第39話 水は石も動かす

「この穴が出来た当時と今って、何か変化がありますか?」

 桜太は林田から状況を詳しく聞くことにした。これはどうやら地質的な問題だけではない。

「ううん。穴が出現したのは夏だったな。生徒がいなかったことから、悪戯の可能性がすぐに消えたんだった。たぶん、水の動きがその付近で起こっていたからだな。これは今までの検証と矛盾がない。どれ」

 林田は何か変化があるだろうかと井戸の中に頭を突っ込んだ。もさもさの天然パーマのせいで、その様は試験管にブラシを突っ込んだような感じである。大きな穴だが、林田が頭で掃除しているように見えてしまった。

「あれっ?底にあった石が動いているよ」

 そんな失礼な感想を科学部一同が抱いているとも知らずに、林田が頭を突っ込んだまま言った。おかげで声がくぐもっている。

「はい?」

 聞き取れたものの、意味が解らない一同は首を捻った。その息はぴったりである。こういう場面だけ結束力が強まるのだ。

「この下、底に石があるんだけどさ。前は穴の大部分を塞ぐようにあったんだ。それが僅かだが動いている。これが水位が上がる原因だと思うよ」

 林田は試験管ブラシと化している頭を抜いた。抜けた瞬間にぼあっともさもさの天然パーマが広がって揺れる。

「石が動いている。それは当然、大きなものですよね?」

 石にすかさず反応するのは松崎だ。鉱石を愛しているだけあって、石という単語は聞き逃せない。

「ええ。動いたおかげで大きさが解りますが、井戸の直系より少し小ぶりという感じですよ」

 井戸の上に覆い被さって林田は腕で大きさを表現する。

「ということは、水が流れているだけでなく石を押し流しているんですね。ひょっとしてこの井戸も、石が動いた結果ということですよね?」

 予想外の石問題に、迅が信じられないといった声を上げた。これは前代未聞の地盤沈下である。

「小さい流れとはいえ、吸い込むのがすぐに解ったほどだ。威力は強いかもしれない」

 そう指摘したのは莉音だ。桜太と同じく地質以外の原因があると察知したのだ。これはただの地盤沈下ではなく力が関係している。

「つまり水圧ですね」

 そうにんまりと笑ったのは、フィールドワークは嫌だと文句を言っていた優我である。これはもう力学の問題だ。ということは物理で解決できる。

「水が横に流れたせいで土壌が緩み、石が動いた。それで一番弱っていたここが落ちたっていうことか」

 楓翔も物理的に考えることに賛同した。井戸がただの地盤沈下ではない以上、水圧を問題にすることに異論はない。

「物理か」

 桜太も自分の出番が回ってきたかと笑ってしまう。部長なのに推理を聞くだけというのは悲しいのだ。

「問題は石を押せるほどの力があるかだな。水圧だけではなく気体による圧力も考慮しなければならないかな」

 莉音が新たな指摘をする。

「ふむふむ。そうなるとモデル化は可能かもしれないね」

 林田もにんまりと笑う。どうにも林田の興味は化学だけに収まらないらしい。そんな林田を、松崎は見直したようであった。鉱石を褒められて以来の笑顔を見せている。これは本当に恋が始まったのだろうか。

「計算だ」

 数字中毒の迅が喜んだ。迅の本音も優我と大して変わりがなかったとはっきりしてしまう。

「ううん。これが科学部の解決法か」

 ちょっと憧れの番組とは違う展開に悩む亜塔だが、科学部らしいと納得できるものだった。





 さて、化学教室に戻ると早速黒板には簡単な図が林田によって描かれていた。林田によるモデル化であった。

「こういうことだな。よくある気体の問題に使われるピストンだ。これが流体で起こっている」

 林田の簡潔な問題設定に、全員が頷いた。気体と液体と考えると面倒だが、ピストンの運動があると思えば簡単である。

その結束した様子に、ますます林田の評価を変えたのが松崎である。自分では今一つまとめきれていない科学部がこうして一つになるとは驚いてしまった。

「ピストンですか。何だかセンター試験の問題みたいですね」

 桜太は思わずそんな感想を漏らしてしまった。入試問題は現実には役立たないだろうと考えていたが、意外と役立つ瞬間があるものだ。

「そうだな。石を押すのに利用されるのが水っていうだけだ。それにしても、あの土壌は何かを押しても大丈夫なほど固いのか?」

 ふと基本に立ち返ったのは芳樹だ。圧力を掛けるにしても、ピストンの役割を果たせなければ意味がない。

「固いと思いますよ。田んぼに使われる土壌は水はけが悪くないと意味がありません。水を溜めるんですからね。周りの土も粘土質だと考えて問題ありません」

 楓翔がすぐに補足した。物理に問題を取られて不満だったが、まだ地質学が役に立つようだ。

「つまりあれだな。絶えず流れているから押されたのではなく、田んぼを使う時に流れているせいで押されたんだ。一瞬の力と考えたほうがいいんだろうな。ピストンできゅっと押すように。ということは、最初に田植えする時が問題なのか」

 桜太は言いつつこれは対策が必要なのではと思った。七不思議の解明をするはずが学校の地盤崩壊を発見している。このまま田植えシーズンで水を使う度に石が押されれば、そのうち他の崩落も招く。

「そうなると、水圧の発生を抑えたほうがいいよな。あの入り口を大きくしてしまって、高圧力を生まないようにするとか」

 優我も同じように地盤の危機に気づいた。押しているということは、あの石が地面を掘削しているようなものである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る