第3話「金がなければ飯は食えないわけで」

 俺は一度噛まれた首筋と二度噛まれた左手の甲を右手で交互にさすりながら(ステータスはカンストしても痛みはあまり緩和されないらしい)、俺の血をカンストしたHPの約七割(さっき回復魔法を自分に使ったので今のHPは全快している)を吸ってツヤツヤのスベスベになった褐色の肌の少女を眺める。


「……?? どうした、ハヤト? また飲ませてくれるのか?」


「飲ませねぇよ! めっちゃ痛いんだからな、あれ!」


「まー、確かに痛いかもなー。今まで戦ってきた冒険者も、シアンが一回噛んだらみんな叫んでたし」


 ん? と、違和感を覚えた俺は会話を止めた。


「今、他の冒険者にもあのハイパー吸血をやったっていったか?」


「言ったぞ? シアンは魔王軍幹部だからな! シアンと戦うって言ってきた冒険者とは戦うぞ! あいつら、シアンを見たらすぐ攻撃してくるからな!」


 そうだ。そうだった。シアンが魔王軍幹部であることは既知だったが、その役職に就いているということは今まで何人もの冒険者と闘い、勝ち残っているのだ。


「じゃあ、さっき俺にいただきますって言ったのは、文字通り俺の体を丸ごと食べようとしてたってことか?」


「んー。ハヤトの場合は、ちょっと違うぞ。ハヤトはシアンを助けてくれた恩人だからな! それに、こんなにうまーな血も飲ませてもらった! 殺して食べようだなんて思ってないぞ!」


「そいつはほっとしたぜ……」


 正直、異世界に転生して数時間も経たない内にこんな少女に骨まで食われたとなっちゃ、来世はきっと虫とかに転生しちまうだろうと思うから、俺は深く息をついた。

 そうして安堵に心が満ちた瞬間、俺の腹がけたたましくゴロゴロと鳴り響いた。


「ハヤトも腹ペコなのか?」


「あぁ。そういえば朝飯食べてから何も食べてないや。飯も持ってないし、どうすっかな」


「それなら、シアンが近くの魔物を狩ってきてやるぞ! それを食べれば腹ペコもすぐに回復だ!」


「いや、多分加工食品に染まり続けた俺の体にそんなヤバそうな生肉詰め込んだら一日トイレに籠ることになりそうだから遠慮しとくわ。近くに町とかないかな?」


 俺が問いかけると、シアンは斜め上に視線を移して「んー」と悩んでから、


「シアンは外に出るときはいつもパパかママと一緒だったから、どこに何があるのかは覚えてないぞ?」


 じゃあなんで悩んだんだ、とツッコミたくなったのを堪え、俺は超親切な魔道書を開いてみる。 

 ペラペラとページをめくっていると、何か使えそうな項目を発見した。


 ──【地図マップ】 必要ポイント5 一度行った場所を記録し、地図にする。さらに、今いる場所から一番近い町を地図上に表示する。


 本当に親切な魔道書だことだ。家宝にして家に飾りたいぐらいだ。

 しかし、やはりこれだけ便利な能力だ。俺の人生一回分ものポイントが必要らしい。といっても、もうステータスもカンストして戻らないし、シアンを助けるために回復魔法の習得にもポイントを使ってしまったし、正直もう罪悪感とかも薄れてきたところだ。


 てか、そもそも俺の受験番号に反応したこの欠陥魔道書バグリモワールが悪いのだ。俺が負い目を感じる必要なんてない。

 と、いうわけで。


 ──残りポイント 17255


 習得した瞬間に、俺が開いていたページに辺り一帯の情報が記録され始めた。十秒も経たない内に地図は完成した。見た限りだと、モノクロの上空写真のように記録されるみたいだ。中心に黒い点と赤い点が打たれている。恐らくこれが俺とシアンだろう。

 すると、横で地図が完成する様子を見ていたシアンが感嘆の声を上げる。


「おー! すっごいなこれ! これ、ハヤトのか?」


「違う違う。説明しにくいんだが、とりあえず貰い物なんだ。多分、今の所有者は俺になってるだろうけど」


「そーなのか! よく分からないけど、なんとなく分かったぞ!」


「それはよく分かってないってことでいいんだよな?」


 少し抜けた所のあるシアンは一先ず置いておいて、俺は地図に記された最寄りの町までの道を歩き始める。


「ハヤト、これから町に行くのか?」


「そうだけど、どうかしたか?」


 俺が問いかけると、シアンは物哀しそうに、


「シアンは魔王軍だからな。町に行ったらみんなの敵だって言われてハヤトまで大変だ。だから、シアンはここまででいいぞ。助けてくれてありがとな」


「えっ……。おい、でも、行く当てなんかあるのか? 家出中なんだろ?」


「そうは言っても、シアンはパパ譲りの耳と尻尾があるから、すぐにシアンだってみんなわかると思うぞ。さっき勇者にやられた時も、シアンがヴァンパイアとヘルハウンドのハーフだって、知ってたみたいだったし」


 餌が貰えない犬のように耳を折り、血を吸った時はあんなにブンブンと振っていた尻尾もいつも間にか地面に先がついてしまっていた。


 魔王軍幹部とはいえ、俺から見たら、ただのけも耳合法ロリだ。普通に話せるし、会話だって出来る。むやみに襲ったりもしない。危険性なんて感じない。

 俺はふと、さっき見たシアンの笑顔を思い出した。


 もう一度、あの笑顔が見てみたいと思うのは、強欲だろうか。


 俺は、再び魔道書のページをめくり始めた。

 案の定、現状を打開できそうな項目が見つかった。


 ──【変装デギーズ】必要ポイント 15 体の一部や服装を任意で変更することが出来る。


「なぁ、シアン」


「どーした?」


「街に行ったら誰かを食ったりするか?」


「そんなことしないぞ! シアンは自分に攻撃してきた敵としか戦ったことないぞ!」


 だろうな、と思って俺は少し笑った。


 ──残りポイント 17240


「【変装デギーズ】」


 そう唱えて俺がシアンの耳と尻尾に触れると、瞬く間にそれは消えてなくなった。恐らく認識出来なくなったとか、そういう能力なのだろうが、もう俺にはただの人間の少女にしか見えなかった。


「これで街、行けるだろ?」


「おー! ハヤトは凄いんだな!」


「だから、俺は凄くねぇよ。この本が凄いんだっての」


 目をキラキラ輝かせて笑うシアンに本を突き出してポンポンと表紙を叩き、俺も少し笑いながら再び町へと向かって歩き始めた。




 時計が無いので正確には分からないが、歩き始めてから町が見えるまで数分、それから辿り着くまでは二十分程度の時間がかかった。

 俺がやってきた異世界は俺が漫画や小説で見た事のある中世風な世界観なんだろうと、街の城壁を見た瞬間にわかった。


 四階か五階建てくらいの建物と同じほどの高さで、いかにも守ってますという雰囲気の壁が街をぐるりと囲んでいるようだった。ちょうど視界に門が見えたので、俺はそこへ向かって歩いていく。


 少しばかり不安だったが、門番をしている兵士に、俺たちが冒険者だということと、泊まれる宿を探しているということを伝えると快く中へ入れてくれた。


 門をくぐるときに「ついさっき、近くで魔王軍幹部との戦いがあったらしいから街の外へ行く時は気をつけてくれ」と言われた時は俺もシアンも冷や汗をかいたが、どうやら魔道書の魔法は効いているらしく、シアンの素性がばれることはなかった。


 そして、俺たちはスタラトの町に足を踏み入れた。今までは一面草原だったからイマイチだったが、いざ街を歩いてみると異世界に来たという実感がどっと湧いてきた。

 そんな感慨に浸るのもいいが、今はとにかく飯だ。俺も腹が減っているが、まずはシアンを腹一杯にさせないと俺の身が危ない。


 別に今のステータスならば死ぬことはないが、あの痛みをもう一度経験するなんてごめんだ。

 強い決意を胸に抱いた俺は、ちょうど目の前に『食事処 夢郷』と書かれた看板(実際には漢字で書かれてはいないのだが、【言語ワード】を習得した俺にはそうにしか見えない)が目に入った。


「ちょうどいいや。あそこでいいか? シアン」


「おー! ご飯か! シアンは楽しみだぞ!」


 喜ぶシアンを見てから足を進めようとした時、俺はあることに気づいた。


「なぁ、シアン。お前、金持ってる?」


「シアンは持ってないぞ!」


 持っていないぞ、という返答があるということは、この世界にも貨幣が存在するってことか。でも、俺の身につけている服のポケットには日本で使っていた金しかない。これが異世界で使えるわけなんてないし、さて、どうしたものか。


 というわけで、俺はシアンと二人で冒険者ギルドという所へとやってきた。

 俺の異世界についての知識では、基本的にここで受けた依頼をこなせば報酬として金がもらえるはずだ。


「こんにちは。今日はどのような御用件で」


 輝くような営業スマイルで俺に微笑むお姉さんに、俺も少しでもいい男に見られようと渋めな低い声で答える。


「クエストを、受けに来たんですけど」


「はい。それでは、向こうの掲示板に張られた紙を確認してください。受けるクエストが決まりましたら、再びこちらへ連絡してください」


 俺は「あっ、はい」とコミュ障が垣間見える返事をして、掲示板の前へと足を運んだ。

 掲示板を見渡すと、明らかに周りに書いてある報酬額の桁が数個違う紙を見つけた。


 ──【アストラム遺跡の探索及びユニフォングの討伐】報酬金:一五〇〇〇〇ディール。


 俺はすぐさま受付のお姉さんの元へ行き、掲示板を指さす。


「えっと、あの【アストラム遺跡の探索及びユニフォングの討伐】ってやつ受けたいんですけど」


「えっ……?」


 お姉さんが急に目を丸くするものだから何か変なことをいってしまったかと思ったが、どうやらそうではないようだ。


「そちらのクエストの難易度はとても高いため、相当な実力がないと達成不可能なんです。見たところ幼い子を連れているようですし、止めておいたほうがいいかと……」


「あー。えっと、そこらへんの心配は大丈夫です。こいつ、見かけによらずめっちゃ強いですから」


「そうだぞ! シアンはまおーぐッ!」


 不吉な予感がして俺は慌ててシアンの口を塞いだ。もごもごと抵抗するシアンを押さえて、俺はシアンの言葉を掻き消すように声を出す。


「魔王討伐を目指して修行してるからめっちゃ強いんだよな! なっ!」


「もがもがもががが!!」


 お姉さんは苦笑いしていたが、シアンの失言には気付いていないようだった。ただ、さっきよりもずっと俺たちの実力への不信感が増したようだった。


「とにかく! 心配無用ですから! このクエスト受けさせてください!」


「で、では、手続きを済ませますので少しお待ちください」


 不審そうに俺たちを見ながら、お姉さんが奥へと歩いて行ったのを確認して、俺はシアンを押さえていた手を離した。


「ハヤト! 急になにするんだ! シアンは苦しかったぞ!」


「おまっ、お前がここで魔王軍幹部とか言ったら【変装デギーズ】を使った意味が無くなっちまうだろうが! とにかくな……」


 指をシアンへと向けて説教しようとしたとき、ギルドの壁に貼ってあった紙に目が止まった。


 ──【注意!】:ヘルハウンドとヴァンパイアの混血の魔王軍幹部に注意! 吸血されたら最後、命果てるまで吸われます! 灰色の獣耳と大きな尻尾を見たらすぐに逃げること!


「なぁ、あれはシアンのことか?」


「んー。多分シアンだぞ。シアンと同じ血の混じり方をした魔族は見たことないからな!」


「さっきお前の口を塞いだ俺、マジファインプレー……」


 転生してすぐに反逆者の汚名なんてまっぴらだ。とりあえずシアンの口が滑ることはもうないだろうから、ひとまず安心だな。

 俺がほっと安堵の息を漏らすと、手続きを完了したお姉さんが奥から戻って来た。


「それでは、今回のクエストについての詳細を説明させて頂きます。まず、このスタラトの町の東に位置するアストラム遺跡の探索が、このクエストの主な内容です」


「探索って、中を調べて歩きまわればいいってことですか?」


「簡単に言えばそうなります。アストラム遺跡は歴史的にも価値がある遺跡なのですが、住みついた魔物たちによって調査が出来なくなっています。なので、可能であれば遺跡内の魔物の掃討もお願いします」


「あ、はい。じゃあ、ユニフォングってのは、どうなるんですか?」


「ユニフォングはアストラム遺跡の最深部にいる魔物です。巨躯と頭に生えた一角が特徴で、この辺りでは一番強い魔物です。最深部は昔に封印された技術が眠っているらしいのですが、ユニフォングに勝てる冒険者がいないため、未だに調査ができていないのです」


「なるほど。それは大変ですな」


 まるで他人事のようにうんうんと頷く俺を見て、お姉さんは不思議そうな顔をした。


「このクエストの報酬に目が眩んで挑んだ冒険者たちは、皆大怪我をして帰ってきたり、最悪帰ってこない人もいます。危険だと判断したら、迷わず逃げて帰ってきてください」


 そう上目遣いで俺のことを心配してくれるお姉さん。ここは男としていいところを見せなければならない。

 俺は今までの人生の中で一番の決め顔で、渋く聞こえるような低い声を出した。


「心配いりませんよ。必ず、魔物を倒して帰ってきます」


「は、はぁ」


 ちょっと思っていた反応とは違うがこれはよしとしよう。


「ってことでシアン。ちょっと手伝ってくれよ」


「んー。ハヤトがいうなら、手伝うぞ! 恩返しだ!」


 そう言って笑って快諾してくれた魔王軍幹部と共に、俺はギルドを出た。



 町から出て、まず門番に東を訊くところから俺の冒険は始まった。空に太陽らしきものは輝いているが、あれが果たして東から西へ動くのかどうかの知識を持っていなかったからだ。教えてもらった話を聞く限り、俺とシアンはスタラトの町の西からやってきたらしい。


 辺り一帯が草原のため、遺跡へ辿り着くためには方角以外に頼れるものがない。

 幸い、一度方角がわかってしまえばあとは魔道書の地図と照らし合わせれば東を見失うことはなかったので、大体三十分程度だろうか。それくらいでアストラム遺跡と思われる、石で形作られた遺跡の前へと辿りついた。


 俺の目の前にあるのは、アーチ状に石で作られた入り口だった。入口は横も縦もかなり大きく、巨大な城の門にも見えた。

 ただ城と違うのは、この入口以外に遺跡を作る石が露出していないことだ。遺跡内部は石で舗装されているが、


「ここがアストラム遺跡でいいんだよな?」


「シアンは城の外にほとんど出なかったから分からないぞ!」


「まぁ期待はしてなかったから構わないよ。んじゃま、ちょっくら金稼ぎに行きますか」


 ステータスカンストというバグのおかげで全く魔物は恐くなかった。さらには隣にいるのはこの異世界でも最強クラスの魔王軍幹部。負ける要素なんてないだろう。


 俺は緊張や不安ではなく、むしろ興奮を覚えた。小さいころ憧れた勇者になった気分だった。

 魔物でも何でも来い。

 ステータスカンスト浪人生と合法ロリの魔王軍幹部が相手してやる。


 そして、俺はアストラム遺跡へと足を踏み入れた。

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