第7話 Bleu Azur

_________Bleu Azurブルーアジュール



           by. 江波 圭太エナミ ケイタ




琢磨タクマさん、お願いします!

 その子、アオイちゃんって言うんですけど、記憶喪失で・・・

 俺、少しでも力になってあげたいんです!」


俺は必死になって、目の前で煙草をふかし、椅子に踏ん反り返っている

弁護士の斎藤 琢磨サイトウ タクマさんに頭を下げ頼み込んでいた。


琢磨さんは、「フ~」っと煙草の煙を吐き出して俺と目線を合わせた。


「あ゛~、分かったよ。

 他ならぬ圭太の頼みだし、その碧ちゃんの件引き受けよう。

 それに、そこまで必死に頼むってことは、アレだな?

 圭太、その碧ちゃんに惚れてるだろ?」


見透かすような目で俺の事をみる琢磨さんに、慌てて言葉を返す。


「な、何言ってるんですか!

 俺は、ただ人助けを・・・」


「まぁ、分かった、分かった。

 で、先方は何時でも都合つけられるのか?」


「あ、はい!それは大丈夫です。

 碧ちゃんにも確認してあります。」


「じゃあ・・・・明後日の10時に事務所に来るように伝えてくれ。」


「あ、ありがとうございます!

 俺、どうしても一番信頼できる琢磨さんにお願いしたかったから・・。

 よろしくお願いします!」


俺は90度の角度で深々と頭を下げた。


琢磨さんにお願いできることで、意気揚々と事務所を出ようとしていると


「圭太、頑張れよ!応援してるからな!ガハハハハ!」


最後の笑い声は余計だが、琢磨さんの大きな声が俺の背中にかけられた。


チクショー、俺で遊んでやがる!!


嬉しいような、恥ずかしいような気持ちで事務所を後にした。


俺は昔から害が無いように見えるのか、どちらかと言うと人に好かれる

タイプの人間だった。


だが、生真面目で奥手な性格故に、いつもここぞという時には、友達どまり。


警察官という多忙な仕事も重なり気がつけば27歳になっていた。


俺には出会いはないのかと諦めかけていた時、運命の出会いというか

一目惚れをしてしまった。




その日は、病院から海岸で発見された女性が記憶喪失のため、身元が判ら

ないという通報を受け、その病院に相棒の安藤久美子と共に訪れていた。


俺達の応対をしたのは、30代中頃の医師、中川 真也ナカガワ シンヤだった。


「ご足労お掛けします。

 昨日、近くの砂浜で発見された女性なんですが、外傷は特にないものの

 衰弱が激しく、声も美味く出ない状態です。

 検査していたところ、自分の名前も何故砂浜で倒れていたのかも、何も

 記憶がないという事が分かりまして、ご連絡しました。」


温和な印象の中川医師の説明を聞き、安藤と目で頷き合う。


「分かりました。では、その女性の元に案内願えますか?」


「はい、こちらです。」


中川医師の後に続き俺と安藤は白い廊下を進んだ。


やがて、一つの病室の前で足を止めると、こちらを見て扉をノックした。


「はい、どうぞ。」


中からは、低めの男の声が聞こえてきた。


病室の中に入ると、ベットの脇に長身の男が立っていた。


色白で線の細い男、中性的な顔立ちだがどこか冷たさを感じるイケメンだった。


そして、視線を横にずらすと、ベットの上に座り男の腕を掴む綺麗な女性。


青白いくらいに透き通るような白い肌、腰まであるだろう長い髪、大きな目に

薄い唇はほんのりと紅く色づいていて、まるで人形のようだった。


“こんなに綺麗な人がいたのか・・・”


俺は女性の儚げな姿に一発で心を奪われてしまった。


俺は男のジャケットの裾を掴んで離さないその姿に嫉妬の気持ちを覚えたが、

隣の安藤の存在に気づき、気持ちを取り直して一通り事情を聴き始めた。

話の途中、第一発見者の男がジャケットの裾を掴む手に自分の手を重ねる姿

そして、その行為に安心する顔をみせる女性に堪らない気持ちになりながらも

何とか心を鎮め事情を聴き終わった俺達は一先ず帰る事にした。


署に戻って女性に関する手掛かりがないか調べるものの、失踪届け、捜索願い

などにも女性に当てはまるものは一切無かった。



それから記憶喪失の女性の退院まで俺はその顔見たさに、捜査報告という

名目で病院まで何度か足を運んだ。


何度目かの訪問の時、女性から声を掛けられた。


「あの、刑事さん。

 私、取りあえずですけど名前が出来たんです。

 蒼さんが付けてくれたんですけど、『アオイ』っていうんです。」


「碧さんですか・・・素敵な名前ですね。」


碧という名前は女性にとても似合っていたが、その名前を付けたのが自分で

はない事に少なからずショックを受けていた。


俺は上手く笑えているだろうか・・・。


名前と共に俺に伝えられたのは、もっとショックな事実だった。


「後、私ここを退院したら蒼さんのお宅でお世話になることになったんです。」


「そ、そうなんですか!?」


「はい、行くあてのない私を心配して空いてる部屋に住まわせてくれるのと

 蒼さんの家の家政婦さんとして働く事になりました。」


嬉しそうに話す碧さんにやりきれない思いが込み上げる。


だが、今はまだ碧さんにとって俺は捜査報告を知らせてくれる一刑事でしか

ない。


丁度その時、病室の扉がノックされ氷室蒼が入って来た。


「あ、蒼さん!」


碧さんの嬉しそうな顔に、また俺の心がギュッと掴まれる感覚がした。


「刑事さん来てたんですか。

 どうですか?その後、碧の身元に関する情報はありませんか?」


「はい、今のところ変わり無しです。

 ところで、俺から少し提案があるんですがいいでしょうか?」


「提案とは?」


「今後の生活を考えると戸籍がないことは大変だと思います。

 なので、戸籍を取得してはどうかと思うんです。

 考えが決まったら良い弁護士を紹介するので、連絡をください。」


そう言って自分の名刺を氷室に渡した。


少しでも碧さんとの接点を持ちたかった俺の咄嗟に出た、苦肉の策だった。


「確かにそうですね。

 退院して落ち着いたら碧と話してみます。

 お忙しいのに、お気遣いありがとうございます。」


氷室は俺の下心には気づかない様子で、頭を下げていた。


そして今日、やっと碧さんから連絡を貰いこうして弁護士の琢磨さんの所へ

来ていたのだった。



琢磨さんのOKの返事を貰い、俺は意気揚々と氷室邸に向かっていた。


碧さんに会えることは嬉しいが、あの氷室も一緒らしい。


俺は、あのどこか影のある冷たい印象の氷室を思い出していた。


例え自分が助けた相手だとして、見ず知らずの人間を雇い、住む場所まで

与え面倒をみているのは、単に親切心からなのか、それとも・・・・。


俺は浮かんでくるもう一つの可能性を考えたくなくて、頭を振って思考を

シャットダウンした。



俺は小高い場所に建つお洒落な北欧風の家を見上げた。


「・・・ここか。」


広い敷地に建つ一軒家、俺の給料ではとても手の届かないような家。


俺はバックミラーで身だしなみを確認すると車から降り、玄関に向かった。


インターホンを押すとパタパタと足音が聞こえ、程なくして碧さんが顔を

出した。


二週間ぶりに見た碧さんの顔に、俺はそれまでの憂鬱な感情はどこかに

飛んでしまった。


「久しぶり、元気そうだね。」


「はい、お陰様で楽しく暮らせています。

 今日は態々ありがとうございます。

 どうぞ上がってください。」


碧さんがにこやかにそう言って、スリッパを俺の前に出した。


碧さんに案内され通されたのは、広いリビングだった。


ソファーには、この家の主である氷室蒼が座り、無表情のまま俺を見ていた。


俺は碧さんに促されるまま、氷室蒼の向かいのソファーに腰を下ろす。


碧さんは、キッチンに向かったと思うとコーヒーを持って俺の前に置いた。


「江波さん、どうぞ。」


「ありがとうございます。」


コーヒーを一口飲むと、ほろ苦い味が口の中に広がった。


「江波さん今日はご足労頂きありがとうございます。

 碧の戸籍の件で、弁護士さんはどんな感じですか?」


氷室蒼がそう聞いてきた。


「はい、時間は少しかかるそうですが大丈夫です。

 それと、直接弁護士の先生にお会いした方が良いと思い、先生の都合の

 良い日も確認してきました。」


そう言って琢磨先生の名刺と日時を伝えつつ、俺は浸りの様子を伺った。


特に男女の関係という雰囲気は感じられない。


俺は安堵の息を吐きつつ、コーヒーを飲んだ。


氷室蒼は、保護者の様に碧さんを見ているだけなのかもしれない。


金持ちの道楽なのか・・・


確かに氷室蒼は碧さんよりかなり年上のようだし、兄のように妹を護る

感じなのだろう。



一通りの話をして、俺は席を立つ


「碧さん、心配なことや、何かあったらいつでも遠慮なく相談してください。」


「ありがとうございます。

 江波さんがいてくれて助かりました。

 今後も何かとお世話になるかと思いますが、よろしくお願いします。」


「はい、ではまた顔を出します。」



碧さんの見送りに俺は機嫌よく氷室邸を後にしたのだった。


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