第36話 所帯じみてきた俺たち

 つむぎが我が家の食卓を担当するようになって、10日が過ぎようとしていた。そんな日の夕方、俺はパソコンの前に座って、画面とにらめっこしていた。


 表示されているのは母さんが入院してからの家計簿。表計算ソフトで管理しているのだが、母さんが入院する前から家計簿にデータを入力したり管理するのは俺の役割だった。


 アプリを使えばいいのにと言われる事もあるが、自分で管理した方が細かく支出を把握できるので、表計算ソフトを使っている。


 それを初めて見た紬の反応はというと。


えにしちゃん、細かすぎですよ」


 というものだった。わかりやすくするために、行ごとに色を変えたり、支出の内訳を円グラフにするマクロを自分で書いたりしていたが、やりすぎだっただろうか?


 それはさておき。


「その。どうでしょうか?」


 横に座った紬がおそるおそるといった様子で聞いてくる。


「ちょっと夕食費が予算オーバー気味だな」


 我が家の月の食費は、一家3人で合わせて8万円が目安だ。母さんが入院して、紬の分が加わったので、トータルでは同じくらいになるはずだ。


「うう。別に贅沢をしたつもりはないんですけど……」


 悩ましげな声を漏らす紬。


「もうちょっと、肉を減らしてもいいんじゃないか?」

「鶏肉だともうちょっと安くできますけど……」

「けど?」

「あんまり鶏肉料理のレパートリーが無いんですよ」

「どうしたものかな」


 役割を買って出てくれた紬に、ああしろ、こうしろというのは筋違いだと思う。


「いっそのこと、気にしないことにするか」

「い、いいんですか?」

「ぶっちゃけ、母さんが入院している間だけだからな。ちょっと足が出ても気にしないでいいんだよ」


 我が家は困窮しているわけじゃないし、紬に苦労を背負わせたくもない。

 そう思って言った言葉だったが-


「いえ、やります!引き受けたんですから、予算の内に収めるのも仕事の内です」


 と、紬はやる気の様子。なんだかんだ言って、責任感が強いからな。


「よし、わかった。とりあえず、買い出しに行くか」

「はい!」


 というわけで、近所の大型スーパーに出かけた俺たち。カートを押しながら、二人で食材を見て回る。


「そういえば」

「はい?」

「いや、こういうのにも慣れて来たよなって思って」


 こうして、食材の買い出しに二人で出かける光景がすっかり日常になっているのにふと気がついて苦笑する。


「は、はい。その……」

「どした?」


 何か言いかけたまま、口を噤んでしまった紬。

 なんだかもにょもにょしているが、一体どうしたのか。


「いえ。なんか、ちょっと、夫婦みたいだなって思いまして」


 少し恥ずかしそうに、そんなことを言われると、こっちも照れてしまう。


「あ、ああ。そうかも、しれない、な」


 妙に意識してしまい、ぎこちなくなってしまう。


「あ、別に、お嫁さんになりたいなーとかそんなんじゃないですよ!?」


 早口で、慌てて付け足す紬。


「俺は、できればそうなりたいと思ってるが」

「は、はい。私も、本当は、いつかそうなれたらなーって思ってます」


 結婚して、こいつと夫婦になって、こうやって買い物に来ている、

 どこか遠い未来のことをふと考えてしまう。


「俺は、そうなったらどうしてるんだろうな」

「そりゃ、就職してるんじゃないですか?」

「いや、どういうところで働いてるのかなと」

「縁ちゃんなら、物作りとか向いてると思いますよ」

「そうかあ?」

「そうですって、絶対」


 そんなことを話しながら、カートに食材を放り込んでいく。


「私は、何してますかね」

「案外、接客とか向いてるんじゃないか」

「そう見えます?」

「礼儀正しいし、言葉遣いがしっかりしてるし、それに……」

「褒めすぎですよ、もう」

「いや、ほんとのことだって」

「でも、主婦とかも案外あってると思うんですよ」

「主婦!?」


 共働きの家庭で育ったこいつにしては意外な意見だった。


「やっぱり、子どもに寂しい思いはさせたくないですし」

「おいおい。そこまで考えてるのかよ」

「だって、夫婦になったら、と思うとその先まで考えちゃうじゃないですか!?」


 真っ赤になって抗弁する紬。一体どこまで未来のことを妄想していたのか。


「いや、子ども産むとかの前に色々あるだろ」

「そりゃそうですけど!」


 そんな事を言い合っていると、周りのお客さんが俺たちの事を見ているのに気がついた。なんだなんだといった様子で周りから見つめられて、いたたまれなくなる。


「……とりあえず、静かにしようか」

「……そうですね」


その後は、言葉少なに買い物をすませてスーパーを立ち去ったのだった。

教訓。時と場所は弁えよう。

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