第10話 Gentiane

______________Gentianeジャンシャーヌ




               by. 氷室 蒼



俺は久々にいつも世話になっている画商との商談が上手くいって機嫌よく碧へ

の手土産に美味いと評判の洋菓子店でケーキを買うと、意気揚々と玄関のドア

を開けた。


すると、玄関の脇に一人ポツンと座る碧がいた。


俺が家を出る時には、いつものように穏やかな笑顔を向けていた碧だったが・・・今、目の前にいる碧からは微塵も感じられない


この短時間に一体何が起きたのか・・・。


「・・・ただいま。」


「お、おかえりなさい。」


そう言いながらも碧の目は落ち着きなく、そして申し訳なさそうな顔をしなが

らも覚悟を決めたという感じで、オズオズと口を開いた。


「あ、あの・・・実は・・・たまたま作業部屋のドアが開いていて悪いとは

 思ったんですけど、部屋を覗いたら沢山素敵な画があって気がつくと中に

 入っていました・・・。

 それで・・・あの・・・ベージュの布の掛けてあった画があってダメだと

 は思ったんですけど・・・見てしまいました。

 大事な画だったんですよね・・・・ごめんなさい。」



「・・・そうか、見たのか・・・・。」



碧のすまなそうな顔を見ていると、画を見られたことに怒りなどは湧かず、

不思議と見られたのが碧で良かったと思う自分がいた。


そして、碧に自分の過去を聞いてほしいと思った。


「碧、コーヒーでも飲みながら俺の話を聞いてくれないか?」


俺は碧にそう声を掛けると、リビングに向かった。


「碧、今日は仕事が上手くいって、お土産にケーキを買ってきたんだ。

 美味しいって評判の店だから、一緒に食べよう。」


俺がそう声をかけると、まだ申し訳なさそうな顔をしていた碧も心なしか

嬉しそうに皿を出してくれた。


ケーキは苺ののったショートケーキ


碧は嬉しそうにケーキを頬張っていて、さっきまでの沈んだ気持ちも少し落ち

着いたようだった。


ケーキを食べ終わり、コーヒーを一口飲むと俺は、遠い昔を思い出しながら口

を開いた。


「さっきの話だけど、つまらないかもしれないが俺の昔の話を碧に聞いて

 ほしい・・・。」


碧は俺の目をその明るい栗色の瞳で真直ぐと見て、コクンと頷いた



「俺にはかけがえのない大切な友人が二人いた。

 二人共、高校の同級生で一人は成海 俊ナルミ シュン

 俊は、明るく活発で誰からも好かれているような太陽のような奴

 もう一人は、俊の彼女で佐藤 梨花サトウ リカ

 二人はとても仲が良くて、俺はそんな二人が大好きだった。

 

 俺は元々こんなんで、口数も少なかったし近づき難い雰囲気もあったのか、

 友達はいなくていつも一人でいたところに、俊が声を掛けてくれたのが

 きっかけだった。


 気さくで穏やかな俊に、俺も直ぐに打ち解けていったんだ。」


「俺はずっと画家になりたいという夢があった。

 俊と梨花は俺の夢を応援してくれて、俺は芸大になんとか合格できたんだ。


 俊と梨花は地元の大学に一緒に進んでいて、俺達は大学は違えど休みの日

 には会ったりして、ずっと付き合いは続いていた。


 芸大を卒業すると、俺は画家としての生活を始めた。

 でも・・・現実はそんなに甘くはなくて、仕事もなかなか無く食べるのも

 やっとという生活を送っていたんだ。

 それでも、二人は俺には才能があるって言って、食事を食べさせてくれた

 り、いろいろ応援して励ましてくれた。


 そのうち二人が結婚することが決まったんだ。


 俺は勿論、祝福した。

 大好きな二人が幸せになるのを心から喜んだんだ。」



俺はここで一旦話を止めて、碧を見た。


真剣な眼差しが俺に向けられている。


俺は、コーヒーを一口飲むと、続きを話出した。



「幸せの絶頂にいた二人に、思わぬ不幸が訪れた。

 俊が事故にあって、帰らぬ人になってしまった・・・。


 俺が事故の知らせを受けて病院に行った時に目にしたのは、ベットの上で

 動かなくなっている俊に縋り付いて泣く、梨花の姿だった。


 俺は、俊の死にショックを受けながらも、頭のどこかで悪魔の囁きを聞いて

 しまったんだ。」



俺の言葉に、碧がハッと息を飲んだのが分かった。


「俺はね、俊が本当に好きだったけど、梨花の事は女として好きだった。

 でも・・・大好きな二人だったから、自分の気持ちに蓋をしていたんだ。


 碧がみた画は、大学の頃に俺が描いた『梨花』だ。

 画の中なら、俺の気持ちも許されるような気がしたんだ・・・。


 

 俺は俊を失った梨花を必死に支えた。

 画の事も忘れて、梨花にいつでも寄り添っていた。

 自分では、出来るだけのことをしているつもりだった。

 そして、あわよくば俊の代わりになれるんじゃないかとすら思っていたんだ。


 俊が亡くなって、半年経った頃、梨花の様子も大分落ち着いてきていて、俺は

 梨花に自分の気持ちを伝えようと指輪を用意して、梨花に会いに行ったんだ。


 そしたら、部屋の鍵は開けっ放しで肝心の梨花はいなくて、テーブルの上には

 俺宛のメモがあった。


 何て書いてあったと思う?


 『俊のいない人生なんて、意味がない。

  私には、俊だけ。

  今まで、ありがとう。  

  さようなら。      梨花』



 次の日、この近くの海岸で梨花の遺体が上がった。



 それが、今から10年程前の話。


 それから俺は画が描けなくなった。

 何もする気が起きなくて、身も心も疲れ果て倒れてのがこの場所

 で、助けてくれたのが中川だ。



 そして、今の自分がここにいる。」


話し終え碧を見ると、瞳からは静かに涙が流れている。


だが、碧はそんなことにも気づかないようで、ただ俺を見詰めていた。


俺は、無意識のまま碧の目元に指を這わせて涙を拭っていた。



不思議と今は心が軽く感じる。


まるで、今まで縛られていた自分の中の呪縛から解き放たれたそんな解放感

があった。


「碧がこうして俺の側にいてくれるから、俺は救われる。」


「私が・・私が蒼さんのお役に立てるなら、こんなに嬉しい事はないです。」


目を赤くしながらも、無理に俺に向け笑顔を作ろうとする碧を気がつくと抱き

しめていた。




「少しだけ・・・このままでいさせて・・・」



「・・・はい。」




碧は静かに俺の背に腕を伸ばし、俺は無言のまま碧の首元に顔を埋めた。

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