第11話 音楽室へGO!
「要するに今から三角形の頂点を求めにいくんだろ?」
ついに優我が身も蓋もないことを言い出した。しかも準備する気もなくまだシュレーディンガーの猫について書かれた本を読んでいる。量子力学においてシュレーディンガーの猫はメジャーな話題なのだ。けっしてシュレーディンガーの飼い猫の話ではない。
「そうだよな。線が集中する場所なわけだし、三角形になるよな」
それに乗っかるのは亜塔だ。科学部の危機を救出に来たはずなのに、いつも論点をずらしていってくれる。すでに黒板に正三角形を描いていた。
「両端の目を各点とするわけです。そうすれば残りの頂点はすぐに解ります」
そこに迅まで加わり始める。先ほどの莉音へのアドバイスといい、彼も計算する気満々だ。どうにもこのメンバーは理論型のようだ。すぐに実測とはいかないらしい。迅のやる気が10秒しか持たなかったことでもよく解る。
「そうだよな。端と端が合えば、間なんてどうでもいいよな。絵が点在しているわけないし」
ついに生贄、ではなくまとめ役の芳樹まで加わってしまう。その手にはちゃっかりカエルの入った水槽が握られていた。
「おおい。例題からその態度は止めろ」
黒板に集まる面々に、桜太は悲しい気分になりながら注意した。桜太だって三角形を描き出せればいいことに気づいている。しかしそれでは例題として使う意味すらなくなるのだ。せめて実際に行ってどう怖いのかを検証してもらいたい。
「いいじゃないか。理論値と実測値を合わせれば問題ないだろ。正三角形のモデルを利用してだな」
さらに優我まで参戦し始める。こういうモデル化をするのは物理学の得意分野なのだ。
「ストップ。行かないとまた井戸の時のような検討違いを起こすぞ」
莉音がここではまとめ役になってくれた。さすがは三年の中でまともな人物である。ここで彼まで物理談議に加わったら終わりだった。
それに井戸というキーワードに全員が止まったので助かるところだ。あれは思い切り失敗している。
「そうだよな。不思議でなければ見向きもされないんだ」
亜塔が悲しそうに呟いた。これはこれで楽しいというのが伝わらない現実を儚んでいるらしい。
「よし。ここにいては駄目だ。諸君、メジャーだけ持って行くぞ」
桜太はもう準備するという行為を放棄した。ここで時間を使えば使うだけ変な方向に流れていく。放っておけば理論値も立派に弾き出されてしまうだろう。
ぞろぞろと科学部メンバーが向かう音楽室は北館の五階にあった。五階は二階と違って日当たり抜群で風通しもいいのだ。なぜなら高さとして南館の影になることもないし、北側に広がる木々の邪魔も受けない。おかげで二階から上がると別世界だった。
「あの、大丈夫ですか?」
音楽室を覗くとまだ生徒が何人か残っており、さらにピアノに向かう顧問の見延健吾を取り巻く女子たちもいる。吹奏楽部は活気のある部活なのだ。桜太は気が引けてしまう。ちなみに顧問の見延は定年間近の丸眼鏡を掛けた好々爺風の人物だ。
「ああ、大丈夫だよ。松崎先生から聞いている。君たちは邪魔しないようにね」
見延はイメージどおりの優しい声で答えた。しかも吹奏楽部のメンバーに声を掛けて協力するようにしてくれている。
「何、あの眼鏡集団」
「さあ」
音楽室にぞろぞろと入ってきた科学部のメンバーを見て、見延の傍にいた女子たちが口々にそんな感想を言う。おそらく彼女たちは文系なのだ。変人の吹き溜まりとの噂すら届いていない。
「私は眼鏡じゃないのに」
ぼそっと千晴は呟いていた。しかしこれは不可抗力である。八人中七人が眼鏡。つまり眼鏡着用率は87.5パーセントにも上る。これでは誰が見ても眼鏡集団だった。
「これが問題の肖像画か」
亜塔がじっと肖像画を見つめた。肖像画はピアノのある入り口から奥に進んだ掲示板に貼られていた。そこには五枚の絵がある。どれも有名な音楽家のはずだが、亜塔には誰が誰だか解らない。おそらく中学で習っているのだろうが、そんなものは忘却の彼方だった。
「五。素数」
小さく呟いてほくそ笑むのは迅だ。さすがは素数大好き人間。こんな場面でも反応してしまうらしい。横にいた千晴は思わず引いた。
「何が怖い原因なんだろうな」
話が逸れない内にと桜太は咳ばらいをして切り出す。このままではまた怪談要素が抜け落ちてしまう。
「たしかに。あからさまに目線が合うっていう代物ではないんだ」
話を拾ってきた千晴は協力する。五枚の絵は確かに左を向く絵が右側に、右を向く絵が左側にあって目が合いそうだが、すぐに全部と合うということはない。
「ある程度の距離が必要に決まっているだろう。五つの点がちゃんと交わらないと」
何を今更という調子で優我が話の腰を思い切り折った。もう目ではなく点と言っている時点で回復不能なほど三角形の問題になっている。
「そうだな。体感してみるのが手っ取り早い」
ここでは生贄としての心意気を発揮した芳樹が話をまとめる。もう亜塔だけの暴走では済まないのだ。
提案に従って八人は後ろに下がり始めたが、すぐに誰かとぶつかって無理だと気づいた。絵の幅からしても八人同時に眺めることは出来ない。
「この辺ですか?」
「あれだ。あの真ん中の白髪が中途半端なところを向いているんだ」
最後まで押し合いへし合い検証しているのは楓翔と亜塔になった。二人は井戸での意気投合以来、仲が急速に良くなったらしい。その二人の位置はどんどん左にずれていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます