第69話 暗躍するゴース2


 視界の果てまで広がる草原に夕暮れの光が降り注ぎ、茜色に染め上げている。

 そんな草原の真ん中に巨大な湖が存在していた。

 普段は風光明媚な場所として知られる湖だが、今の湖の周囲には薄汚れた幕舎がたくさん建てられ、景観を損ねている。

 彼らは救援要請を受けて戦地から戻ってきた部隊だ。

 数えきれないほど多く建てられた幕舎の中で、兵士によって守られる一際立派なつくりのものがあった。



 比較的立場が上の軍人に支給される、ブリタニア軍の幕舎だ。

 その幕舎内では数名の兵士達が組み立て式の机に地図を広げ、顔を突き合わせていた。値の張りそうな剣を腰のベルトに差した壮年の軍人が暗い表情で口を開く。



「……兵の損害はどの程度だ?」


「はっ! 死者は二割、怪我人はその倍ほどです」



 部下の損害報告に壮年の男――ブリタニア王国の連隊長のベルナールは顔を顰める。

 覚悟はしていたが損害が多すぎたからだ。

 そもそも今まで城塞都市モリーゼ付近で戦っていた連合軍の被害が大幅に抑えられていたのは、とある英雄のおかげだった。

 もちろん信太郎とリリアの二人だ。

 今までは信太郎たちの一騎当千の働きによって被害を抑えることが出来たのだが、今回は話が違った。

 今回は多方面から少数の群れに攻められたのだ。

 一部から戦力の分散は危険だという声が上がったが、上層部は軍を複数に分けることにした。

 もちろんベルナールも戦力分散に反対した者の一人だ。

 圧倒的兵力で各個撃破が戦術の基本だというのに。



「せめて英雄のどちらかを引き込みたかったのだがな」



 椅子に深く腰掛けたベルナールは自嘲する。

 戦力分散に反対し続けたせいか、ベルナールの兵は激戦地に送られてしまったのだ。信太郎やリリアのような英雄級の者は権力者の軍に編成され、ベルナールの軍に強者は皆無だった。



「いえ、仕方のない話です。どちらも皆が手に入れたがってる人材ですし。それに”彼女”の方は色々と厄介事に巻き込まれているようですし……」



 部下の言葉にベルナールは不愉快そうに表情を歪める。



「ああ、例の色狂いの老害どもか」


「はい、なんでも一部の兵士や冒険者も彼女を襲おうとしているとか……」


「まったく戦時中に何を考えているのか、嘆かわしいことだ!」



 ベルナールは不愉快そうに吐き捨てた。

 リリアの素性を聞くと、元々は軍に協力を乞われた少女だったらしい。

 軍人でもないものが民を守るために、徴兵された少年兵を守るために最前線で戦っているのに、その行いに報いるどころか仇で返すとはあり得ない話だ。

 正義感の強いベルナールは心からその行いを嫌悪する。



 怒りと不甲斐なさに歯を食いしばるベルナールを見て、彼の家臣が顔を見合わせる。不正や汚職に満ちたブリタニア王国の中で、国を正しい方向へ変えようと藻掻くベルナールはいつも貧乏くじを引かされてきた。

 祖国を守る戦いに加われなかったのも、ベルナールを目障りに思う上級貴族の手によるものだ。

 あわよくば激戦地にて戦死して欲しいという思惑が透けて見えていた。



(ベルナール様ももう少しうまく立ち回れば良いのだが……)



 長くベルナールに仕える兵が短く嘆息する。

 決して曲げないこの正義感のせいで国から邪険にされていることにベルナールは気づいていない。

 もっともそんなベルナールだからこそ、彼の家臣は命を懸けて仕えている訳だが。



 ふと、幕舎に駆け寄る足音が聞こえ、ベルナールたちは武器に手をかけた状態で視線を入り口に向ける。

 何やら見張りの兵士と何事か話し合っているようだ。

 僅かな時間の後、聞き知った見張りの声が聞こえてきた。



「連隊長、ジャン殿から使者が来ていますが……」


「ジャン殿から? すぐに通せ」



 ベルナールは声を張り上げる。

 ジャンはカロス王国の連隊長で、ベルナールを理解してくれている戦友だ。

 12年前に魔王が攻めてきた時も、互いに助け合いながら最後まで戦い抜いたジャンにベルナールは全幅の信頼を置いていた。



(ジャン殿がこんな時間に使者を送るとは……一体なにが起きたのだ?)



 戦友の身を心配するベルナールの意識が緩んだその時だった。

 体からガクンと力が抜けて、思わずベルナールは膝をつく。



「なに……?」


「これは一体……!?」



 ベルナールの部下も同じように地面に膝を突き、誰もが驚愕の表情を浮かべている。慌てる兵士と違ってベルナールは冷静だった。

 歴戦の軍人であるベルナールはこれが呪いの類だと見抜き、その発生源が近いことを感じ取っていたのだ。



「落ち着け、これは呪いの一種だ! 直ぐに見張りに連絡し、下手人を探させ……」


「おおっと、悪いがそんな猶予は与えぬぞ」



 ベルナールの声に被せるようにしわがれた声が幕舎内に響く。

 そして声の主が幕舎に入ってくるのを見て、彼らは息を飲んだ。



 耳まで裂けた醜い老人の顔。

 笑いかけてくるその口にはサメのような歯がずらりと並んでいる。

 胴体は大型の獣で、背中から蝙蝠の翼とヤマアラシのような黒い棘がびっしりと生え、尻尾は長く鋭いサソリの尾だ。

 中途半端に人間に似ているせいかより醜悪に見える怪物に兵士達の背筋が震える。



「マンティコアだと……? 一体どうやって中に入ってきたのだ!?」


「う~む、一々説明するのは面倒じゃのぅ」



 マンティコアのゴースは、取り乱すベルナールを面倒くさそうに見つめる。

 洗脳した兵士達から聞いた情報を元に、ゴースは各陣営の指揮官を片っ端から洗脳して回っていた。

 最初は怯えたり、取り乱す兵士を見て愉しんでいたゴースだったが、さすがに皆が同じ反応をするせいか会話するのも面倒なようだ。

 ろくに説明もしないまま、ゴースは洗脳の能力でベルナール達を洗脳した。



 ◇



「ここも大した情報はないのぅ」



 幕舎の中で、洗脳したベルナールから情報を聞き出したゴースはため息を吐く。

 兵糧などの隠し場所も、すでに洗脳した他の指揮官から聞き出したものと同じだったのからだ。

 ダメ元で聞いた信太郎やリリアの弱点なども全く知らないとのこと。



「まぁよいか。うまくいけば御の字といった作戦じゃしの」



 すぐに気持ちを切り替えたゴースは思案する。

 ゴースの目の前に跪くベルナールは真面目な軍人らしい。

 急に豹変させると、洗脳に感づかれる恐れがある。

 破壊活動は命じず、内偵させて情報を送らせた方が利口だろう。

 ゴースはベルナールに向き直る。



「ベルナールと言ったかの? 今まで通り軍人として職務に励みつつ、定期的にワシに情報を流すのだ。あとお主は魔導戦姫とやらが被害を被らぬように尽力しているそうじゃが、それを止めよ。軍とあの娘っ子を反目させるのだ」


「ははっ! 了解いたしました」



 跪いたまま、ベルナールは王族を相手にするような礼をとる。

 力強いその返事にゴースは満足そうに頷くと、傍らに侍る兵士達に視線を向けた。

 彼らは隠密と逃走に特化した軍の伝令だ。

 今となってはゴースの使い走りに過ぎないが。



「さて、他の指揮官に伝えよ。シンタローとかいう戦士と魔道戦姫リリア、この二人を排除しろとな。素行の悪いチンピラどもを奴らの元へ送り込んでも良いし、とにかく戦場から引き離すか弱らせよ。それが無理ならせめてもっともな理由をつけて仲間と引き離すんじゃ。それと使えない兵士どもには暴動を起こさせよ」



 ゴースの言葉に頷くと、伝令たちは音もなく幕舎を飛び出していく。

 その日、それぞれの陣営で謎の暴動が起きた。

 どうにか鎮圧するも、どさくさに紛れて兵糧は全て焼かれ、多くの武装した逃走兵によってさらに南部連合の治安が悪化することなる。

 こうして人類はまた一歩破滅へと近づいた。


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