第15話 Pensée

__________Penséeパンセ



                by.江波 圭太




碧さんの戸籍が出来上がったのは、夏の盛りに差し掛かった頃だった。


「江波さん、戸籍ができました。

 名前は『海野 碧ウミノ アオイ』です。」


嬉しそうに碧さんが俺にお礼を兼ねて電話をしてきた。


「良い名前だね、碧さんに似合ってるよ。」


聞いて直ぐに碧さんにピッタリの名前だと思った。


「そうですか。

 名前は蒼さんがつけてくれたんです。」


ただ、名付け親は氷室蒼だと聞いて、こんなにピッタリな名をつける程碧さんの

事をよく見ていたのだと思うと、いくら兄のような存在だと思ってはいても心

穏やかにはいられなかった。




碧さんと話してから数日が経っていた。


戸籍も出来上がった今となっては、なかなか碧さんとの接点が掴めないことに

苛立ちを覚えながら業務をこなしていた。


メールや電話で気軽に連絡してみれば良いだけなのかもしれないが、ヘタレの俺

にはその一歩が踏み出せなかった。


相棒の安藤 久美子アンドウ クミコは、いつも笑顔で落ち着いている俺が、いつもと違うことに不信感を募らせ聞いてきた。


「江波さん、最近なんかイライラしてませんか?」


「そ、そうかな?安藤の気の所為じゃないか?」


「そんなことないです。

 絶対何かあります。

 一人で抱え込まないでくださいね。

 いつでも話聞きますから。」


「ああ、何かあったら頼むな。」


後輩にこんなこと言われるようじゃダメだな。


俺は自分の頬をバシっと叩いて気合を入れ直した。


そんな中、少年犯罪防止のために相棒の安藤と繁華街の巡回をしていると碧さんが

歩いているのを見つけた。


「あ、碧さん!久しぶり、買い物?」


「江波さん!はい、この先のお店にちょっと用事があって・・・。」


「最近はどう?」


碧さんは、俺の問いに少し考える素振りをみせてからオズオズと口を開く


「あの・・ご迷惑じゃなかったら、少し相談したい事があるんですが・・・。」


何!?相談!俺に!


「全然迷惑じゃないよ。

 でも、今仕事中だから、今度の休みの時でも大丈夫かな?」


「あ、はい。全然大丈夫です。

 江波さんの都合の良い時に連絡いただけますか?」


「うん、必ず連絡するから」


碧さんは軽く頭を下げ去っていった。


そんな後姿を見送っていると安藤が近づいてきた。


「あの人って、記憶喪失の人ですよね?」


「ああ、あれから記憶も戸籍もないままだと暮らしていくのが大変だと思って、

 知り合いの弁護士を紹介したんだよ。

 先日、やっと戸籍も取得できたみたいだ。」


「そうだったんですか・・・。」


安藤は、何か腑に落ちない素振りを見せつつも、それ以上踏み込んで聞いてくる

ことはなかったが、どこか淋し気な表情で俺を見ていたのをやっと掴めた碧さん

との接点に気を良くしていた俺は、気づくこともなかった。


その日の仕事が終わると、俺はすぐさま碧さんにメールした。


碧さんは、俺の都合に合わせると言い、今度の非番に待ち合わせをすることにした。


当日、浮かれていた俺はなかなか寝付けず、待ち合わせの喫茶店には予定の30分前にはついていた。


ソワソワして落ち着かないまま、窓の外を眺めていると待ち合わせ時間の5分前に

なって向こうから碧さんが歩いてくるのが見えた。


碧さんが店の扉を開けると、俺は立ち上がり手を振ってみせた。


俺の姿を見つけると、フワリと笑顔を向けてテーブルに近づく。


秋に入って、少し前までの暑さが嘘のように感じる今日は、ベージュのワンピースに白いカーディガンを羽織った姿。


それは、色白の碧さんに似合っていて、俺はドキッとするのが分かった。


「お待たせしました。」


「俺も今来たとこだし、まだ約束の時間前だから大丈夫だよ。」


まさか、寝れなくて30分も前から来てるとは口が裂けても言えなかった。


席につくと、碧さんがホットコーヒーを注文し、取りあえずはお互いの最近の近況と他愛も無い話をした。


一通り話したところで俺が切り出した。


「ところで相談って、どうしたの?」


「実は・・・自立しようかどうしようか考えていて・・・。」


俺はビックリして碧さんの顔を見た。



「それって、碧さんは氷室さんの所を出るってこと?」


「蒼さんにはまだ何も言ってないんですけど・・・。

 いつまでも何も関係の無い赤の他人に私が、蒼さんの家にいるのは迷惑なん

 じゃないかと思うんです。

 勿論、蒼さんはそんな事言いませんけど・・・。

 私も今まで居心地が良いので、ズルズルと居てしまいましたが、幸い戸籍も

 できましたし・・・。」


「良いんじゃないかな。

 俺も協力できることは何でもするから、遠慮なく言って。」


碧さんの言葉に、俺にもチャンスが巡ってきたように思えて、思わず身を乗り

出して碧さんの手を握っていた。


「先ずは、住む所と仕事だよね・・・・。」


興奮気味に色々考えを巡らせていると、少し遠慮がちに声が届く。


「江波さん、ありがとうございます。

 先ずは、お世話になっている蒼さんに私の考えを話して、それから少しづつ

 決めたいと思います。

 その時は、江波さんにも助けていただくかもしれません。」


「あ、そうだよね。

 先ずは氷室さんに話を通さないとね。」


碧さんの言葉に、俺も少し冷静さを取り戻し握っていた手を外した。


その後は、また他愛無い話をして喫茶店で別れた。


喫茶店で碧さんの相談を受けてから、数日経った頃一件のメールが入った。


それは碧さんからのものだった。


『先日は、相談にのって頂いてありがとうございました。

 あれから、蒼さんに自立して家を出る話をしました。

 蒼さんは、私の誕生日までここに居てほしいと言っていて、私はそれまで

 ここに、蒼さんが居てほしいという間は側にいたいと思います。』


そのメールからは、碧さんの気持ちが見え隠れしていた。


『碧さんは、蒼さんの事が好きなんだね。』


思わずそう送ったメールに返ってきた返事は


『江波さんには分かっちゃいましたか。

 流石、刑事さんですね。

 いつの間にか、気がついたら蒼さんの事が好きになっていました。

 でも、蒼さんには忘れられない人がいます。

 私の気持ちは叶わないかもしれませんが、私の誕生日までは蒼さんの側に

 いたいと思います。』


俺、失恋いたのか・・・・。


『碧さん、きっと大丈夫だよ。

 俺が好きになった碧さんは、とっても素敵な人だから。

 悔しいけど、碧さんの想いが届くよう応援してます。

 でも・・・もしダメだったら、その時は俺にチャンスをください。

 もう、俺からは連絡しません。

 だけど、一つだけ俺のお願い聞いてくれますか?

 誕生日が過ぎたら、碧さんから連絡をください。』


あ~、何やってんだ俺!


自分から連絡手段無くして・・・おまけに、サラッと好きって・・・。


俺は頭を抱えて床に突っ伏した。



碧さんからは返事が返ってこない・・・。


あ~、終わったな俺!



そんな事を悶々と考えていると、ピコンとメールの着信を知らせる音が鳴った。


ま、まさか・・・・。


メールを見ると碧さんからだった。


『私は江波さんの気持ちに応えることはできませんが、江波さんの気持ちは

 嬉しかったです。

 誕生日が過ぎたら、必ず連絡します。

 これから寒い日が続きます、風邪などひかないようにお元気で』


俺は、嬉しいような悲しいような複雑な気持ちの中、頬を流れる涙に気がついた。


チクショ~、何で泣いてるんだよ。


まだ、終わったわけじゃない。


99%無理かもしれないけど、1%くらいは可能性が残ってるかもしれない。



俺は、僅かばかりの可能性を夢みて、誕生日が過ぎるのを待つことにした。



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