第71話 ゴースと星辰教団


「想像以上にうまくいっとるのぅ」



 暗く湿った洞窟の奥で、ゴースは上機嫌に笑う。

 正直に言ってここまでうまくいくとはゴースも考えていなかった。

 洗脳した魔物からの報告によれば、あれ以来信太郎は戦場に出られず、魔導戦姫リリアにいたってはまともに睡眠がとれずに衰弱しているとのこと。

 かつて自分を苦しめたあの二人――信太郎やリリアに嫌がらせが出来ればという浅い考えでやってみたのだが、予想外の成果に笑いが止まらない。



 洗脳した兵士を脱走させ、数百人規模の山賊団を結成させて国土を荒らしまわる計画もうまくいっている。

 片っ端から畑を焼いて毒をバラ撒かせているため、まともに作物が取れるようになるまでかなり時間がかかるはずだ。

 今のところゴースの計画は順調に進んでいる。

 仮に今回の戦で魔物側が負けたとしても、人類が立て直しにかかる時間は膨大なものとなるだろう。

 不満があるとすればそれはただ一つ。



「時間がないのぅ……」



 星辰教団が定めた総力戦の日まであと1ヶ月もない。

 もう少し猶予を与えてくれれば魔物の勝ちは決定的だというのに。

 だがそれも仕方のないことだろう。

 星辰教団は人類どころか魔物の味方ですらないからだ。

 教団の行動理念はただ一つ。

 彼らが崇める邪神を楽しませることだけだ。

 どうやら邪神たちは人類と魔物を使った戦争ゲームに興じているらしい。



 彼らは分かりきった勝敗を何より嫌う。

 人類と魔物サイドにそれぞれルールを守った上で力を貸し、対等な条件にする。

 そして力を貸した存在がどのように力を使うのか、どのように活躍し、どのように死ぬのかを見て愉しむのだ。



(ずいぶんと悪趣味なことじゃのぅ)



 ゴースは諦観に満ちた表情でため息を吐く。

 ゲームの駒として扱われ、憤る気持ちはゴースにだってある。

 だが邪神どころか星辰教団にすら勝てない以上、頭を垂れて服従するしかない。

 今は己の境遇を嘆くよりも、総力戦の時までに少しでも勝率が上がる方法を考えた方がいいだろう。

 総力戦の場所をどこにするか考えようとしたゴースだが、酷い刺激を伴った悪臭を感じ、嫌そうにその方向へと視線を向ける。



 洞窟の壁穴から突然煙が噴き出し、そこから骨と皮だけになった犬の頭が飛び出してきた。一見すると犬のようにも見えるが、その体はヘドロを無理やり犬の形に塗り固めたようであり、実に醜悪な姿をしている。

 その怪物は長い針のような舌で舌なめずりをしながらゴースの前まで歩いて来た。



「……ティンダロスの猟犬か。何用じゃ?」


 ≪我ラガ主ガオ呼ビダ、イツモノ場所ニ来イ≫



 耳にするだけで身の毛のよだつ声でそう伝えると、ティンダロスの猟犬は溶けるように姿を消す。

 周囲に酷い悪臭が漂い、ゴースは翼を動かして匂いを散らそうとするが、その匂いはまるで空間に染み付いたように消えない。



「ここは臭くて使えそうにないのぅ」



 悪臭に満ちた洞窟の中、ゴースはうんざりした表情で呟いた。




 ◇


 一筋の光すら差さない闇の中で、ゴースは回廊を下っていく。

 ここは星辰教団の秘密基地の一つだ。

 なんでもこの世とあの世の狭間にあるらしい。

 最初は来るだけで不安で気が狂いそうになったこの道にも慣れてしまった。

 そのまま歩き続け、ゴースは何もない最深部に辿り着く。

 その直後、一瞬の浮遊感を感じると共にゴースの視界が暗転し、景色が切り替わる。転移門≪ワープゲート≫を潜ったのだ



 目を開けたゴースは荘厳な神殿の中に立ち尽くしていた。

 石造りの神殿は見ているだけで心が不安定になる石像ばかりで、ゴースは目を細めて直視しないように祭祀場へと向かう。

 門を潜ると祭祀場の中央に巨大な水晶が嵌め込まれた祭壇が見え、その周囲に人影が見えた。



「お早いお着きですねぇ、ゴースさん」


「……トードスか。まぁ、呼び出しに答えぬわけにはいかんしのぅ」



 神経に障るような声にゴースは思わず眉を寄せる。

 ゴースの視界の先では枯れ枝のような男が立っていた。

 黒いローブに身を包み、死人のように青白い顔色の男だ。

 離れすぎた目とやけに大きな口はどこかカエルっぽいイメージを感じさせる。



 必罰のトードス。

 この男もまた星辰教団の幹部だ。

 戦闘能力は教団幹部で最弱だが、この男には厄介な能力がある。

『悪人を支配する能力』だ。

 何をもって悪人と定義するのかゴースは知らないが、『悪人』である限りトードスの支配からは逃れられない。

 なにせ星辰教団が崇める神から賜った能力なのだ。

 この能力によってこの大陸のならず者どもは全てトードスの手駒であると言っていいだろう。

 一見すると紳士的でまともに見えるが根っからの狂信者であり、ゴースが苦手とする人間の一人である。



「あれぇ? ゴースお爺ちゃんも来たの?」



 舌っ足らずな声が上がり、祭壇の裏手から黒っぽい頭巾をかぶった少女が現れる。

 とても可愛らしい顔立ちの少女で、普通の人間なら思わず守ってあげたくなるような容姿だ。

 もっともその可憐な見た目に反して、この少女が想像を絶する狂戦士であることを知っているゴースからすれば保護欲は一切湧かないが。



「アリスお嬢ちゃんもおったのか。……むっ? 珍しいのぅ、怪我をしとるとは」



 驚いた様子でゴースは目を見開く。

 アリスの服はボロボロで血が滲んでいたからだ。

 ほぼ治りかけているとはいえ、彼女の手足の傷跡は非常に生々しい。

 ゴースの目の前の少女――アリスは星辰教団の幹部だ。

 頭脳は最弱だが戦闘能力だけなら凄まじいあの信太郎とほぼ互角に戦った猛者である。そんなアリスが怪我をすること自体がとんでもなく珍しいことだ。



(仲間割れはありえん。では一体誰にやられたんじゃ? ワシの知らん強者がおるのか?)



 ゴースの訝し気な視線に気づいたのか、痛そうに肩を回しながらアリスが口を開く。



「このケガのこと? 勇者が率いる軍を誘導する時にちょっとね~。まさか勇者や四聖とやりあうとは思わなかったよぅ」



 アリスは「うへ~!」と疲れた様子で舌を出す。

 その発言にゴースは思わず息を呑んだ。



(あの勇者や四聖と戦ったじゃと……!?)



 ゴースは驚愕に固まり、開いた口が塞がらなくなる。

 だがそれも無理はない。



 四聖。

 それは≪勇者の国≫と謳われるこの大陸の最強国家、アルゴノート帝国で最強の騎士に送られる称号だ。

 魔物にとっては勇者や武神に次いで出会いたくない連中である。

 かつて先代の四聖と戦い、命からがら逃げだしたゴースからすれば恐怖の対象だ。



 その実力は信太郎に比べれば低いが、その抜け目なさと卓越した技術、そして勇者の国アルゴノートより貸し出された国宝級の武具に身を包んだ四聖の戦力は侮れない。

 なにせ勇者と四聖の持つ武具は特殊な作りで共鳴しており、お互いに戦闘能力を大幅に底上げしあう能力を持っているからだ。

 これはゴースの体感だが、一対一の勝負なら信太郎の方が勇者より上だが、おそらく四聖と連携した勇者の力は信太郎を凌ぐはず。



(そんな連中と戦って生きて帰ってくるとは……。やはりこの娘もワシの知らん切り札を持っとると考えた方がいいのぅ)



 改めて星辰教団の恐ろしさを再認識したゴースは、内心の恐れを押し隠し、飄々とした笑顔を浮かべる。



「それで? わざわざ呼び出すとは何の用かのぅ? そういえば他の幹部――夢幻と破軍はどこじゃ?」


「あの二人は別の地で任務中です。まぁ、それはそれとして早速本題に取り掛かりましょう。総力戦の場所なのですが旧ベルトライン王国を予定しています」


「旧ベルトライン? 廃棄された都市で戦うのか? 良い案じゃのう」



 トードスの言葉にゴースは顔をほころばせる。

 旧ベルトライン王国はかつて魔物が支配する暗黒領域に面した国だ。

 いや、国だったというべきか。

 今のベルトライン王国は半分になっている。

 当時は北をバルト王国、中央を南北に伸びた旧ベルトライン王国、南部をアルゴノート帝国が塞いでいたのだが、魔物に攻め落とされて国の北半分を放棄したのだ。

 今では隣国の国境付近に首都を移し、勇者の国アルゴノート帝国の一部となっている。問題は放棄された旧ベルトライン王国の北側だ。



 放棄されたベルトライン北部は≪山賊砦≫と呼ばれ、多くのならず者どもが住み着き、各国の治安を荒らす原因となっている。

 そこに住むならず者どもの数はなんと一万を越えるとのこと。



 今のゴースの洗脳能力を使えば、彼らの全てを配下にできる。

 加えて魔王のそばに控えている魔物たちはアンデッドが多い。

 障害物だらけの廃棄都市ならば、物体を透過できる死霊系の魔物が猛威を振るえるはず。廃棄された町にて連合軍を待ち受け、神出鬼没な怨霊やならず者どものをぶつけ、弱った所を全勢力で叩けば勝ちの目は十分にある。



(いける! この戦、ワシらの勝ちじゃ)



 ゴースがほくそ笑んでいると、トードスが待ったをかけた。



「いえいえ、戦場は旧ベルトライン王国の大平原です」


「……何じゃと?」



 予想外なトードスの言葉にゴースは驚きに目を丸くした。



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