ドレミの日


 ~ 六月二十四日(水) ドレミの日 ~


 ※旧雨今雨きゅううこんう

  古い友達と新しい友達



 天は二物を与えず。


「…………保坂くん」

「文句があるなら聞こう。だが、同情ならいらねえ」


 楽器ならお手のもんなんだ。

 こう見えて、ギターだってピアノだって弾ける。


 何をしたら友達ができるか分からずに迷走してた中学時代。

 さんざん特訓したからな。


 ……でも。


 忘れもしねえ、中二の秋。

 クラスの連中の前で。

 ブルースハープ&フォークギターなんて物を披露したあの日。


 演奏開始から十数秒。

 好意の視線を向けられて、涙しそうになったその直後。



 …………俺は。


 みんなから指さされて笑われたんだ。



「ええとですね、保坂君の歌声なんですが。前回の授業でも言いましたけど、ほんの半音、ずーっとずれ続けてて気持ち悪いのですよ」

「もう一度聞こうか。それは同情じゃねえんだな?」

「学門という土俵上で、教師という立場からの指摘です」

「だったら気持ちわりいって、ひでえ言葉じゃねえの?」


 もっとオブラートに包んだもの言いってもんがあるだろ。

 オブラートってなんだか知らねえけど。



 ……音楽の授業。

 この人、声楽が専攻と公言するだけのことはあって。


 やたらと歌の練習したがるんだが。


 随分前に。

 音叉咥えて、音程には自信があるとかネタにしたことあったけど。


 ほんとは苦手。

 というか、トラウマ。


「じゃあ、次は五十嵐さん。前に出て来てください」


 そう言ったわけで。

 俺にとっては嫌いな授業ナンバーワン。


 唯一の救いは。

 席が自由なことくらい。


 もう、入学して三ヶ月も経ったんだ。

 仲のいい連中同士。

 だいたい決まった席に座る。


 そんな中。

 今まで、一緒に座らなかった二人が後ろの方に陣取ったせいで。


 右往左往した連中が何人か生まれた。


「…………どうなんだ?」

「なに……、が?」


 窓側の一番後ろ。

 俺の代名詞的な席の隣に座る。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 こいつのさらに向こう側。

 つまり、舞浜の隣と。

 そのまた隣り。


 甲斐ときけ子が。

 今までとは違う席に。

 並んで腰かけているんだが。


「…………だから。どうなんだ?」

「だから。なにが?」


 聞こえてくる会話にも。

 決定的なもんがねえ。


 お互いの歌。

 悪いところを指摘し合って。

 なによなんだよと文句を言いつつ。

 笑ってる。


「…………頼むから教えてくれ。どうなんだ?」

「お願いだから教えて? なにが?」


 友達付き合いについちゃ、初心者な俺の目から見ると。


 不自然に自分を飾らない。

 不自然に相手も飾らない。

 そんな、素敵な友達関係。


 ……でも。

 いや。

 ひょっとしたら……。


「なあ、舞浜。ひょっとしたら、あいつら仲直りしてるかも」


 そんな言葉に。

 お隣りの仮面女が。

 本気の笑顔を浮かべたんだが。


「あるいは……、付き合い始めてるかも」


 続きを聞くなり。

 目にきらきら星屑散らして。

 これでもかってほど見開いて。


「ああ、でも、ほら。俺は恋愛とか素人だから、まだ分からねえ」


 そう結ぶと。

 舞浜は、慎重な頷きを返してきた。


 ……だって。

 そんな勘違いから。


 いざこざが始まったんだから。



 ――しかし。

 恋人か。


 もしもこいつらが付き合ってたとしたら。

 もしもこれが恋人の形だったとしたら。


 恋人って。

 いいかも。


 客観的な自分を評価してくれるって。

 凄く貴重。


 例えその評価が一般的なものとかけ離れていても。

 一番好きな人が見て、そう思うなら。

 それを信じていればいいわけだし。


 つまりどういうことかと言うと。

 もし、俺が世界有数の美声を持つ歌手だったとしても。

 恋人が、俺を音痴だと思うのなら。

 俺は音痴に違いないわけで。


「誰が音痴だ」

「??????」


 ……なんとなく。

 文句をつけてみたこいつとは。


 お互いに、友達が欲しいから仲良くなった間柄。


 でも、分かっていることがあって。

 きっとお互いに、気心が知れた友達ができたその時から。


 旧雨今雨きゅううこんう

 双方と等しく付き合うはずも無く。


 きっと。

 疎遠になっていくんだろう。



 そう。

 分かっているんだ。



 ……分かっている。



 そんな心配がない程度には。

 お互い、不器用だから他に友達なんかできねえってことを、な。



 さて。

 俺たち、しばらくは友達の練習が続きそうだし。

 それだけで精いっぱい。


 恋愛なんて、そのまた遥か先。


 でも……。


 舞浜、すげえ美人だし。

 実際、紹介しろって知らねえ奴からもしょっちゅう頼まれるし。


 そのうち誰かと付き合うことになるのかも。



 …………俺は、どうなんだ?



 もちろん、相手は舞浜なんてことはねえ。


 こんな美人と付き合うなんて。

 何をどうしたらいいのやらさっぱり分からん。


 それくらい美人……、だよな?


「じゃあ次、舞浜さん」

「はい……」


 そして始まる妙なる調べ。

 クラス中の男子の目に。

 ハートマークが浮かぶ瞬間。


 変なことばっかする女だけど。

 笑いやしねえけど。


 こいつを彼女にしたいってやつ。

 山ほどいるんだろうな…………。



「…………な、なあに?」

「うおっ!?」



 気付いたら。

 舞浜は、席に戻って来てて。


 俺はこいつの顔。

 ずっと見てたわけだ。


 な、何とか誤魔化さねえと……。


「お、お前、相変わらず歌うめえな」

「ほ、保坂君は、指導されてたね……」


 かちーん!


 しょうがねえだろうよ!

 俺、音痴なんだから!


「ようし、そんな舞浜にプレゼントだ」


 俺は、楽譜を開いてコピー用紙をだして。

 舞浜に突き付ける。


「その完璧な音程が狂いますように」


 自分の音痴を指摘された時用に。

 譜面をコピーしといた物なんだが。



 そいつ見て。

 無様に笑うといい!



 半分に折ったコピー用紙を開いてみれば。

 そこに印刷されているのは。



 コピー中、上下に揺すり続けたぐにゃぐにゃ楽譜。

 


「最後、ぐにっーって下に伸び切ってるとこがポイント」


 十回も試行錯誤を繰り返して作った自信作。

 舞浜は、それを机に置いたまま。


「だから笑えってのお前は」


 わたわたと、ペンケース漁って。

 なにが入ってるのやら、巾着広げて。


「ほ、保坂君が、上手に歌えますよう……、に」


 右手と左手に。

 お返ししてきたそれは。



 シャープとフラット。


 もとい。



 シャーペンと。



 フラッペ。



「うはははははははははははは!!! これ、溶けてねえのどういう理屈だ!?」

「ほ、保冷剤……」

「うはははははははははははは!!!」



 もちろん俺は。

 大笑いした罰として。


 今日も余った時間たっぷり。

 独唱させられることになったんだが。



 さすがはシャープとフラット。



 笑うの堪えながら歌ったせいで。

 ブレ幅が全音になった。

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