10話 龍の狩人
猫との昼飯を済ませて、改めて姫山の捜索を始める。
今回の目的は、獣型を三体討伐する事。
まだ一匹も討伐して居ないのだが、狩りの邪魔をして居た虫を片付けたので、最初の一匹を見つけるのは容易だった。
「居ました」
木陰に隠れて居た猫が、木の上を指差す。
そこに居たのは、小さい角の生えた茶色い生物。
「飛栗鼠(とびりす)です。普段は活発に動いて居ますが、昼食を食べて休息中の様です」
猫の後ろから首を伸ばして、飛栗鼠の事を眺める。
頭はこちらを向いているが、目は閉じているので、本当に休息をして居る様だ。
「それでは狼さん、狙って下さい」
言われるままに、飛栗鼠に銃口を向ける。
銃を使った事が無いので、どうやって弾を込めるかも知らなかったのだが、昼食後に猫が丁寧に教えてくれたので、弾は既に装填済みだった。
(よーし)
ふうと息を吐き、照準を飛栗鼠に向ける。
照準が合ったら、吐いた息をふっと止めて、飛栗鼠に向けて銃の引き金を引いた。
『パシュン』
独特の発砲音。
放たれた弾丸は小さな弧を描いて飛び、飛栗鼠の鼻先も霞めずに、明後日の方向に飛んで行った。
「……よし」
「何がですか?」
飛び去る飛栗鼠の背中を眺めながら、無言で次弾を装填する。
「狼さん」
「何でしょうか」
「絶好の狩りチャンスだったのですが」
猫から感じる見えない圧力。それを右から左へと受け流して、次の獲物を探す。
「狼さん」
後ろから猫の声。
指を指している方角を見ると、今度は先の尖った尻尾を持つもののけが見えた。
「鎌鼬です。尻尾を研いで居るので、警戒心が薄れています」
俺は頷き、先程と同じ要領で構える。
『パシュン』
放たれた弾丸は気持ち良く宙を舞い、鎌鼬は何事も無かったかのように、自慢の尻尾を研ぎ続けて居た。
「……狼さん?」
「今度は疑問形ですか」
「何故当てられないのですか?」
当たり前の様に言う猫。
そして、これが山に入る前に、兵子が言った『ずれ』の答えだ。
「素人だからです」
そう。
俺は今まで銃を触った事の無い一般人。
体の大きいもののけなら兎も角、猫が言った『小型のもののけ』に、小さな弾を当てられる筈が無いのだ。
「……あ」
ここでようやく、猫がその事に気付く。
「どうして今まで、その事を言わないのですか!」
「いやぁ、何とかなるかなと思って」
「そんな事……!」
途中まで言って、猫が気が付く。
猫に会ってから今まで、俺が猫の事を立てて居たと言う事に。
「あ、貴方は……!」
正面に回り込む猫。
「分かっている事はきちんと言って貰わないと困ります!」
「はぁ」
「まさか! 成章の事も私の事を立てて……!」
それは違います。
そう言おうとした時、彼は突然現れた。
「……ん?」
藪の中から現れた、その男。
刈り上げられた赤短髪に、余裕に満ちた大きな瞳。服装は小物を沢山詰められそうなベストに、迷彩柄のズボンを履いていて、如何にも現代のハンターと言うような姿をして居た。
「おお! 小夜子じゃねえか!」
嬉しそうに目を見開いて、男が猫の名を呼ぶ。
「つう事は、ここは姫山か? 随分と珍しい所に繋がったな」
馴れ馴れしい口調で話し掛けてくる男。猫と知り合いのようだが、どのような関係なのだろうか。
「赤屋敷龍治(あかやしきりゅうじ)。日本の西方にある、不死之山を縄張りにしている狩人です」
「はは、硬え紹介だな」
龍治が軽く笑いながら猫に近付く。
「猫よお。お前はもうライセンス持ちだろ? こんな寂れた山なんて捨てて、とっとと不死之山に来いよ」
「お断りします。私は姫山に愛着がありますので」
「愛着? 単に自分が使える成章を探してただけだろ?」
ここで初めて、龍治がこちらを見る。
「まあ、その銃も、どこぞの素人に盗られちまったみてえだけどな」
それを聞いて、気付いてしまう。
俺の持っている成章こそ、猫が探していた銃なのだと。
「日本屈指の天才狩人、猫屋敷又吉が使っていた銃。まさか素人に懐いちまうなんてな」
龍治から放たれる殺気。
やはりこの銃は、狩人達にとって特別な存在のようだ。
「あの、猫さん」
「何でしょう?」
「龍治さんって、違う霊山の狩人なんですよね?」
それを訪ねた途端、龍治が鼻で笑った。
「霊山ってのは全部繋がってっから、たまに他の山に入っちまうんだよ。そんな事も知らねえのか?」
霊山が繋がっている話は聞いた事があるが、まさか他の山から迷い混む事があるとは思って居なかったので、素直に驚いた。
「不死之山は日本で一番他の山と繋がる山と言われて居て、毎年沢山の狩人が、他の山に迷い込みます」
「そうそう。そんで、俺も不死之山で新卒を引率してたんだが、アイツ素人なのに勝手に突っ込んで死にやがって、俺だけここに来ちまったって訳だ」
嬉しそうに笑う龍治。
一通り笑った後、ジロリと猫の事を見る。
「なあ、猫。お前の引率してるこいつも、素人なんだろ?」
「はい、下界に住んで居た一般人です」
「それならよお……」
龍治が目を細めて、視線だけを向けてくる。
「そいつの成章、奪っちまえよ」
その一言で、場の空気が変わった。
「特性付きの怪物は希少だ。俺でさえまだ持ってねえ。そんな物を素人が持ってたって、宝の持ち腐れだろ」
向けられる明ら様な敵意。
俺はゴクリと息を飲み、ゆっくりと猫の事を見る。
「そんな事が出来るんですか?」
「それは……」
「出来るんだよ」
言葉と同時に放たれる殺気。
「霊山では下界のルールなんて適用されねえ。相手が人間だろうが何だろうが、欲しかったら奪うんだ」
成程、つまりだ。
霊山に入った時点で、もののけを狩りに入った人間も、狩りの対象になると言う事か。
「そう言う事でだ……」
龍治が背中に背負っていた銃を手に取る。
「猫に狩られるか、俺に狩られるか……選べ」
銃口をこちらに向ける龍治。
どうやらこの男は、本気で俺の銃を奪い取る気の様だ。
「……」
俺の横で視線を落として居る猫。
しかし、やがて口を開く。
「狼さんに聞きたい事があります」
猫の眼差しが真っ直ぐに俺を捕らえる。
「姫山に入る前、私に成章を渡そうとした時、残念だと言われましたね。その真意を、もう一度聞かせて下さい」
真剣な眼差し。
俺はふうと息を吐いた後、その問いに答える。
「宝の持ち腐れだと思ったからです」
そこまでは、龍治が先程言った言葉と全く同じ。
しかし、ここからが違った。
「龍治さんも言った通り、俺は銃の扱いに関して素人です。実際に、俺は今までに何度かもののけと対峙しましたが、まだ一度も弾を当てて居ません」
寂しく微笑んだ後、銃に視線を落とす。
「これじゃあ、銃が可哀想だ」
これが、俺が言いたかった真実。
あの時の言葉は、猫の事を哀れんで言った言葉では無かった。
「この銃には、本当に感謝してます。貧乏だった俺をここに導いて、生活費を稼ぐチャンスをくれた。だからこそ、この銃は上手く扱える人に、使って欲しいと思ったんです」
右手に持っている銃を見つめる。
特別な銃、成章。
お前だって、上手く扱える人に使って欲しいだろ?
「……そう言う事でしたか」
下げた視線をゆっくりと上げる。
その先には、静かに微笑んでいる猫。
「狼さんは、馬鹿なのですね」
「まあ、そうかもしれません」
「だからこそ、成章は……」
そこまで言って、言葉を止める。
そして、猫は視線を龍治に戻した。
「どうやら、話は済んだみてえだな」
「その様です」
「そんじゃあ、俺も一つだけ聞いとくか」
龍治がこちらに向く。
その表情は先程までとは違い、真剣な表情だった。
「桧山一狼」
フルネーム。
俺はまだ名前を言っていない筈なのに。
「お前は、まだその銃を手放したいと思うか?」
殺気は既に消えて、輪とした口調で言う。
そんな彼の言葉に対して、俺は。
「……猫さんの様な人になら、渡しても良いと思います」
龍治の左目がピクリと疼く。
「だけど」
成章を強く握る。
「無理矢理奪おうとする人間には……絶対に渡さない」
沈黙。
森のざわめきだけが、三人の事を包む。
そして、俺の言葉を聞いた龍治は。
「……はははは!!」
腹を抱えながら、大声で笑い始めた。
「いやぁ、最高。マジで面白え……」
腹を抱えて笑い続ける龍治。
やがて笑いを抑えて、気合いの入った表情をこちらに向けてくる。
「そんじゃあ! 俺がいっちょその銃を奪ってやるか!」
「この流れで奪うのかよ!?」
「奪う! 俺はそいつが欲しいからな!」
本当に嬉しそうな笑顔。
しかし、先程までとは違い、殺気は放たれて居なかった。
「良かったなあ。成章を狙う最初の狩人が俺でよお」
「いやいや、全然良くないんですけど」
「ああ? いきなり狙撃とかされるよりはマシだろ」
成程。その可能性は確かにあったな。
「そう言うこって、正々堂々の勝負だ。猫は邪魔すんじゃねえぞ」
「お断りします。私は……」
「お前が今こいつを守った所で、いつかは一人で戦う事になるんだよ」
「それも分かっています。でも……」
「一狼がよ!」
森が揺れるかと思う程の怒号。
「一狼が自分で言ったんだろ! 奪う奴には渡さねえってな!」
龍治の言葉に、疚しい事など一つも無い。
霊山でのルールに乗っ取り、狩るか狩られるかの真剣勝負。
彼は俺の覚悟を確かめて居たんだ。
「……」
口を紡ぐ猫。
真剣な眼差しで俺を見続ける龍治。
そんな彼に対して、俺は。
「やりましょう」
驕りと分かりつつも、ハッキリと言い切った。
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