水事無しの日


 ~ 六月十七日(水) 水事無しの日 ~


 ※規行矩歩きこうくほ

  心も体もきっちりかっちり。あるいは融通利かねえヤツって皮肉の意味も。



 授業中だってのに。

 しょっちゅう後ろ向くけどさ。


 なんでお前。

 今まで一度も注意されねえんだ?


「ねえ、舞浜ちゃん。仲直りしてあげなよ」

「ううん? 許してあげないの……、よ?」

「こっちだって許してやる気はねえ」


 いくら説得されても。

 頑として首を縦に振らないこいつは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 そんな頑固者と俺とのケンカを仲裁しようとして。

 きけ子がしょっちゅう話しかけてくるが。


 そう簡単に収まると思うなよ?


「もう……。二人がケンカしてるせいで、あたしが甲斐君とケンカできないわよ」

「十分ケンカ中だろお前らも。甲斐の奴、夏木が子供みてえだって呆れてたぜ?」

「そ、そうなんだ……」

「なになに~? あっちもこっちもケンカ中~?」

「うるせえ黙れ。お前ともケンカだ」

「それいいわね。あたしもパラガスとケンカ開始よん!」

「とばっちりだ~!」


 お前が混ざるとややこしくなる。

 排除だ排除。


 ……いや?

 まてよ?


「まったくてめえは。甲斐と一緒で面白味ねえやつだな!」

「ひでえな~。俺、あいつよりは面白いと思うぜ~?」

「まあ、そうだよな。甲斐よりはましだよな」

「そうだよ~。あいつ、めちゃくちゃ頭硬いしさ~」

「融通きかねえし」

「そうそう、そうだよな~!」


 よし。

 パラガスとハサミは使いよう。


 うまいこと甲斐の悪口引き出したところで。

 きけ子に同意を求めたんだが。


「お前もそう思うだろ?」

「いや~? そこまで融通利かないかな、甲斐君」

「利かねえ利かねえ。なあ、パラガス」

「ああ~。女子マネのロッカー覗いてみようぜって誘ったら、あいつ竹刀持ち出してきてさ~。めちゃくちゃ叩かれた~」


 そりゃあてめえが悪い。

 しかし、さすが甲斐だな。


 あいつの規行矩歩きこうくほ

 俺は美徳だと思う。


 でも。


 ここはパラガスの話に。

 乗っかっとくべきだろうな。


「あいつ、やっぱ頭かてえな。ぜってえ道端の花とか見ねえタイプ。彼氏とかにした日にゃ必ず後悔するっての」

「そうかな? そこまでは思わないけどね……」

「うん。そんなことないと思う……、よ? 前に、校舎前の花壇が綺麗って言ってた……」

「ポーズに決まってんだろ。舞浜にいいとこ見せようとしたにちげえねえ」

「と、友達の頃悪く言うの……、ダメ」

「別に友達じゃねえし」


 そして始まる。

 俺と舞浜との聞くに堪えない小競り合い。


 きけ子とパラガスはあきれ顔で前を向いたんだが。

 まだまだ俺たちのケンカは止まらねえ。


「……そうだ。ケンカ中だから、今日もおかず持ってきてねえからな」

「そんなの期待してない……、よ?」

「へえ? 今日は珍しく親父が作ってくれたんだが。ひょっとしたら意外なおかず出てくるかもしれねえのにな~?」

「き、気にしない……、もん」


 こういう時のお前は分かりやすいな。

 めちゃめちゃ気にしてんじゃねえか。


 へっへっへ。

 そういうことならこうしてくれる。


 俺はこれ見よがしに弁当箱出して。

 立てた教科書に隠しながら包みを開いて。


 チラチラ様子を窺う舞浜に。

 わざと見えるように蓋開いたら。



 ……中身は。

 五百円玉と、紙が一枚。



 『凜々花ちゃんのデコ弁作り終わったところで力尽きました』



「ふざけんなあいつ!」


 弁当一つ作ったらあまりもんぐらいできるだろうが!


 唖然としながら。

 五百円玉がりがりかじってたら。


 舞浜のやつ。

 嬉しそうに可笑しそうに。


 笑いこらえて頬膨らませたまま。

 ぷるぷる震えてやがる。


 ちきしょう、凜々花に続いて。

 親父までこいつを笑わせるとは。


「あいつに炊事当番やらせるとろくな事ねえ」

「……当番? 炊事、三人で交代?」

「円グラフ当番表があるんだよ」

「ほんと? ……いいなあ」


 お前のツボ。

 毎度毎度、変。


 よっぽど羨ましかったのか。

 ノートにカッター入れて。

 当番表作り始めやがったが。


「と、当番って何があるの?」

「俺んちのは三分割。炊事、掃除、親父」

「ぷふっ!」


 おお。

 舞浜史上最大級の笑いを拝めた。


 でもな?


「い、今のは面白かった……」

「だろうな。当番表作ったの、凜々花だから」

「やっぱり……。おもしろいね、凜々花ちゃん」


 親父に続いて、今度は。

 凜々花が舞浜笑わせることになったわけだが。


 ちきしょう。

 俺のネタとどこが違うんだ?


「じゃあ、今日はお父様が炊事当番?」

「そう」

「保坂君……、は?」

「親父当番。つまり、テレビ見ながらソファーで携帯いじってる係」


 ふむふむ、じゃねえ。

 参考にすんな。

 どんな当番表作る気だよ。

 

「ああ、そうだ。今日は当番ねえから、雨漏りの様子見に行ってやるよ」

「ほんと?」

「ちょうど水事無しの日だし」

「…………スイジ? しない日?」


 ああ、言いてえこと分かる。

 炊事じゃねえ。


「いや、水って書くんだ。……そういや、どういう意味だろ」

「……ありがと。凄く助かる」

「水事無しってことは、雨漏り修理もしちゃダメな日なのかな……?」

「そ、それ、困る……」

「ああ、心配すんな。またお前の部屋に入ることんなるけどそれは許……、せ……、なんだよ夏木」


 すげえ気持ち悪いニコニコ顔して俺のこと見てやがるが。

 なんだお前?


「……ワライダケでも食ったのか?」

「よかったのよん! ケンカ終わったのね!」


 はっ!?


 忘れてた!!!


「ちげえ! ケンカ中だケンカ中!」

「まったまたあ」

「ほんとだっての! なあ、舞浜!」


 慌ててお隣見てみれば。

 こっちを向いた舞浜の。

 顔の前に、当番表。


 その円グラフの。

 外の枠が半分ずつに区切られて。


 『ケンカ中』

 『仲直り』


 そして内側が。


 『保坂君』

 『私』


「うはははははははははははは!!! 一生出会えねえ、睡眠中に目覚める別人格!!!」


 ちきしょう、このセンスな!

 ケンカ中だろうが何だろうが。

 悔しいけど勝てやしねえ。


 俺は廊下へ出て、定位置になり始めた場所に立って遠くの山を見つめながら。


 あいつの笑いについて分析する。


 きっと。

 『何を書いたらいいかわからない』とか聞いてきた時には。

 このオチを思いついてたんだ。


 なんて策士。

 ケンカ相手ながらあっぱれ。


 そこまで考えて。

 頭がクリアーになった時。


 初めて気が付いた。




「誰も立ってろなんて言ってねえ!」




 俺は、自分自身の体の異変に。


 ただひたすら恐怖した。

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