虫の日
~ 六月四日(木) 虫の日 ~
※
ここぞって時の大声。
――誰かにとっての悪は。
他の誰かにとって善である。
そんなことが。
しばしば起きる。
だからお前は。
たとえみんなに嫌われたとしても。
必ず誰かには愛されてる。
それを知ってれば、誰だって。
心は満たされて。
その人のために。
明るく正しく生きていこうと思うだろう。
そう、どんな生き物でも植物でも。
普遍的な嫌われ者なんて。
どこにも存在しない。
愛に溢れたこの世界に。
乾杯。
~´∀`~´∀`~´∀`~
「ぎゃあああああああああああ!!!」
落ちた消しゴムを拾おうとしてたかと思うと。
急に甲高い悲鳴あげて。
席から這うように逃げ出したきけ子。
そんなことされた日にゃ。
近隣の席はもちろん。
遠くの席でも幾人か立ち上がって。
目に見えない何かの姿を探しながら後ずさる。
そして、誰かが緊張感に耐え切れずに上げた悲鳴が。
他の誰かの恐怖をあおって。
途端にクラスを満たす甲高い不協和音。
空想が生み出した敵から逃げるように。
誰もがあらぬ方向へ走り出して。
あっという間に教室内はパニック映画。
でも、こんな時だからこそ。
人の『格』ってもんが浮き彫りになるんだと思う。
そんな人間力を見せつけたやつの一人。
俺をかばうかのように立ち上がった頼れる友達。
そしてもう一人。
「みんな落ち着けっ!」
浮足立ったみんなを落ち着かせたのは。
教卓に立って額に青筋浮かせてるおっさんじゃなく。
ここんとこやたら関わりのあるイケメンスポーツマン。
甲斐だった。
こいつは、おびえるみんなをかき分けて。
未だに教室の隅っこで何かに警戒してるきけ子に近づくと。
「……俺が守ってやるから。何があったのか教えてくれないか?」
男の俺ですら身を任せたくなるほど。
頼りがいって名前の鎧をまとった騎士になって。
疑心暗鬼に陥ってる姫に右手を差し出した。
するとさすがのきけ子も。
顔を真っ赤にして。
今まで聞いたこと無いような声音で返事をしながら。
甲斐に抱き着いたんだ。
「ぎょぼええええええ!!! ぎゃあす! ぎゃーーーーす!!!」
……絹どころじゃねえ。
ジュラルミンでも引き裂いた様な悲鳴。
甲斐の首にぶら下がって。
足ごと胴にまきついて。
「今いたっ! いたーーーーーっ!!!」
目ぇ血走らせて床をきょろきょろ見てやがるが。
ああ、やっとわかったぜ。
出たのね。
今のセリフで事態を理解したクラスの一同は。
顔色を青くさせてた、見えねえ何かへの恐怖が消え去って。
その代わりに顔に塗りたくったのは。
嫌悪って名前のどす黒い色。
「きゃーーーー!!!」
「まじか! どこにいるんだ今!」
「今なんか動いた!」
「きゃあ! きゃーーーー!」
そのうち十人ほどが上履き手に持って椅子の上にエスケープしたんだが。
こいつまで椅子に上ったのは少々意外だったな。
「……舞浜も、ヤツには弱いのか」
「な、なにがいる……、の?」
「分かんねえでみんなの真似したのかよ」
「わ、私、恥ずかしいことしてる?」
「いや、そんな事ねえけど」
なんだよ、不安そうな顔すんなっての。
じゃあこうすりゃいいのか?
「…………ほれ。俺も上れば恥ずかしくねえだろ」
「あ、ありがと……、ね?」
なんだか平和なやり取りしてる俺たちをよそに。
現場じゃ今でも上を下への大騒ぎ。
その中心になってるのは。
甲斐にぶら下がったまんまのきけ子の悲鳴。
「やだやだやだ! いる! どっかにいる!」
「落ち着け夏木。あとお前、抱き着き方」
「ごめんだけど今は無理よ無理なのよーーー!!!」
しかし、さすが甲斐だな。
いくらちいせえっていっても。
女の子一人ぶら下げて平然としてるなんて。
でも、そんな様子見てる女子から不穏な空気感じるぜ。
聞こえはしねえが。
心ん中で舌打ちする音が至る所で鳴ってる気がする。
……甲斐、かっこいいしな。
女子社会ルール的な何か。
きけ子はその辺を侵してるって感じか。
でもさ、そんな仕打ちしねえでやってくれよ。
こいつに計算ねえの分かるだろ?
聞けよ、この美しいファルセット。
「ふんぎゃああああああ!!! ふごっ! ふごっ!」
「耳元でぎゃあぎゃあうるせえな!」
「だってキブリーちゃん苦手なんだよ許して欲しいのおおお!」
「可愛く呼ぶなよ。あと、退治しようにも夏木が邪魔でどうしようもねえだろうが」
やれやれ、この騒ぎ。
先生が怒鳴りつけるまで収まりそうもねえな。
しょうがねえから、舞浜でも笑わせて暇つぶししてようと。
椅子からさらに。
机に上って片足つま先立ち。
飛行機ポーズでぴたっと静止したところで。
「……キブリーちゃんって、アレ?」
「みてえだな。それより笑えてめえは」
まあ、この状況で笑い出したら。
変なやつって思われちまうか。
「だからみんな、怖がってるの……、ね。あたし、退治してくるね?」
「退治って? おい舞浜!」
言うが早いか、こいつは平然と椅子から降りると。
その手に妖刀・ミギウワバキ=ブレードを掴んで上段に構え。
誰もが現在位置を誤認するほどの音速の敵を。
すぱあん!!!
紫電一閃。
「退治した……、よ?」
快音と共に。
見事に屠ったのだった。
……でもな。
この件に関しちゃ、女子は見てるだけって選択が正解なんだ。
誰かなんとかしろって騒いでたやつに限って。
今度は勇者を忌避の対象にする。
クラスのいたるところで寄った眉根が。
舞浜を正面にとらえると。
「やめねえか」
夏木を降ろしながら。
甲斐が、俺の言いたいことを代わりに言ってくれた。
「こんなに悲しそうな顔して、しかも自分の上履き使って叩いてくれたってのに。歓声ならともかくなんだよお前らの態度」
そんな言葉を聞いて。
誰もが気付いた舞浜の顔。
おでこに書かれた見えない文字は。
『ごめんなさい』
……ああ、よく分かるぜ。
こいつはたとえ相手がヤツでも。
殺生するには抵抗ある。
そんな女なんだ。
「あ、ありがとね、舞浜ちゃん」
きけ子のお礼を皮切りに。
まるでつきものが落ちたような優しい笑顔を浮かべたみんなが拍手を送ると。
男子のうち何人かが。
舞浜の勇気ある行動による結果を処理してあげようと近寄ったんだが。
「あれ?」
舞浜が持ち上げた妖刀の下には何もなくて。
代わりに、あさっての場所から悲鳴が上がった。
「ふんぎゃーーーー!!!」
「な、なんか飛んだ!」
「窓から出てったけど、今の……」
「ヤツだよねえ?」
「じゃあ、舞浜ちゃんがやったのって……」
「なに?」
……おいてめえ。
てへっ。
じゃねえ。
クラスの皆は大笑いしてっけども。
俺は騙されねえぞ?
てめえがやった事。
ただの茶番。
「……やれやれ、人騒がせなやつだな」
「上履き、洗うことになんなくて良かった……、かも」
「洗うって。俺は苦手だから、自分の上履きでつぶしたとしたらもうそんなの履けねえわ」
「そう?」
平然と言うんじゃねえ。
ほんとはみんなを笑わせるためにやったんじゃねえだろな?
「確かに! ほんとよ舞浜ちゃん!」
「もう、自分の上履き使うとかやめてよね?」
「もしまた出たら男子の上履き使いなさいよ!」
「ってかそもそも男子がやれって!」
「保坂、あんたのこと言ってんのよ?」
おお。
ひでえとばっちり。
「なんで俺だけなんだよ」
「いやいや。机の上にまで逃げるってどんだけ怖がりなの?」
「さっきも言ったろうが、苦手なんだよ。最悪どうしてもってことんなったら舞浜の上履き使うわ」
この発言は無かったか。
女子はこぞって舞浜の弁護して。
俺を糾弾し始めたんだが。
……それが一瞬で。
爆笑に変わる。
「あ、良かった。じゃあ怒られない……、ね?」
そう言いながら。
勇者・舞浜が。
妖刀を。
俺の椅子んとこに置きっぱなしだった相棒の隣に置いた。
「うはははははははははははは!!! こらてめえ!」
「自分のだとちょっと……、ね?」
「ちきしょう! 逆だったらお前の使うって言った手前怒れねえ!」
……こうして。
バカな騒ぎは幕引きとなったんだが。
責任を取って誰か一人が立ってろとか先生に言われたら。
まあ、こうなるわな。
「…………多数決って怖えな。誰からも愛されてねえ気がするぜ」
「考えすぎ……、よ?」
机の上で立って授業受けたことある奴なんて。
この世のどこにもいねえだろな。
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