第70話 負のスパイラル


 西の地平線に太陽が沈み、夕日の残照と夜が交じり合う中、城塞都市モリーゼの高級宿にて一人の男――ガンマが頭を抱えていた。

 長いテーブル席に腰かける彼の対面には、茶色いポニーテールの少女――マリが疲れ切った様子で背もたれにもたれ掛かっている。

 テーブルにはリゾットのような料理が置かれ、食欲を誘う香りを漂わせているが、二人は手を付ける様子はない。

 どうやら食べる気力もないようだ。

 食堂の窓から夕暮れの光が差し込み始め、ガンマの顔を茜色に染め上げる。



「あいつらは何を考えているんだ……!?」



 苛立つガンマの声がぽつりと響く。

 あの日の敗走から20日が経っていた。

 死体を操り、統率のとれた動きを見せるベルゼルガの群れに成す術がなく、もしあの時に逃げなければ信太郎以外は全滅しただろう。

 ゆえに逃げたことは間違いではないとガンマたちは考えている。



 それに敗走したとはいえ、信太郎たちは生存者を守りながらどうにか無事に城塞都市モリーゼまで帰還したのだ。

 信太郎たちのパーティの活躍で救われた兵士の数は数百人を軽く越える。

 少なくても責められる謂れはないと考えていたマリ達だったが、そんな彼らを待っていたのは敗戦の責任を押し付けてくる貴族だった。



 傷を癒す間もなく、軍の再編だとかによって信太郎がパーティから引き離されてしまう。あれから信太郎は何故か要人警護に回され、戦場にほとんど出れなくなった。

 おそらく劣勢になったことに怯えた貴族が動いたのだとガンマは睨んでいる。



 それ以来、軍は信太郎という大きな戦力を戦場には回さず、安全な後方でふんぞり返る大貴族の護衛として置くようになった。

 当然ながら信太郎の抜けた穴は大きく、すでに戦場ではかなり被害が出ていて、士気もかなり下がっているようだ。

 そのせいか脱走兵が続出し、山賊になった彼らが至る所で村を襲う事件まで起きているとのこと。頭の痛い話である。

 このままでは魔王を倒す前に人類は自滅しそうだ。



「そもそも信太郎は護衛とか出来るのか? 逆に問題とか起こしてるんじゃ?」



 ガンマはふと思いついたようにマリに視線を向ける。

 仲間に対してはあんまりな発言だろう。

 そんな発言に対してマリは視線をそらし、絞り出すようにして口を開いた。



「信ちゃんはその……嘘とかつけないコだから……」


「ああ……」



 その言葉だけでガンマはなんとなく理解した。

 おそらく余計なことを言って問題を起こした後だなと。

 そもそも信太郎は嘘がつけない少年だった。

 もっとも日本にいた時は「これ言ったら問題起きるかも」とそれを口にしないだけの分別はあった。

 しかし神様ガチャのデメリットによって残念な知能になってしまった今の信太郎は空気が読めない。



 思ったことをすべて口に出すようになってしまった信太郎に、お偉いさんの機嫌を損ねずに護衛をするのは難しいだろう。

 事実、信太郎は護衛した貴族の大半を怒らせて帰ってきている。


 ――何でみんな頑張ってんのにおっちゃんだけ酒飲んでんの?

 ――部下に八つ当たりやめとけよ~

 ――女遊びしてねーで働け

 ――お前さ、それ犯罪だからやめろよ



 護衛対象の大貴族すべてに上記の発言をして怒らせている。

 もっとも信太郎は何故怒られたのか理解していないらしいが。

 さすがに戦時中に貴重な戦力であり、護衛である信太郎を害することはないだろうが、マリはあとで仕返しされないかどうか心配していた。

 なにせこの世界の貴族は絶大な権力を持っている。

 平民1人無礼打ちするくらいわけないだろう。



「そういえばリリアの方はどうなんだ? 最近まったく顔を合わせなくなったんだがどうしたんだ? この前マリはあったんだろ?」



 暗くなった顔つきのマリを心配したのか、ガンマは話題を変える。

 彼の記憶によると二人はかなり親しい友達だったはずだ。

 この話題なら明るい雰囲気になるだろうと思っていたガンマだったが、マリの表情は暗いままだった。



「信ちゃんも心配だけど、今一番キツイのはリリアさんです……」


「……何かあったのか?」


「その、リリアさんは美人だから色んな人に言い寄られていたじゃないですか。でも一部の軍人さんがそれを止めてくれていたわけですけど、最近じゃ軍人さんも余裕がないのか止めてくれなくなってて……」



 曇り顔のマリがとうとうと語る。

 ハイエルフ並みに美しいリリアにちょっかいを出してくる者は元々いたが、最近はとんでもないことになっていた。

 素行の悪い軍人や冒険者の間で何故かリリアの噂――とんでもなく男好きという根も葉もない噂が流れ、大勢の男たちが詰め寄ってきたのだ。

 おかげでリリアが滞在する場所にはいつも素行の悪い男たちが詰め寄り、彼女にとって安心できる場所は城塞都市の外にある亜人キャンプだけになっていた。



 夜になるとリリアのいる亜人キャンプを襲撃しようとする連中すら出る始末だ。

 獣人族やエルフと協力して襲撃の全てを撃退しているようだが、さすがのリリアも憔悴しているようだ。

 数日前にリリアと会話した時、非常に眠そうにしていたのをマリはよく覚えている。おそらくまともに睡眠をとれていないのだろう。

 またこの一件で、リリアたちの所属する亜人部隊と連合軍の間に深い亀裂が走ったらしい。



「……聞けば聞くほどクソみたいな状況だな。ったく! ベルゼルガ対策も出来てないってのに味方同士で争ってどうするんだ!?」



 ガンマは苛立った様子で髪を掻きむしる。

 戦場から遠ざけられた超人戦士の信太郎。

 まともに睡眠がとれずにメンタル的に最悪な魔導戦姫リリア。

 南部連合国に拠点を構えた連合軍の最大火力がまともに機能しなくなっているこの状況はかなり不味いというのに、全く改善する様子がない。



 人類側の戦力が減っているのに対し、魔物側の戦力は増える一方だ。

 操死蟲ベルゼルガは死体を操り、暴れ狂う。

 死体を量産して、安全な住処を確保する習性を持つベルゼルガは死体に産卵することでさらに増えていく。

 そして操られた死体も次第にアンデッドになっていき、死してなお操られる死体の怨念はレイスという怨霊を産み出していた。

 人類にとってとんでもない負のスパイラルだ。



 ベルゼルガの大量発生とその習性によってレイスという怨霊も大量発生。

 おまけに増えたレイスを死霊の王であるリッチがきっちりと統制し、軍隊顔負けの戦術を仕掛けてくる始末。

 ガンマが知り合いの兵士長に聞いたところ、かなりの被害が出ているらしい。

 このままではローレシア大陸一の食料生産地である南部連合国を守るためにやって来た連合軍は瓦解するとのことだ。



「あの、ガンマさん。そういえば勇者が率いる部隊がいるって聞いたんですけど彼らはどこにいるんですか? 助けとかは求めたりとか……」


「……そいつは無理だろうな。俺も最近知ったんだがこの街にいる軍ってさ、怪我とかの問題で勇者の率いる連合軍から切り離された分隊らしいんだよ。プライドだけは高い上の連中が勇者たちに助けを求めるはずがないだろうよ」



 縋るような視線を向けるマリの疑問に、ガンマは疲れた様子で呟く。

 城塞都市モリーゼにやって来た軍は、怪我人や戦力の低い者を集めて編成され、連合軍から切り離された分隊なのだ。

 ろくに戦えないにしても、食料生産地を守れるはずという勇者の判断らしい。

 もっともこの分隊に編成されてしまったプライドだけは高い貴族軍人たちはこれに不満を持ち、見返そうと躍起になっているのでまず助けを求めないだろう。



(八方ふさがりって奴だ。……不味いぞ。どうにかしないと魔王にたどり着く前に人類が負けちまう!)



 必死に頭を働かせるガンマだが、連戦による疲れで鈍った頭脳には何も妙案は浮かばない。それはマリも同じだ。

 二人はお通夜のような雰囲気で皿の食事を腹へと流し込む。

 疲れのせいかあまり味を感じなかった。


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