DHAの日


 ~ 六月二十二日(月) DHAの日 ~


 ※偏袒扼腕へんたんやくわん

  超悔しがって怒り狂う



「なあ、博士。怖えから白衣脱いでくれねえか?」


 化学の授業って言っても。

 毎時間実験するわけじゃねえ。


 当然半分かそれ以上は。

 講義になるのが当たり前だ。


 だから、ほとんどの生徒が。

 白衣なんか、実験があるときにしか学校に持ってこねえ。


 これをいつでも好きな時に。

 ロッカー開けば取り出せる奴は。


 よっぽどずぼらな奴を除けば、きっと。


 お前ひとり。


「では、実験を開始します!」

「すんな、実験」


 席から立ち上がって、白衣をバサッと翻し。

 飴色の長髪を襟首から掻き出したのは。


 舞浜まいはま秋乃あきの博士。


 指の間に試験管を四本ずつ。

 挟んだ両手をクロスさせて。


 シャキーンじゃねえよ。

 ポーズ決めたってダメなもんはダメ。


 だって。

 これからすんのは。



 調理実習だから。



「舞浜ちゃん、アルコールランプはギリ分かる! でもメスシリンダーでお醤油量るのはやめてほしいのよん!」

「立哉~。一リットルのお湯沸かすのに、試験管に小分けし始めたこいつ止めてくれよ~」


 ケンカ中だし。

 ほんとは無視してえんだが。


 先生が泣きそうな顔してるし。

 どうにか止めねえといけねえ。


「…………おい、博士」

「なあに? 今、忙しい……」

「夏木が大ピンチだ。今すぐ、サバの味噌煮定食の栄養価について説明してやってくれ」

「あたしっ!?」

「た、大変……。じゃあ、水道水の蒸留、頼んじゃっていい?」

「任せとけ」


 パラガスが胸をなでおろす隣で。

 俺を恨みがましくにらんでるきけ子に。


 舞浜博士が。

 いつものマッドな解説を開始する。


「ま、まずは、お米から……。七十七パーセントのカーボハイドレートが主な成分で……、ね?」

「なにそれ怖い! 食べれなくなるよ、あたしご飯派なのにっ!」

「ノート、とって? ちゃんと覚えて……。次に多いのがジヒドロゲンモノオキシド……」

「ぎゃー! ぎゃー!!!」

 

 よし。

 この茶番の間にちゃっちゃと終わらせるぜ!


「俺がメシとサバ味噌作っちまうから、パラガスはみそ汁とサラダ頼む」

「みそ汁なんか作ったことね~よ~」

「インスタントと一緒だよ。具と味噌と出汁にお湯注げば出来上がりだ」

「ほんとか~?」


 具にもよるけど。

 豆腐と乾燥ワカメだから全然OK。


 味噌を熱くしすぎて風味が飛ぶより断然うまくできるし。

 お椀の方が味噌溶かしやすいからな。


 先生が、文句言いたげに俺の方見てるけど。

 博士が帰ってくるまでに仕上げなきゃならねえ。


 ってわけで。

 さらに時短させてもらうぜ!


「ちょ……! 保坂君、駄目です! サバを湯通ししないでフライパンに入れたら臭みが!」

「平気平気。パラガス、ごま油取ってくれ」

「はいよ~」

「え? まさか……」


 皮目をがっつりごま油で焼けば。

 臭みが消えるどころか香ばしさもプラス。


 お湯と氷水使うより。

 こっちの方が断然好きだし。


 なにより手間がねえ。


「勝手なことしちゃ駄目って言いたいところですけど、確かに焼き霜でも臭みは取れますね……。でも、そんなことどうして知ってるの?」

「今どきwebで調べられねえことなんかねえだろ。それより焼き霜って名前なんだ、初めて知った」

「知らないでやってたの!?」


 まあな。


 フライパンから臭みの原因になる脂を丁寧にぬぐい取って。

 調味料ぶっこんで超とろ火で放置。


 さて、めしめし……。


「凄い手際良いですけど。お料理、ひょっとして毎日やってます?」

「ああ、小学生の頃からな」

「それは凄いですね……。焼き霜も、その時に?」


 そうだな。

 でも、こんな凝った事すんのは。

 いくつかの料理だけなんだが。


 ……米研ぎは最初の一発目が命。

 手早く研いで速攻ですすいで。

 後はゆっくり拝み洗いっと。


「東京にいる時さ、テレビでサバ味噌見た凜々花が食いてえって言ったから作ってやったのに、まずいって残しやがったから研究に研究重ねて作りまくったんだ」

「妹さん?」

「そうそう。そんで意地になってさ。あいつが美味いって言ってくれるまで、試行錯誤を繰り返した調理法だ。授業の点が下がろうが、俺はこの作り方を変える気はねえぜ?」


 よし、米研ぎも完了。

 サバの臭み取り用に配られた氷ぶっこんで、炊飯ジャーに入れてスイッチオン。


 さて、一息ついた。

 パラガスの方はどうなってる?


 今まで料理に集中して。

 手元ばっか見てた顔を上げてみれば……。


「なんで泣いてんだあんた!?」

「だって……、良いお話……、ぐすっ」


 先生が泣いてる事に気付いて。

 調理室が騒めきだしたんだけど。


 別に、俺は悪くねえだろ?

 なんで氷の欠片投げつけられなきゃならねえんだ。


「こら! あんたのせいでひでえ目に遭ってんだ! 泣き止め!」

「はい、そうですね。それにしても素敵なお話です。保坂君の、妹さんに対する愛情のおかげで、このお料理が完成したのですね?」

「恥ずかしいっての。そういうのもやめねえか」

「いいえ、やめません! 皆さん、聞いて下さい!」

「ほんとやめろこらっ!!!」


 余計な話しちまった。

 でも、偏袒扼腕へんたんやくわんしたところで。

 こいつはお構いなし。


 今の話をクラスの皆に話して聞かせると。

 なんだか微妙な空気になっちまった。


「あら? なんで皆さん、そんな顔してるの?」

「小学校ならともかく、高校生にもなってそんな話聞かされてもリアクションに困って当然だっての!」

「ええ!? だって、良い話……」


 しょげる先生への温情か。


「わ、わあ。保坂、すごいー」

「ほ、ほんとよね。おにいさんの鑑ー」


 みんな、棒読みセリフで俺を褒め始めたんだけど。



 今すぐ消えてえ。



 しまいにゃ、頭抱える俺のそばに。

 一番離れたテーブルから。


 甲斐が、のこのこ近づいて来て。

 肩をぽんぽん叩き始めたんだが。


「イラつくわ。やめろっての」

「そう言うなよ。俺は感動したぜ?」

「どの口が言う」


 だったら三日月になった目ぇ今すぐやめろ。

 へらへら笑ってんじゃねえ。


「いやいや! 確かに、お前がひでえ目に遭っておもしれえけどさ!」

「このやろう」

「でも、そんなお前の苦労もあって、今じゃ妹さんに美味しいって言ってもらえるんだろ? すげえじゃねえか」

「バカ言うな」

「え?」


 なに言ってんだお前。


「一度も美味いなんて言ったことねえ。そもそも美味くねえって言ってるもん毎日無理やり食わされたんだ。大っ嫌いになって当然だろ?」


「「「わははははははははははは!!!」」」


 調理室中から爆笑取っても嬉しかねえ。

 狙ったネタじゃねえからな。

 

「ははは……っ! いや、面白かった!」

「……そりゃどうも」

「さすがに今のなら、舞浜も笑って……、ねえな。何やってんだ?」

「夏木に勉強教えてやってるんだよ。極めてマニアックな」

「た、助けて、甲斐君……」


 今にも泣きそうな顔して。

 いや。


 軽くべそかいてるきけ子が。

 甲斐の背中に逃げてきた。


「何の勉強してたんだよ」

「サバの栄養分……」

「は?」

「DHAはオメガ3脂肪酸に分類され、健康に大変良い効果があります……」

「……おい、舞浜。夏木が別の生き物になっちまうからやめてやれ」

「じゃ、じゃあ、最後にテスト……」


 鼻すすってるきけ子の前に。

 舞浜が立って。


 みんなの視線が集まる中で。

 最終試験が始まった。


「DHAは、何の略?」

「…………ドコサヒゴサエン酸」

「始めるな始めるな」


 そして二人で始めたあんたがたどこさに。

 クラスの連中は腹抱えて笑い出す。


 ……なんだよ。

 しれっとまた俺に黒星つけんじゃねえよ。


「なるほど。今日もお前の負けか」

「うるせえ」

「こんな楽しそうに勝負しといてケンカ中とか言ってんじゃねえぞ?」

「楽しかねえ。それにお前だって、ケンカ中なのに夏木の事庇ったりしてんじゃねえか」

「そ、それなんだが……」


 ん?


 なんか言いかけて。

 そそくさ、席に戻っちまったが。



 ……なんだ、今の?

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