恋人の日


 ~ 六月十二日(金) 恋人の日 ~


 ※有為転変ういてんぺん

  この世の全ての事象は、外因内因あらゆるもののせいで、常に移り変わる。



 友情が恋に変わって。

 友達が恋人になるまでの道しるべ。


 知らぬがままにハンドル切って。

 辿り着いた先で初めて気付く。


 分かれ道で何度も見かけた。

 標識が表す、その意味は。

 


 『俺たちが無理にくっ付けるのは逆効果』



 ~´∀`~´∀`~´∀`~



 ひそひそとさざめく青葉が。

 茜の色に染められて。

 季節外れの紅葉に彩られた体育館裏。


 野ざらしのモップに、使われてない物置。

 サビの浮いたフレームだけの机が草むらの中に転がってる。


 物悲しいセットと照明。

 まるで秋という季節を。

 始まるための終わりの季節を予感させる体育館裏。


 部活後の校内に。

 奏でる鼓動の四重奏。


 そのうち二つは向かい合って。

 そのうち二つは息を潜めて。



「なるほど、そういうことだったか。保坂のやつめ……」

「ご、ごめんね? 騙して呼び出したりして……」



 こんなに遅くまで残ってる生徒は。

 多分、他にいねえだろう。


 世界にいるのは二人だけ。

 不思議と心に浮かぶ解放感や全能感。


 それが変化や前進を。

 興味や新しい関係性を。

 そんなものを生み出すスパイスになってくれたらいいんだが……。



「で? こんな回りくどいことする理由、察してやれなくはないけど」

「う、うん。あの……、えっと……」


 わざわざ、甲斐が言いやすいように促してくれてるのに。

 言いよどんだまま指をもじもじさせるきけ子の背中。


 一週間前には。

 あれだけ簡単に上手くいくと思ってたのに。


 なんだか雲行きが怪しいぜ。


 あと、さ。

 お前、俺のこと頑丈なテーブルかなんかだと思ってるわけ?


 肘ついて全体重乗っけて。

 身い乗り出してのぞき見してるお嬢様。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 重てえし、いてえけど。

 でも、ちょっとでも動いたら。

 境界線代わりの灌木に隠れてんのバレちまう。


 ここは全力で我慢だ。



「あの……、ね? あ、あたし、甲斐君とお友達になりたくて……」


 おお。

 とうとう言った、緩めの告白。


 でも、甲斐の奴。

 ちょっと難しそうな顔して。

 サイド髪に手櫛なんか入れながら。


「……それ、恋人を前提の友達って意味なんだろ?」

「あ、えっと……、その……」

「俺、さ。夏木は素っ頓狂で考え無しの元気なやつだって思ってたんだ」

「え?」

「いや、なんかここんとこ、大人しい感じに見えるから。そういや舞浜も、お前が奥ゆかしいとか言ってたな」

「そ、そうかも! あたし、結構そういうとこもあるのよ?」


 これ、どっちだ?


 かなりギャンブルな投げかけだったと思うんだが。

 きけ子が迷わずベットしたのは。

 おとなし目のノワール。


 でも。

 ルーレットの出た目は。


 残念ながら。

 元気なルージュの方だった。


「……なんだ。がっかりだぜ」

「がっかり……?」

「友達ってのは構わないし、俺からお願いしたいぐらいだ。でも、お前と付き合うって未来図はちょっと想像つかない」


 ああ。

 甲斐の奴、ばっさり切ったな。


 そんで。

 俺の肩、ぎゅっと握りしめてるお前の気持ちも。


 いてえほど分かるぜ。


 てか。

 ほんといてえ。


 どんだけ怪力なんだお前。


 ……良かれと思って言った。

 きけ子の『奥ゆかしさ』。

 それがかえって邪魔になるなんて。


 今すぐここから飛び出して。

 あれはウソでしたって叫びたいくらいなんだろうな。



 ――恋は。


 実際に五感で受け止める男子に対して。


 女子は頭ん中でドラマを見る心地で。

 自分達の姿を客観視しながら。

 心情やセリフを都合よく変換して捉えるって聞くけど。


 だからだろうな。

 頭ん中で、都合のいい展開想像しながら。

 ふられたことに、いつまでも気付かないきけ子が。


 未だに指をもじもじさせたまま。

 甲斐のセリフを待ってやがる。


「……お前、今の言葉分からなかったか?」

「と、友達になってくれるんだよね?」

「そう、って言うか、そうじゃないって言うか……」


 いよいよ甲斐の表情が曇るのに合わせて。

 きけ子も状況を把握し始めると。


 慌てて危機的状況を挽回すべく。

 セルフプロデュースを開始する。


「あ、あのね? あたし、一緒にいて楽しいから!」

「だから、最初はそう思ってたんだ」

「週末バスケの試合見に行かない? 大学生の試合あるの。きっと楽しいデートできるよ?」

「デート? ……かっこ悪いってこと承知で言うんだけどさ。俺は、生涯たった一人って決めてる彼女以外の奴とそういうことしたくない」


 意外と堅っ苦しいこと言う甲斐だが。

 こいつ、根っから真面目だもんな。

 さもありなん。



 ……でも。



 甲斐の返事を聞いたきけ子が。

 どういう訳か、目ぇ見開いて震えだす。


「生涯一人? なんでそういうウソ言うの?」

「ん? ……ウソ?」

「なにそのかっこつけ! 甲斐君って、そういうことしない人って思ったのに!」

「そういうことって? お前、なに言って……」

「今までデートしてきた子に失礼でしょ! 謝んなよ!」

「ちょ、ちょっと落ち着け」

「ファンクラブの皆さん、どんな気持ちで甲斐君とデートしたって思ってんの!」


 ううわ痛い痛い痛い!

 肩に万力はめられたみてえ!


 またお前のせいでヤバいことになって。

 気持ちは分かるけど。


 鎖骨砕けるっ!


「ファンって、なんの話だよ。俺、デートなんかしたことないぞ?」

「うるさい! つまんなかったとか、イメージと違ったとか、そういうのはいいよ。でも、無かったことにするなんてひどすぎる!」

「聞けよひとの話。だから俺は……」

「もういい! あたし、帰る!」

「ちょっと待ておい!」


 きけ子は、いつもの甲高い声で喚き散らすと。

 すげえ速さで校舎に駆けて行っちまった。


「…………なんなんだよあいつは」


 そして残された甲斐が。

 鞄を肩に担ぎ直して、頭掻きながら校門へ歩いて行くと。


「いででででで!」


 頃合いを見計らって。

 背中に乗っかってた舞浜が俺を踏み台にして。


 きけ子の後を追って。

 廊下の暗がりが顔を覗かせる。

 校舎への扉へ吸い込まれて行った。



 …………ああ。



 やっぱり、恋愛なんかまったく知らねえ俺たちが。

 手ぇ出すなんて間違ってたんだ。



 未だに。

 舞浜が握りしめてた肩が痛い。


 じんじん、痺れるほどに締め付けられて。

 俺たち四人の胸の痛みを。

 まるで表してるかのようにちょっと待て。



 ……なんだか。

 まだ握りしめられてる気がするんだけど。



 今更気付いた右肩の痛み。

 そこに目を向けてみれば。



「うはははははははははははは!!!」



 肩にがっちりはまった万力。

 そこから伸びた棒の先に。



 くす玉。



「…………やれやれ。ほんと、バカなやつだ」



 ひもを引っ張ると。

 垂れ下がる幕にはお祝いの文章。


 俺は、そいつを見上げながらいつまでも。

 夕闇迫る体育館裏で笑い続けた。



 そうでもしてねえと。



 悲しさに押しつぶされそうだったから。

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