第19話「エライン=スワレアラ」

 当然のように、声など出なかった。

 突きつけられた事実を咀嚼するには、それはあまりにも重すぎた。


「父…………上……?」


「どうした、クリファよ」


「何、を……? 何を、言っておるのですか……?」


「事実だ。お前は私の本当の子ではない」


 きっぱりと、譲歩も比喩も何もなしに、ただ一つの事実だけをランドロランは告げた。

 パクパクと口を開くことしか出来ないクリファを見て、ランドロランはわずかに口角を上げた。


「落ち着いたようだな。おい、連れていけ」


 茫然自失のクリファへ、残っていた兵士たちが歩きだす。


「や、やめんか! 止まれッ!」


 クリファがどれだけ叫んでも、誰一人として止まらない。王と王女はここまで違うのかと、唇を噛みしめる。

 そして、兵士たちの手が伸び、クリファに触れるまであと一メートルというところで、異変が起きる。


「……ま、て…………ッ‼︎」


 ガラガラ、と部屋の片隅の瓦礫がひとりでに動いたように、周りからは見えたかもしれない。

 しかし、その理由は簡単だ。その瓦礫にしたにいた少年が、力を振り絞って立ち上がろうとしていたから。


「僕を無視して、その子を連れていけると思うなよ……‼︎」


 彼にとって、クリファは今日出会った女の子に過ぎない。王女である事実など知ったことではないと幼いからこそ権力の強さを知らない彼はクリファを特別視などはしない。

 そのはずなのに、彼は立ち上がる。

 壁に打ち付けられ、瓦礫に沈み、防具は壊れ、服は破れ、青の衣装には赤い斑点模様が増えていた。

 それでもなお、彼は立ち上がる。

 その理由は、つらつらと並べる綺麗事などではなく、たった一言に要約される。


「僕を、誰だと思っている……ッ‼︎」


 そう、彼が誰なのか。それが理由だ。


「僕は、勇者だ」


 勇者の弟ではない。未熟な戦士でもない。

 勇者だ。そう、彼は言い切る。


「力が足りないのは、知ってるんだ。兄だけじゃない。サイトウハヤトとかいう男にも、お前にも、僕はまだ届いていないのかもしれない」


 理解していて、それでも彼は正面にいる国王を睨みつける。


「でも、僕は勇者でなければならないんだ。心だけでも、僕は勇者でなければ……ッ‼︎」


 諦めないことも勇者の条件だ。

 簡単に諦める男が何かを救えるわけなどないだろう。


「力が及ばないから、目の前で助けられる少女を助けないだと……? あり得ない。こんなかすり傷程度で、目の前の少女を助けるために立ち上がれずに僕は勇者だなんて名乗れない‼︎」


 血だらけの勇者は、エリオル=フォールアルドは、激痛に耐え忍びながら、剣を振り上げる。

 修行中の身であるエリオルの、たった一つの、それでいて勇者を勇者たらしめる最強の一撃。


「【会心の一撃クリティカルヒット】‼︎」


 光が、空間を切り裂き進み始める。

 斬撃の形となったエリオルの攻撃は、先ほどと同じく豪奢な家具や装飾品を瓦礫ごと巻き込んで突き進む。

 そして、それは狙いすまされたように、クリファの隣に立っているランドロランに向かって──


「……私が話しているんだ。横から邪魔をしないでもらえるか?」


 全てを吹き飛ばす光の斬撃を前にして、ランドロランが取った行動はとても単純だった。

 とん、と軽い音が、彼が光の斬撃に触れた瞬間にクリファの耳に届いた。

 続いて、ぎゅん! と斬撃が巻き戻されたようにエリオルの元へと帰ってくる。


「なんッ……⁉︎」


 残りの力を絞り出して放った一撃だ。その後に何か行動をしようだなんて考えていない。

 そもそも、体に力が入らない。

 避けれない、とエリオルは本能的に察した。

 猛スピードで進む斬撃が妙に遅く進んでいるように感じた。

 死が迫っていると、幼いながらにそう思った。


 そして、力なく立ち続けるエリオルを、エリオルは──



「待たせてすまないね。あの量の兵士たちを命を奪わずに無力化するのに随分とてこずってしまった」



 突如横から出現した高速で移動する白衣の女性に抱えられ、斬撃の軌道から外れた。

 視界に移らない場所から、岩の砕ける鈍い音が聞こえた。もしあれが正面から当たっていたと思うと今更になって冷や汗が出る。

 とにかく、自分が助かったということだけは分かった。


「お、お前は……」


「お姉ちゃん、と呼んでくれれば、私はきっと今よりも強くなれる気がするのだけどね」


 片手でエリオルを抱えたまま、空中に何発か魔道弾を撃って勢いを殺し、エストスは音も立てずに地面へ降りる。

 直後、入り口付近から足音が響く。


「エストスの魔道弾って小回りききすぎだろ! 俺はスピードはあるけどいちいち角で減速しなきゃ壁にぶつかりそう、ってか一回ぶつかったし! 怪我しないからって痛いもんは痛い……って、なんでこんな部屋がぐちゃぐちゃになってんだ⁉︎ ここが本当に国王の宿泊先──」


「ハヤト、少年の傷に響くだろう。少し静かにしたらどうだい?」


「うぎゃああ⁉︎ てめぇ、俺が当たっても怪我しないからって本気で狙って撃ってきやがったな⁉︎ マジであれ電車に轢かれた気分になるから俺のトラウマ的な何かが再び……って言ってるそばからもう一発撃つバカがいるのかよちくしょおおおお‼︎」


 突如エリオルを救った白衣の女と、服と背負うリュックはボロボロなのに外傷は一つもない常識などクソくらえな二人がランドロランの前に現れた。

 笑えてくるほどの威力を持った魔力の塊を味方であるはずの青年へ向かって連射する白衣の女を、周囲の兵士たちは呆然と眺める。


「……随分と、騒がしいな」


 ピタッと、白衣の女の腕が止まった。

 振り返り、クリファの腕を掴んで動きを拘束しているランドロランは苛立ちをあらわにしていた。

 そんな一国の王を目の前にして、白衣の女は静かに掛けていた眼鏡を取る。

 瞬間、彼女の双眸に映る黒目が変貌を遂げる。

 複数の歯車のような模様が、彼女の目に浮かび上がり、ピントを合わせるようにそれぞれが回転しながら大きさを変えていく。


「……なるほどね。魔道砲を持っている敵がいたからもしかしてと思ったが、ここにも私の残したものが使われていたとはね」


 国王は、静かに問う。


「貴様は、誰だ」


「エストス=エミラディオート。君たち、いや、君が掴んでいる少女の祖先を殺した人間だ」


 空気が変わる。

 それもそのはずだ。歴史としてしか聞いたことのない存在が目の前で息をしてそこに立っているのだから。

 しかし、それでも国王は表情を変えない。


「それが、どうした」


「私の作った変装具を使っているのだろう? 一目見ればすぐに分かる。ただ、その手と足に付けられた装備は私のものと少し違うようだから詳しくは分からないけどね」


「面白い冗談を言う女だな。そんな証拠がどこにある?」


「証拠、か。それなら、もうすぐここに到着すると思うけれど」


 ここで始めて、国王の表情が変わった。

 眉間にしわを寄せ、白衣の女が視線を移した方へと目をやる。

 その方向から、カツカツと足音が響いてくる。

 部屋へ足を踏み入れた人物を見て、最初に口を開いたのはクリファだった。


「…………ち、ち……うえ……?」


「…………クリファ……」


 娘の声に小さな声で返事をしたのは、ボロボロの布で出来たギリギリ衣服の定義に収まっているようなねずみ色の服を着て、それなのに顔や体格はクリファの腕を掴む男と全く同じである人物。

 そう、もう一人のランドロラン=エライン=スワレアラが、この空間に足を踏み入れたのだ。

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