第16話 Bleu Orient

 _____________Bleu Orientブルーオリヤン




              by. 海野 碧




_________3月24日



蒼さんに対する自分の気持ちを自覚し、この家と蒼さんから離れる決意を伝え

てから、あっという間の3か月が過ぎた。


季節は寒い冬から桜の咲く春へと移り変わっていた。




この3か月、諦めなければという気持ちとは裏腹に、私の蒼さんに対する気持ち

は益々大きくなっていくばかりだった。


蒼さんの顔が見たい、でも、見ると嬉しい気持ちと一緒に辛い想いが胸を締め

付ける。


このまま側にいたい、でも、側にいることが辛い・・・。


私は、一体どうしたいんだろう・・・。




私がここを離れる決意を伝えた日から、蒼さんは作業部屋に籠る時間が増えていた。


時には、目の下にクマまで作っている事もあった。


ただ単に仕事が忙しいだけなのか、それとも、出て行く私との時間が煩わしく

思っているのか・・・。


「スー、ハ~。」


深呼吸をして頭を振る。


イヤなことは考えない、今を楽しまないと・・・。


蒼さんとの暮らしはそれまでとは大して変わりなく過ぎていた。


デートにも似た週二回の買い物とドライブは相変わらず続いていたし、私を見る

蒼さんの表情は穏やかで、私はつかの間の幸せをかみしめていた。


そして、この3か月の間、私を暗い気持ちにさせるものがあった。


それは・・・『夢』


あの、海の底から私を呼ぶ夢は蒼さんに離れる決意を話してから頻繁に見るように

なっていた。


まるで、私に現実を突きつけるように・・・。



あの夢が現実になるのなら・・・・

    明日、私は泡となって消えるのだろうか



そんな事を考えていると蒼さんがこちらに来るのが見えた。


「蒼さん、どうしました?」


「ああ、明日なんだけど・・・」


私が話かけたことに驚きながら、少し口ごもっていたが意を決したように口を

開いた。


「明日なんだが、明日一日碧の時間を俺にくれないか?」


「私の時間?ですか・・・。」


「ああ、碧の誕生日だし俺が碧に思い出に残る時間をプレゼントしたいんだ。

 ・・・ダメか?」


「エッ!全然ダメじゃないです。喜んでお願いしたいです!」


私がそう応えると、蒼さんはホッと安心したように息を吐いた。


「ありがとう。

 それと、俺から頼みがあるんだけど___________。」


蒼さんの頼みは意外なことだったけど、私は快く承諾していた。



明日は、とうとう最後の日・・・。




________3月25日


「おはよう。」


「おはようございます。」


いつものように二人で簡単な朝食を食べる。


今日が最後の日だとは思えないくらい、普段と何も変わらない


食べ終わった食器を片付けていると、シャツを腕まくりしながら蒼さんが声を

掛けてきた。


「後は俺がやっておくから、碧は準備してきて。」


「え、でも・・・。」


「いいから、いいから。30分後にここに集合。」


有無を言わせない蒼さんに、ここは折れるしかない


「じゃあ、すいませんがお願いします。」



私はそう言って二階の自分の部屋に向かった。


30分後、身支度を終えリビングに降りると、いつもより3割増しにカッコいい

蒼さんがそこにいた。


髪の毛はワックスで軽く後ろに流し、普段着ないスーツまで・・・。


驚きに声も出ずにいると


「あぁ~、やっぱり碧にはそのワンピースが似合うな。」


蒼さんがどこか懐かし気に私の姿を見て言った。


「そ、そうですか・・・。」


好きな相手にそんな事を言われて、嫌な気になる人なんていない


私は、頬が火照るのを感じた。




「じゃあ、行こうか。」


「はい!」




さあ、私達の最後の時間が始まる。


蒼さんの愛車に乗って最初に向かったのは海だった。


「碧、降りて」


蒼さんは、私の手を引き砂浜に降りて行く。


「ここは、俺と碧が初めて出会った場所だ。」


「ここだったんですね。」


最初に会った時、砂浜で倒れているのを私は助けられた。

そうか、それがこの場所だったのか。


今まで不思議とこの場所には来たことがなかったなと気がついた。


蒼さんは私の手を掴んだまま、砂浜を更に進む。


無言のまま歩く私達のギュッ、ギュッっと砂を踏みしめる音がやけに大きく感じた。


春先なだけあって、天気は良くても海からの風はまだ冷たかったが繋ぐ手から

伝わる蒼さんの暖かさが、私の心も身体も暖めてくれるようだった。


やがて、目的の場所に辿り着いたのか蒼さんは足を止めた。


「ここで、碧を見つけたんだ。

 あの日はここに大きな流木があって、その陰で今、碧が着てるワンピースが

 フワッと舞い上がったんだ。

 それで、碧を見つけた。

 もう、あの時の流木も無くなってしまったんだな・・・。」


そう言うと、蒼さんはスーツのポケットからキラリと光る何かを取り出した。


“何だろう?”


私の頭の片隅に微かに反応するものを感じる。


「あの・・・それは何ですか?」


蒼さんは、私の言葉に少し考える素振りを見せながらも、その光る物を私の掌に

載せた。


「見覚えはないか?」


私の掌に載せられた光るものは・・・シルバーのリング。


「・・・いえ、よく分からないです。」


何か引っかかるものを感じながらも、初めて見るような気もする。


「・・・そうか・・。

 これは、ここで俺が碧を見つけた時に、碧が握っていた物なんだ。

 そして・・・俺が捨てた物でもある。」


「エッ!どういう事ですか?」


「何故、碧が持っていたのかは分からないが、これは一年前に俺がの海に捨てた

 指輪だ。」


「それって・・・まさか、梨花さんへの指輪・・・。」


どういう事なんだろう、蒼さんが海に捨てた指輪を私が持っていた。


やっぱり私は・・・・。


あの夢が頭をよぎった。




「もし、碧が必要ないのなら俺の好きにさせてもらってもいいか?」


「・・ええ、いいですけど・・・。」


元々、蒼さんの物だったわけだし、私が持っていてもどうしようもない物だ。


私は、蒼さんに指輪を委ねた。


すると蒼さんは、指輪を眺めてからギュッと右手で握りしめるとあろうことか、

思いっきり海へと投げてしまった。


指輪は、キラキラと煌めきながら波間に吸い込まれていった。


「そんな!大事な物じゃなかったんですか!」


私の口からは、思わず非難めいた言葉がでていたが、蒼さんは微笑みながら私に

告げる。


「俺には、もう必要ないものなんだ。」


私の心は複雑な心境に戸惑っていた。


確かに蒼さんは、どこかスッキリしたようにも見えるが・・・。


そんな私の心境はお構いなしの様に蒼さんはにこやかに


「よし、じゃあ、次はランチに行こう。」


そう言って、私の手を掴んでスタスタ歩みを進める。



連れて来られたのは、海の見えるレストラン。


寄せては返す波が見える。


「ここは、パスタが美味いんだ。」


「蒼さんは、何にするんですか?」


「俺は、ボンゴレのセットかな。」


「じゃあ、私はシーフードのクリームパスタのセットで」


オーダーして暫くすると、運ばれてきたのは季節のアンティパスト。


春キャベツを使ったロールキャベツや山菜の生ハム巻き、カプレーゼ彩り鮮やか

で目にも美味しい一皿。


「綺麗で美味しいですね。

 私もこんな風にもりつけたら少しは素敵な料理に見えますかね。」


「碧の料理はいつも美味しいから、大丈夫だよ。」


「そ、そうですか?」


さり気なく私の事を誉める蒼さんに、気を抜いていた私の顔は真っ赤だ。


お世辞だと分かっていても嬉しい。


でも、もう蒼さんに料理を作ることは出来なくなるのか・・・。


現実を思い出し、私の気分は下降していった。


下降した気分とは反対に、料理はとても美味しかった。


シーフードはプリプリしていて、ソースも絶妙なバランスで下降していた気持ち

も上向きになっていった。


蒼さんもボンゴレに舌鼓をうっていた。



レストランを出ると蒼さんは家の近くの洋菓子屋さんに車を止め私を車に残すと

一人お店の中に入っていく。


暫くすると、片手にケーキの箱を持って帰ってきた。


「家でケーキを食べよう。誕生日といったらケーキだろ?」


「嬉しい!ありがとうございます!」


今日の為に前もってケーキを予約していてくれたらしい。


私は、まだ誕生日が終わらない事が嬉しかった。


もう少し、一分一秒でも長く一緒にいたいと思ってしまう。



家に戻ってリビングに入ると蒼さんが


「今日は碧が主役なんだから座ってて。」


そう言ってキッチンに向かっていった。


蒼さんに支度させるなんて・・・と思ったが、今日は私と蒼さんの最後の日、

素直に甘えることにした。


ソファーに座り待っていると、コーヒーの良い香りが漂ってくる。


こんな時間も今日が最後・・・私の目には涙が溢れそうになっていた


「おまたせ。」


蒼さんの声が聞こえると、気づかれないようにサッとハンカチで目元をおさえ

笑顔を作った。



湯気の立ち上るコーヒーと、皿にのった苺のショートケーキをトレーに乗せて

蒼さんが現れた。


「碧、26歳の誕生日おめでとう。」


「ありがとうございます。

 蒼さんのお陰で忘れられない誕生日になりました。」


「それは良かった。

 実はプレゼントもあるんだけど、その前にケーキを食べようか。」


「・・・あ、はい。」


蒼さんのプレゼントという言葉に、これ以上まだあるのかと驚きながらも

取りあえずケーキを食べることにした。


苺のショートケーキは甘すぎず、何個でも食べられそうなくらい美味しかった。


「ケーキ、とっても美味しかったです。」


「なら良かった。」


にこやかな顔を向けてから、コーヒーをグイっと飲み干すと


「碧に誕生日プレゼントがあるんだ。

 作業部屋に置いてあるから、一緒に行こう。」


「あ、はい。」


私の返事が終わらない内に私の手を引く蒼さんに、いつもと違う

何かを感じた。


手を引かれたまま、あの白いドアの前に立つ。


梨花さんの画を見た日から、この部屋には入っていない。


心が落ち着かず、心臓がドクドク音をたてているのが分かる。




蒼さんの手がドアに掛かり、内側にドアが開いて行った。


部屋の中は、『青』の世界ではあったが、私の見たあの時の部屋とは違っていた。


雑然と置かれていた画が、綺麗に壁に並べられ部屋の中央には見たことも無い

濃いブルーの布が掛けられた画があるようだ。


蒼さんが私を連れて、中央の画のところまで歩く。


「これが俺から碧へのプレゼントだ。」


そう言って濃いブルーの布を捲った。



「・・・これは・・・。」



私の瞳はその画に釘付けとなった。


自然と零れ落ちる涙の雫・・・。



「碧だ。

 いつの間にか、俺は碧の事が愛しいと思うようになっていた。

 碧、これからもずっと俺の側にいてほしい。」


そう言って、私にベルベットの小箱を差し出した。


中には、キラキラ光る真新しいシルバーのリング。


「私で・・私でいいんですか?」


「碧じゃないとダメなんだ。

 俺の隣でいつまでも笑っていてくれ。」


「・・・はい。・・はい、隣にいます。」


蒼さんは、私の返事を聞いて嬉しそうに目を細めながら、左の薬指にリングを

嵌めた。


不思議とリングは私の指にピッタリと治まった。



その瞬間、私と蒼さんは少しの距離も離れたくないとばかりに抱き合い、初めて

のキスをした。


蒼さんは、私の右手を掴むと慌ただしく二階に駆け上がり、自分の部屋に私を

連れて入った。


初めて入る蒼さんの部屋は、濃いブルーを基調とした部屋で、その中には大きな

ベットだけがあった。



もう離れたくないとばかりに、二人でベットに雪崩れ込むと、そのままお互いの

存在を確かめ合うようにきつく抱きしめ合う。


そして、日付が変わっても二人の熱い息遣いは続いていた。




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