第40話 あちこち傾斜のある学校

「そうか。小さな流れに一気に流れる瞬間が一番危ないのか」

 千晴が桜太たちの危惧を解りやすく言い直した。

「穴を大きくできないなら、井戸の方に石を入れて底にある石に届かないようにするしかないな。押せないほど重くすれば問題ない」

 具体策を述べたのは芳樹だ。常識的な意見に誰もが納得したが、芳樹は捕まえた7匹のカエルに夢中だった。こういう残念な一面があるのも科学部ならではである。

「これはもう学園長に打診したほうがいいでしょう。松崎先生、ついて来てください」

 林田は急に男らしくなって松崎を引っ張っていく。

「は、はい」

 その松崎の顔が物凄く嬉しそうなことに、科学部男子は騒めいた。なるほどギャップに女性が弱いというのは本当だったかと納得する。この井戸問題よりもすぐに二人の恋に目がいってしまうのは、変人と言われていても男子高校生だからだ。恋に憧れるのは誰でも同じである。

「あれ?」

 二人が教室を出て行こうとした瞬間に廊下を走って行く足音が聴こえ、桜太は首を捻った。誰かこの廊下を歩いていたのだろうか。人の少ない北館にしては珍しい。

「さて、何だか井戸はこれで解決だな」

 亜塔は机に置いていたヘルメットを寂しそうに見つめる。結局は探検といかなかった。

「なあ。穴の大きさってどれくらいだった?」

 具体的な対策は先生たちが考えてくれると解った桜太はのんびりと問題の検証をしたかった。このままではピストンに単純化した問題は役に立っていない。

「浮が余裕で通っていたからな直径が15センチ前後といったところじゃないか」

 楓翔が指で大きさを作って示した。

「結構小さいな。だから水を流した瞬間に高圧力が可能だったのか」

 桜太は水の流れも甘く見ては駄目だと思ってしまう。

「それに吸い込むことが解るくらいだから、田んぼから井戸に向けては傾斜があるんだよ。地面は真っ直ぐだけどね」

 優我がさらに圧力が上がる可能性を挙げる。

「傾斜」

 何だか図書室の問題を思い出す言葉だ。桜太はこの学校はあちこちに傾斜があるのかと怖くなる。まあ、経営は傾いていないようなのでいいかとも思う。生徒数も多いし、一応はこの辺りでは進学校と言われている。

「流れ込む水の量の大きさもポイントだろう。田んぼから井戸までの距離は400メートルくらい。井戸に流れ込む水の流入口を簡単化して15センチ四方とすると、一回で流れ込む水の量は9立方メートル。要するにあの水路には90リットルの水が入れる。よく売られている水のペットボトルが2リットル入りであることを考えると、45本分。その重さが石に掛かったと思えば動いても不思議ではない」

 林田が惚れた理由の解る淀みない説明を莉音がした。大学で理論物理をやろうと考えているだけあって、数字を用いた説明もお手の物だ。

「ううむ。やはり父上と呼ぶ日は近いか」

 桜太は思わずそんなことを思ってしまう。菜々絵がこういう理論的な思考の出来る学生を見逃すはずがない。それだけでなく告白までされたのだ。もう特別な感情を持っているのではと疑ってしまうところだ。アメリカで自分の研究に奮闘している父上には悪いが、離婚の危機は迫っているだろう。

「おおい。学園長がすぐに対策を取ってくれるってさ」

 そこに林田と松崎が戻ってきた。何と二人は行った時と同じく手を繋いでいる。

「よっ、ご両人」

 酔っ払いのような声を掛けるのは亜塔だ。これには林田と松崎は顔が真っ赤になる。

「理系の春の訪れは予測不能だな」

 芳樹はそんなことを言っている。いつもは亜塔の暴走を止めるというのに、この場では止める気なしだ。

「あっ、もう」

 松崎が急に乙女らしい恥じらいを見せた。優我の首根っこを掴んでいたとは思えない可愛らしさだ。

「す、すみません」

 アイドルへの愛はストレートに表現できるが、大人の女性は苦手な林田もしどろもどろである。

「今更なんだ。電話番号を交換しろ!」

 亜塔はまだ酔っ払いのような絡み方をする。意外と暑さでやられたのは亜塔かもしれない。強い日差しの中ヘルメットを被っていたせいだ。

「電話。これです」

 慌てた林田は思わずスマホをそのまま渡してしまう。その様子に科学部は大笑いだ。

「――大倉。後で覚えておけよ」

 しっかりと林田のスマホを受け取った松崎だが、この恥ずかしい展開を起こした亜塔をしっかりと睨みつけている。

「こえっ」

 迅が亜塔の代わりにそう言ったところで、この井戸問題は本当にお開きになった。だが、この井戸問題が科学部に思わぬ展開をもたらすのだが、それに気づいているメンバーは誰もいないのだった。

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