雨漏り点検の日
~ 六月十一(木) 雨漏り点検の日 ~
※
口に蜜有り腹に剣有り
「……ようこそ、服のセンス最悪な兄の方」
「暑いんだから構わねえだろ」
珍しく、メッセージなんて送ってきて。
俺を家まで呼び出した美少女。
笑う事の練習はしてるものの。
基本、こいつは無表情。
どういうつもりで呼び出したのか。
その顔からうかがい知ることもできやしねえ。
下手うつと面倒なこと押し付けられそうだからな。
警戒しねえと。
「そんで? 何の用なんだ?」
「…………まずはちょっとお高いお茶を一杯飲んでいただこう」
ほうら来やがった。
その金額以上の事させられるってわけだな。
「安い茶がいい」
「……そうはいかないな。客人としてお招きしているのだ、礼は尽くすのが道理。私が焼いたカヌレ共々、快く受け取るのが器量と言うものだぞ?」
「なるほど、そんな歓待にはお返しをしないとな。三倍? それとも五倍くらいか?」
「……いや。大体、三十倍くらいか……」
「帰っていいか?」
カヌレと紅茶のセット、五百円くらいとして。
一万五千円分もなにさせる気だよ。
でも、まあ。
凜々花がすっげえ世話になってるし。
強制的にミステリーツアーへ連れ出された心地で。
まずは報酬をいただこうと応接間に入ってみたら。
意外な先客の甲高い声に出迎えられた。
「ほほほ、保坂っ!? なんでっ!?」
「あれ? 遊びに来てたのか」
舞浜の隣。
応接間のパイプ椅子に座り込んでたローツイン。
俺がふらっと顔出した件について。
根掘り葉掘り聞かれるかとも思ったが。
「き、今日は勉強教わりに来ててさ!」
自分の方が、誤魔化すのにいっぱいいっぱいで。
それどころじゃなかったらしい。
「ああ、慌てて誤魔化さなくていい。俺も協力者だから」
「うん。保坂君は、知ってるよ? 手伝ってくれてるから」
「そ、そうなんだ! 安心したやら恥ずかしいやら……」
そんなことつぶやきながら。
赤くしたほっぺを手の平で。
ぽふぽふ押さえるきけ子の姿。
なんだかいつものこいつっぽくねえな。
「……で? 具体的にはどうしてえんだ?」
「う、うん。今、舞浜ちゃんと話しててね? 甲斐君、もてるなーって。うかうかしてらんねえなーって」
「ほうほう」
「だから、明日ね? 柔らかめにアタックしてみようと思って……」
おお、急展開!
でかした舞浜!
そんな功労者を称えてやろうと拍手を送ったんだが。
なんだお前、その複雑な表情。
「ピーナッツバターパンだと思ってかじったら味噌だった時の顔にそっくり」
「……そんな経験があるとは、難儀なことだな」
そんなタイミングで、春姫ちゃんが銀のトレーを持って部屋に入ってきて。
目の前に紅茶を置いたんだが。
……おいおい。
「ほんといい香りだなちきしょう!」
「……頂き物は、こういう時のために取っておくのが舞浜家の家訓」
いくつ家訓あるんだよお前ん家は。
いや、今はそれよりも。
コーヒーだとか紅茶だとか。
濃ければ美味いと思う俺ですら一発で分かる。
「こんないい香りの紅茶、初めてだぜ」
こいつの三十倍か。
一体、何を押しつけられるのやら。
愕然とする俺を無視して。
テーブルの向かいからは呑気な会話が聞こえてくる。
「そっかー。やっぱり甲斐君ってそんななのねー」
「そ、そうなの……、よ?」
「こら夏木、なんだそのしゃべり方」
「しゃべり方?」
「すっかり恋する乙女だな」
「だってしょうがないのよん!」
あ、戻った。
舞浜の、味噌しょっぺえ顔は気になるが。
きけ子のくねくね乙女モードも気にかかる。
なんでこんなことになってんだ?
……いや。
つい最近もこんなパターン見たな。
「甲斐君、スポーツ万能なんだよね、舞浜ちゃん!」
「うん」
「だからファンクラブまであって!」
「う、うん」
「そのファンクラブの子とデートしまくってるなんて、うかうかしてらんない!」
「う…………、う、ん」
まあいはああまああああ!!!
「なんでお前はそうなんだよ」
「な、なんかこう、夢中になると、こうなっちゃうの……」
「視野が狭くなるって言いてえんだろうけど、だったら少しは隙間開けろ」
全部くっ付けてどうする。
「……なにやらもめているようだが……、冷める前に飲むと良い」
「おっと、そうだったそうだった」
「……そしてこれが手製のカヌレだ」
「美味そうだな。どれどれ」
慌てると適当なことばっかりしゃべりやがる舞浜を。
にらみつけながら一口かじれば。
ほう、これは。
それなり良い腕じゃねえの。
軽妙な歯触りと。
芳醇な香り。
……いや?
それなりどころじゃねえ。
「なんだこれ。滅茶苦茶うめえ」
「……食べ物に世辞を言うのは感心できる趣味だな」
「いや、世辞じゃねえ! すげえうめえぞこれ!? なに者なんだよお前は!」
「……ただの美少女中学生だが」
「いやいや、そんな簡単な話じゃ済まねえぞ」
それにひきかえ。
「妹は凄腕ケーキ職人だってのに。姉の方はいい加減で困ったヤツだっての」
「うう……、ご、ごめんなさい……」
「どうすんだよそんな大風呂敷」
「で、でもね? ようやく決心してくれたの。明日、アタックするって」
「柔らか~くよん? 柔らか~く!」
浮かれまくってやがるから。
これだけあからさまに会話してるのに。
舞浜のウソに気付いてもいねえ。
でも、このタイミングで告白して大丈夫なのか?
俺たちがあれこれ手ぇ焼く前だったら上手くいったかもしれねえけど。
なんだか、甲斐のやつ。
ちょっと悩み始めてる気もするし。
でも、そんな考え事も。
あっという間に強制終了。
どうやら。
ケーキセットの清算が始まったようだ。
「……さて。一、二、三。よし、たくさん召し上がったな、パッとしないお客人」
「こら、せめてパッとしないとか言うのやめろ。
「……
「ほんと博識だなお前さんは。まあいいや、何やらせる気だよ」
「……雨漏りの修理を依頼したい」
「はあ?」
雨漏りって。
あの雨漏り?
そんなの素人がどうこうできるわけねえだろ。
「……我が家は、古くてな」
「古めかしいのは分かるけどさ、できるわけねえだろ。プロか親に頼れっての」
俺の返事に。
春姫ちゃんは、舞浜とアイコンタクトすると。
「……雨漏りを直すのだ、お父様」
「直して欲しい……、な。お父様」
「勘弁してくれよ、お娘様」
俺はお前らの親父さんほどかっこよくねえし。
あんなすっとぼけたセンスもしてねえ。
「……そう言わずに」
「イヤだよふざけんな」
「……今ならお姉さまのお部屋へ合法的に侵入できるスペシャルサプライズ付き」
「………………いや、別にそんなの興味ねえし」
返事が遅れたせいで本心が悟られたか。
春姫ちゃんがここぞとばかりに攻め立てる。
「……お姉さまの部屋は、他のどこにも類を見ない香りで満たされているぞ?」
「そんなの気にもなんねえ」
なにそれ嗅いでみたい。
すげえ入ってみてえ。
でも、きけ子の前で。
というか本人の前で。
うっひょう行こうぜGOGOGO! なんて。
言えるはずねえし。
……でもやっぱり入ってみてえ。
こんな時は……、そうか!
押すんじゃなくて、どんがらばったん引いてみろってな!
「……どんな殿方も足を踏み入れていない聖域だぞ?」
「何と言われてもぜってえいやだ! なんで雨漏り修理しなきゃなんねえんだ!」
急に上げた大声の理由に気付いて。
聡い春姫ちゃんは、ほんのちょっぴり口角をむずむずさせたんだが。
「いいじゃんやってあげなよ! 男でしょ?」
ちょろいきけ子は。
餌もついてねえ針にぱっくり食いついた。
「えー? でも、屋根裏とか真っ暗だろうし嫌だなあ?」
「ぐずぐず言ってないで! ほら、舞浜ちゃんもそっちの手ぇ持って!」
「うわ~。やめてくれよ~」
「パラガスの真似してないで、キリキリ歩け!」
意識して、なんて枕詞を付けるなら。
初めて入る女子の部屋。
しかもそれが。
こんな美女の部屋なんて。
激しく打つ鼓動のせいで。
呼吸すらままならない。
きけ子に命じられるままに俺の手を引っ張る。
舞浜の長い髪から漂ういい香り。
なんだか意識が。
朦朧としてきた……。
「ど、どうぞ」
そんな俺の目の前で。
可愛いドアプレートのついた。
白木の扉が開かれると。
そこには。
「うはははははははははははは!!! 何の実験室だっての!」
化学実験器具で埋め尽くされたマッドな部屋が。
春姫ちゃんの宣言通り。
他のどこにも類を見ない薬品的なサムシングの臭気を放っていた。
「やれやれ、騙された……」
「……騙してなどいない」
「まあいいか。で? どこから漏って来るんだ」
「……さあ」
「さあってなんだよ。じゃあ、どこから屋根裏に上がるんだ?」
「……さあ」
いやいや。
それも料金に含まれてんのか?
「丸投げにもほどがあんだろ、ケーキセット一つでそこまでできるか。何日がかりになると思ってんだ」
「……なるほど、確かに我儘な兄の方の言い分にも一理ある」
「引っかかる言い方だが分かってくれて何よりだ」
「……茶葉はまだある」
「は?」
「……ひとつで足りねば何セット必要なのだ?」
そう来たか。
こうして、修理初日は。
前払いの代金食い過ぎて動けなくなっちまったから。
調査も出来ずに帰ることになった。
……そんな雨漏り修繕も頭いてえけど。
明日の告白も、どうなることやら。
ふと顔を上げた視線の先には。
先行きを暗示するかのように。
やけに黒い色した暗雲が。
のっそりと浮かんでたんだ。
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