エルフの里より南方五〇㎞地点、魔王軍マゼンタ部隊拠点より」


 その部屋は人間が過ごすには少々薄暗かった。

 だからと言って、特に生活に支障があるわけではない。

 魔族には夜目が利く種族が多いからだ。基本的に夜に主だった行動することの多い種族に関しては、むしろこのぐらいがちょうどよかったりする。

 例えばサキュバス。

 人々の夢に現れて生気を奪うとされる魔族。実際はスキルによって感覚を酔わせることで夢を見ている感覚にしている間に対象から魔力を奪い、スキルによって眠らせてその場を去っているだけなのだが。

 夜に現れる魔族に関しては、もう一つ代表的な種族がある。


 例えば、ヴァンパイア。



 その暗い部屋の硬い木製の木箱に腰かけるサキュバスは、癖なのか滝のように美しく流れる赤毛の毛先を指でくるくるといじりながら、目の前にいるサキュバスである彼女に並ぶほど艶めかしい女性に声をかける。


「申し訳ないって感じなんですけど、シーちゃん連れて帰れませんでしたって感じです、マゼンタ様」


「……まあ、あの子が家出なんて滅多なことじゃないから、簡単には帰らないことはわかっていたわ。それで、あの子は元気だった?」


「元気どころか活気あふれすぎて本当に家出してんのか不思議に思うくらいだった感じですねー」


 呆れたような様子のリリナの報告を聞いて、マゼンタは暗闇の中でカツンッ! っと履いているハイヒールを床に突いた。


「……そう。シアンはどこにいたのかしら? 時間があれば私も会いに行きたいのだけど」


「えっとぉ。なんか理由は分からないって感じなんですケド、エルミエルの跡地で仲間と一緒にいたって感じですー」


「仲間……?」


「んーと、強そうな男と女が一人ずつ。あとはエルフの女の子が一人いたって感じ……ですー」


 少し躊躇い気味に言ったリリナの言葉を聞いて、マゼンタの眉がピクリと動いた。


「……エルフが、仲間?」


 とてもとても渋そうな顔をして、リリナは言う。


「あのー、めっちゃ言いにくいって感じなんですケドぉ……、シーちゃん、エルフの里を守るつもりみたいだって感じっていうか、マゼンタ様を止めるって言ってたって感じ……みたいな……?」


「私を……止める……?」


「なんか、シアンは間違ってたんだーとか、みんなに間違ってるって言いに来たんだーとか、だいぶ心境に変化があった感じっていうか……」


「洗脳の気配は?」


 残念そうにリリナは首を振った。


「全くって感じですねー。相手を惑わすのが専門のあーしから見ても、完全なシラフって感じ?」


「なら、本心からシアンはそう言ったのかしら?」


「シアンが嘘とか駆け引きとかと無縁なのは、マゼンタ様が一番知ってる感じじゃないですか?」


「……そうね。私が一番、シアンのことを知っているもの。大切に大切に育てたんだから」


 カンカンとハイヒールを地面に突きながら、マゼンタは表情を変えずに言った。


「……シアンは、私を止めにくるのよね?」


「まー、そーなるって感じですかねー。予定通りエルフの里へ攻め込めば会えるって感じじゃないですか?」


「エルフの里へは最速で何日?」


「特急で準備済ませて魔物たち総出で出るとしたら、二日後の夜にはって感じです」


 カンカンカン! とマゼンタのヒールが音を立てる。


「魔物の半分を今からエルフの里に送って、もう半分の準備と私たちの移動にだけに専念すれば?」


「……今から送る魔物の半分を捨ててもいいって感じの判断なら、明日の夜には」


「そう。ならそれで」


 マゼンタは静かに立ち上がり、ハイヒールの音を鳴らしながらマゼンタは部屋を歩く。

 それに合わせて、リリナと、その場にいた数人が同じように立ち上がる。


「そういえば、エルミエルはどうだったの?」


「あー、途中でシーちゃんの魔力を感じたんでそっちばっかになっちゃった感じでしたケド、そっちが本題って感じでしたっけー」


「それで、痕跡はあった?」


「いーや。やっぱり数百年まえに滅んだだけあって全くって感じですねー。あそこ探すならエルフの里襲ったほうが早いって感じかとー」


「なら、問題なしね。早く準備を始めてちょうだい」


「はいはーい。ただいまー」


 くねくねとした動きで、リリナは部屋を出た。

 その後ろ姿を見て、リリナの座っていた場所の横にいた男が小さく言った。


「いいんですかい? マゼンタ様。このままだと、シアンと戦うかもしれないんですぜ?」


「…………なにが?」


 マゼンタの冷たい言葉に、男は息を詰まらせた。


「……いや、マゼンタ様がいいなら俺は口を出すことはないですよ。それじゃ、俺も準備をしてきますかね」


 そういうと、男は自分の横に立てかけてある太く長い武器を担いで部屋から出ていった。

 そして、部屋に一人になったマゼンタは、ポケットにしまってある手鏡のようなものを取り出し、開いた。

 数秒経ってから、その手鏡にマゼンタではない別の女性の姿が映った。


「あれ、マゼンタ? どうしたのー? 何かあったー?」


「あなたの度重なるセクハラのせいで家出した私の娘が、敵になってエルフの里の襲撃を防ぐといっているみたいなのだけれど」


「ええーー!? シアンが敵になっちゃったの!? それはとっても困ったなぁ」


「誰の責任かちゃんと分かってるのかしら? 次ふざけたこと言ったら吸うわよ?」


「うひゃあ!? それは怖いよマゼンタ! てか私、シアンにセクハラした覚えなんてないんだけど!」


「……毎日毎日シアンの体を触りまくってたのはセクハラじゃないのかしら?」


 呆れたようにマゼンタが言うと、手鏡に映る女性は頬をぷくっと膨らませた。


「ちーがーうー! あれはセクハラじゃなーいー! シアンの体の大きさをちゃんと把握したかったから触ってたの! 下心なんてないんだから!」


「……そんなにも、シアンはあなたに必要なのかしら?」


「もちろん! というか、シアンがいないと私の計画が根っこから崩れちゃうんだよねー。だからできればちゃんと連れて帰ってきてほしいんだけどー」


「私だって出来る限りつれて帰るつもりよ」


「……殺しちゃだめだよ? 本当に大事なんだから、シアンは」


 少し低くなった手鏡の女性の声を聞いて、マゼンタは薄らと笑った。


「実の娘を殺すわけがないじゃない。安心するといいわ」


「そっか! なら引き続きお願いねー!」


 明るい女性の声は、そこで途絶えた。

 パタンと手鏡を閉じると、マゼンタは歩き出す。

 ハイヒールの鳴らす甲高い音は、やたら強く部屋の中へ響いていた。


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