住宅デー


 ~ 六月二十五日(木) 住宅デー ~


 ※一諾千金いちだくせんきん

  裏切らねえってこと。あと、誰もが一攫千金と間違える。



「じゃあ、ほんとに雨漏りは見ないでいいんだな?」

「お父様が、修理の手配してくれた……」


 落ち着いた赤い色の傘を肩に沿わせてしゃがみこむ。

 紫陽花あじさいの中の美女。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 お隣の花屋の店先に揺れる。

 色とりどりの紫陽花に目を細めた彼女は。

 傘の向こうにすっぽり隠れたままで返事する。



 ――週末にかけて長雨の予報が出てたから。

 学校帰り、一度着替えてから舞浜家に顔を出してみたんだが。


 どうやら、この間の宣言通りに。

 親父さんに相談できていたようだ。


 それにしても。

 こいつと両親との関係性。

 なんだか、ピンとこないところがある。


 単に、親父さんもお袋さんも変わり者って話じゃ無くて。

 学校で、舞浜一家が揃った時に感じた印象。


 親子関係が希薄って言うか。

 舞浜だけ、遠慮がちって言うか。


 ……でも。


 公園で会ったおばさんが言った通り。

 お互いに距離を測りかねてるだけかもしれないし。


 そう言った意味では。

 今回の相談が。


 良い方へ転がるきっかけになったのかもしれない。


「……舞浜。もう行くぞ?」

「ん……」


 そんな生返事のあと。

 どれだけ待ってみても。


 傘の、骨と骨の間。

 赤い谷にできた黒い川が。

 滝となって、とめどなく地面に落ちる位置は一向に変わらない。



 ……紫陽花、欲しいのかな。

 でも、舞浜、金持って無さそうだよな。


 親に修理を頼めない。

 今日もおかかメシ。


 邪推とは分かってるんだが。

 感じずにはいられない。



 やっぱ、貧乏なのか?



「採取、完了……」

「ん?」


 ようやく立ち上がって。

 赤い殻から顔を出したつむり。


 アジサイに心を奪われて。

 ずっと眺めてるなんて可愛らし…………、ん?


「おい、お前」


 よく見れば。

 その右手に。

 シチュエーションからは、あまりにもかけ離れた四本の試験管。


「まさかとは思うが……」

「アジサイの色と、土壌のpHペーハーを調べてみたかった……、だけよ?」


 鉢植えの中の土だって売りもんだろうに。

 まったくこいつは。


 お店の人に見つかる前に。

 素早く退散。


 こんな呑気なお土地柄だって。

 最悪、買い取れとまで言われる可能性がある。


 後ろから、声をかけられやしねえか。

 ドキドキしてる俺をよそに。


 こいつは嬉しそうに。

 試験管にラベルを付けて。


 やたら高級そうなショルダーバッグへ放り込んだ。


 ……やっぱ、金持ち?

 どっちなんだよお前。


 赤い傘をくるくる回して。

 子供みてえに歩く、大人びた横顔。


 お前はギャップの通販サイトだ。


 理系教科は既に大学生レベルなくせに。

 文系教科は小学生並みだし。


「そうだ、テスト」


 こいつの小学生レベルの学力。

 何とかしてやらねえと。


「期末、もうすぐだし。ウチで勉強でもしてくか?」

「ケ、ケンカ中なの……、に?」


 あ。

 そうだった。


「……いや、ケンカ中だからこそ。とことんしごいてやる」

「それ、嬉しい……、かも」

「え?」



 ……舞浜。


 どえむ?



 でもまあ、それはそれで助かる。

 中間はいいけど期末はまずい。


「補習で済めば御の字レベル。ヘタすりゃ追試の可能性あるからな、お前」

「も、もし、追試で落ちると?」

「俺のことを、保坂先輩と呼ぶことになる」

「…………それは、どうだろう。構わない……、かも?」


 おいおい。

 じゃあ、これならどうだ。


「あと、パラガスの後輩になる」

「絶対に嫌っ!!!」

「うはははははははははははは!!!」


 でた。

 たまにひでえとこ表に出すよな、お前。


 意外と辛辣で。

 ばっさり切って来るところもある。


 そんな舞浜が。



 ……傘を放って。


 一目散に駆け出した。



 何事かと、傘を拾って舞浜の後を追えば。

 随分離れた所に。

 小さな男の子の姿。


 小学生になったかどうかってくらいの。

 長靴もブカブカな子が。


 しゃがみ込んで。

 べそかいてやがる。


 そして、舞浜が拾い上げたものを見て。

 何が起きたか理解できた。


 男の子に、涙を流させてるその元凶。

 転んだ拍子に買い物かごから転げて落ちて。

 包みが開いたハンバーガー。



 ああ、こりゃあ胸に迫るものがあるな。


 既に、散々悲しい思いしてるのに。

 帰ったら、親に叱られてもっとへこむ。


 ちょっとでも失敗すると。

 お袋にきつく叱られてた俺としちゃあ。


 同情を禁じ得ねえ。


「泣かないで、いい……、よ? おいで?」


 雨に濡れる二人に、傘を差してやっていると。

 舞浜が、地面についたバーガーの包みと長い髪を持ち上げて。

 男の子に声をかけた。


「買ってあげるから」




 …………すげえな。


 さすがにそんな事までしてやる気になれねえ。


 こいつといると。

 なんだか、価値観が清々しい方に倒れてく。




 お互いに泥まみれの手を繋いで。

 慣れた店の中に入った二人を見て。


 店員さんが、こぞってレジから飛び出して来て。

 雨に濡れた体を拭いてやろうと。

 スタッフルームへ連れて行った。


「やたら親切な店だな。……おい、おばさん」

「誰がおばさんだこの野郎! てめえが転ばせたんじゃねえだろうな?」

「そんなわけあるか。それより、あいつが買ったもんわかるか? いくらになる」


 多分、舞浜は金なんか持ってねえ。

 しょうがねえから俺が払ってやろうと財布出すと。


「バカか? あんな子に転んでも平気な状態にして売らなかったウチのミスだ。同じの作って、店の奴に持たせてやるさ」

「そこまでするのか? 価値観おかしいだろ、大赤字だ」

「ああ、お前、都会育ちだったっけか。あたしに言わせりゃ、都会の価値観の方がおかしい。さっきも言ったろ? こっちのミスで子供泣かせたんだ。当然だろ」


 ……やれやれ。

 今日は随分、感覚を矯正される日だな。


 納得できねえのに。

 清々しいからタチがわりい。


「しょうがねえから、今日のとこは納得してやる。タダで代わりのもん作ってやるとかなかなかできねえよ。お前、良い奴じゃねえか」


 この殺人未遂パワハラ女のこと褒めると。

 お約束みてえにちゃぶ台ひっくり返しやがるが。


 今日ばっかりは。

 このまま、清々しいまんまで終わるだろう。



 ……って、考えた俺を。

 ぶん殴りてえ。



「タダなわけねえだろ」

「……は?」

「お前のバイト代から天引きにしといてやるから。五百五十円」

「さすがに意味分かんねえよ。なに言ってんだ?」


 ニヤニヤ笑ってんじゃねえよ。

 さっきと言ってること違うじゃねえか。


「お前、店のミスって言ってたよな?」

「そうだけど、タダなんて言ってねえ。同じの作って、店の奴に持たせて……」

「なんで舞浜を指差す」

「料金は、天引き」

「なんで俺を指差す」


 まだ諦めてなかったのかよ。

 こんな店でバイトなんかしねえよ。


「わけわかんねえっての。なんで俺が働かなきゃなんねえことになってる」

「なんだ、もう忘れたのか? お前、工場見学について来たらバイトするって約束したじゃねえか?」

「言ってねえよ。なんだその下らないウソ」


 ウソつきまでくっ付ける気かよ。

 もう、お前の枕詞覚えきれねえよ。


「てめえの家にバーガー配達してやった時」

「言ってねえ」

「工場見学来るかって誘った後」

「言ってねえ」

「もしお前の方から工場見学に連れてけって頼むようなことがあればバイトでも何でもしてやるって」

「言っ…………」


 あれ?


「……………………た」

「だろ?」


 やば。

 ほんとだ、言ったよ俺。


「よし。五百五十円分、毎日倍になってくから今日から働いた方がいいぞ?」

「ふざけんな。試験あるから、まあ、そのうちな」


 こいつにとって、俺が一諾千金いちだくせんきんである必要はねえ。

 誤魔化しきるぞ、ぜってえ。


 そうしねえと。


 夏の間。

 店先に立たされっ放しになる。



「…………保坂君」

「ん? ……おお、ハンバーガー持ったか? それじゃ、こいつの家に……」

「バイト、楽しみ……、ね?」



 どうしてだろう。

 四方八方から。

 楚の歌が聞こえてくる気がする。


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