4章

第65話 不穏な羽音


「マリ、信太郎を一度戻らせろ! このままだと左翼が全滅する!」


 ≪信ちゃん、聞こえる!? 右側に青っぽい旗が見えるよね? そこに向かって!≫


「おうよ! 助けて来るぜ!」



 タラスク襲撃から1ヶ月。

 今日も信太郎たちは魔物の大軍を相手にしていた。

 蛇やトカゲの化け物や、二足歩行のカブトムシを思わせる甲虫系の魔物が多い。

 どちらも耐久力が並はずれていて、並みの戦士では歯が立たない。

 そんな魔物が地平線を埋め尽くすほどいるのだ。

 少しでも陣形を崩されればあっというまに飲み込まれてしまうだろう。



 ガンマが千里眼で戦場を俯瞰し、崩されそうな味方の元へと信太郎を送り込む。

 これが無ければとっくに壊滅していただろう。

 かなり前から考えていた作戦だが、うまくいったのはつい最近である。

 悲しい話だが、信太郎はゴブリンにも騙される頭脳だ。



 味方の元へ送り込むまではいいが、信太郎は敵の陽動にあっさりと引っかかり、逆に味方を混乱させることもあったほどだ。

 これではいけないと、信太郎の力を活かすため、空見やガンマが新たな作戦を考え付いた。マリの魔法の一つ、≪念話≫によって逐一行動を指示するのだ。

 これによって見え見えな陽動や罠に引っかかることが無くなった信太郎の活躍はまさに鬼神の如く。



「マリ、次は南の部隊に救援に行けと伝えろ!」


 ≪信ちゃん、次は南だって!≫


 ≪方角で言われても分かんねーよ!? 南って右? 左?≫


 ≪ごめんね! えっと、真後ろの……トカゲの怪物が暴れてる方へ進んで!≫



 複雑な指示を理解できない信太郎のために、ガンマの指示をマリが信太郎にも分かるように教える。

 何度か肝を冷やす場面もあったが、今日も単独で戦況を覆すという軍師要らずの活躍により、信太郎は数千の魔物を叩き潰したのだった。



 ◇


「最近襲撃の頻度が上がったね……」



 魔物の死体だらけの平原を見て、うんざりした表情でマリが呟いた。

 これから魔導士には魔物の死体を焼く仕事が待っているのだ。

 それも仕方のないことだろう。



 タラスクを撃退したあの日以来、魔物の動きがやけに活発になっていた。

 今も各地から救援依頼が相次ぎ、連戦に次ぐ連戦が続いている。



 なぜここまでこの国――南部連合が襲われるのか?

 南部連合は大陸の食料生産率ナンバーワンであり、軍は弱いが格安で兵糧を売ることで生き延びている国だ。

 逆に言うとこの国の田畑が潰されれば大陸全体の兵糧が滞ってしまう。

 それを魔物側も理解しているのか、この国の食料生産地点は狙われやすい。

 普段は群れるのを嫌う強力な魔物も連携して攻めてくるせいか、今まで以上に人類連合軍は綱渡りな戦を各地で繰り広げている。

 この戦いも信太郎がうまく機能しなければとっくに軍は瓦解していただろう。



 信太郎という例外を除いて一行の疲労は限界が近い。

 特に魔導士のマリは疲労の色が濃く、仮眠をとれば明日まで絶対に目を覚まさないだろう。



「マリさん。それなんだけどさ、今日は焼かなくていいらしいよ」


「えっ、いいんですか? でもアンデッドになるんじゃ?」



 予想外の空見の言葉にマリは驚く。

 魔物の死体を放置すると高確率でアンデッドと化すため、焼くのが当たり前だからだ。怪訝な表情のマリとは違って、信太郎は嬉しそうな表情を浮かべる。



「お? 焼かねーのか。この前も魔物を全部焼いて埋めてさ、もったいないねぇと思ってたんだ。これ食べちゃっていいのか?」


「信ちゃん、絶対に食べちゃダメよ? フリじゃないからね」



 幼子に諭すような感じで釘をさすマリ。

 とても同い年にかける言葉とは思えないが、誰もそれを指摘しない。

 信太郎ならやりかねないからだ。

 実際に信太郎は腐りかけた魔物でも食べようとしたのをこの場の全員が見ているため、それも仕方がない話だろう。



「でもよー、こいつら食えるぜ? しかも結構旨いと思うし」


「ダメよ、信ちゃん。お腹壊すよ?」


「俺の鼻と胃袋を信じろって~! なんだっけ、トラストミー?」


「なんか今回の魔物って肝とか角が薬になるらしいんだよね。甲虫系の魔物は防具に最適なんだってさ。だから食べちゃダメだよ、信太郎君」



 逆に信頼度が下がりそうな言葉を吐く信太郎に対し、空見はやんわりと釘をさす。

 薬になるほうの魔物はかなり貴重らしく、無断で食べたら軍が制裁に動くのは間違いないだろう。



 甲虫系の魔物は美味しくはないらしいが、外皮は軽くて丈夫だ。

 種類にもよるが、皮のように軽く、鋼鉄並みの外皮を持つのが特徴らしい。

 特に今回の人型カブトムシみたいな魔物は強敵だった。

 なにせ『聖騎士』の才能を貰った空見でも倒すのにやけに手間取ったのだ。

 この頑丈で軽い外皮を防具に出来ればとても心強いだろう。



 たしかに魔物の死体を放置すると高確率でアンデッドと化すため、焼いてしまうのが一般的だ。だが今回の魔物の死体は薬になったり、防具に出来るものが多い。

 ゆえに軍上層部は先に役立つ部分を採取してから燃やすように通達していた。

 特に今は戦時中で、薬は貴重だ。

 この機会に補充したいという上の判断はよく分かる。

 さすがにほんの数日ならアンデッドにならないとの考えだ。



「ということは帰れるんですか?」



 空見の言葉にマリはほっとした表情を浮かべる。

 馬車で移動していたとはいえ、ここ数日入浴できていない。

 魔法でお湯を作って身綺麗にしていたが、いい加減にお風呂に入りたいのだ。

 日本人の肥えた舌には軍の携帯食は不味すぎたし、清潔でふかふかのベッドも恋しくてたまらない。

 マリの疲れ切った表情にほっとした笑みが戻ったが、それは空見の次の言葉で打ち砕かれることになる。



「採取の間、何があるか分からないし最低限の兵士を残して撤退するって話だね。僕らはもしかして残されるかも」


「ええっ!? どうしてです?」


「今回はたいして兵糧を持ってきていないしね、とりあえず採取人員の兵士と冒険者から精鋭のみを残すってさ」



 心底がっかりしたような様子のマリが不満そうな声を上げる。

 よその街からの救援依頼はこれで最後だったので、ようやく休めると思ってた矢先にコレだ。

 一気に疲れが襲ってきて、膝から崩れ落ちるマリを信太郎が抱きとめると、手慣れた感じでおんぶする。



「マリ。疲れてるだろーし、寝てていーぜ」


「ありがと、信ちゃん」



 ポンコツな信太郎が好きという少々男の趣味が悪い普段のマリならば、興奮のあまり変顔の一つでもキメて一行をドン引きさせるのだが、さすがにそんな余裕はないようだ。マリはすぐに寝息を立て始めた。



「寝ちまったみてーだな」


「マリさん、相当疲れてたんだね。今ガンマが軍人に仲間が体調不良だから帰らせろって交渉してるみたいだけど……」



 心配そうにマリを見つめていた空見は、軍の幕舎から出てきたガンマに気づく。

 十数メートル先にいるガンマは両手を交差させて、バツ印を作って見せた。

 どうやら交渉は失敗し、ここに残留することになったようだ。



「お? あれはダメだったみてーだな」


「だね。仕方ないよ。採取は兵士がやるみたいだから交代で見張りにつこうか」


「あ~あ。腹減ったなぁ。なあ、空見の兄ちゃん。魔物の肉、ちょっとだけ持ってっちゃだめか?」


「いや、ちょろまかしたと勘違いされるとマズいしやめといた方がいいよ。僕の分の干し肉を分けてあげるから止めようね」



 未練がましい信太郎をたしなめる空見。

 冒険者には素行の悪い者も多く、貴重な物資をちょろまかすことなどよくあることだ。ゆえに軍は可能な限り貴重な素材を冒険者達に触れさせようとしない。

 日本と違ってこの世界では、権力者の機嫌一つで命がカンタンに消し飛ぶのだ。

 下手に近づいただけでもどんなイチャモンをつけられるか分かったものではない。

 空見は名残惜しそうな信太郎の手を引っ張り、幕舎へと戻っていった。




 ◇



 蒼く神秘的な満月が魔物の群れで埋め尽くされた地上を照らしている。

 月明りに照らされた戦場跡には無数の篝火がおかれ、兵士達がせっせと解体作業に勤しんでいた。

 時刻はもう真夜中だというのに、まだ半分も仕事は終わっていない。

 兵士や信頼のおける冒険者だけしか作業を許されてないせいだろう。



 そんな戦場跡の一角で、疲れ切った様子の男が作業の手を止め、深いため息をはいた。ずっと解体作業をしていたせいで体は血まみれで目は霞み、腕の感覚も鈍い。

 ふと月明りに気づいたのか、男は視線を挙げて宙を見上げると、蒼い満月に満天の星空が夜空を彩っていた。

 きれいな月にしばし見入っていた男は、傍らで作業を続ける仲間に視線を向ける。



「そっちはどうだ?」


「どうだって見りゃ分かるだろ? 早くて明日の夜までってところだろうな」



 声をかけられた男はうんざりした様子で魔物の山を指さす。

『お前ら輜重部隊は物資を運ぶだけで戦わないのだからこういう時ぐらい役に立て』

 上官にそう言われ、中腰でずっと解体作業をしていたせいで腰が痛む。

 男は腰をさすりながら会話を続ける。



「さすがにもう寝ないか? いくら月明りがあっても手元がよく見えねぇよ」


「ああ。見張りがそろそろ……。おっと、噂をすりゃきたぜ」



 2人の前に松明をもった兵士が歩いてきた。

 まだ寝足りないのか眠そうに眼をこすっている。



「遅かったな」


「おいおい、お前らと違ってこっちは昼間の戦闘で疲れてんだっての。それより異常はなかったか?」


「あったらこんなにのんびりとしてねぇさ」



 見張りの問いに硬くなった体を伸ばしながら答える兵士たち。

 どちらも疲れているせいか、言葉や態度にトゲがあった。

 さすがに殴り合う気力はなさそうだが。



「さっさと寝とけ。上の連中は朝早くから作業しろとさ」

「早朝からまた解体かよ……」



 解体作業を中断した兵士らは腰を擦りつつ、解体に使った道具をかき集める。

 下っ端からすれば苦労して集めてもこれが自分らのために使われることはないと分かっているため、虚しさが募るばかりだ。

 薬や防具になるといったって、どうせお偉いさんかそのお気に入りにしか支給されないことを彼らは良く知っていたのだから。

 ノロノロとテントへと帰ろうとする兵士の顔を見張りが簡単にチェックしていく。

 逃亡兵した兵士がいないか確認しているのだ。

 その時だった。

 見張りの耳に妙な音が届いたのは。



「……なんだ?」


「どうした?」


「何か音が聞こえたぞ。これは……」



 見張りの言葉に兵士たちは武器に手をかけ、耳をすませる。

 しんとした真夜中に虫の羽音が聞こえてきた。



「虫の羽音だろ。死体なんだから虫もたかるだろうさ。さっさとチェックしてくれ、眠くてたまんない」


「ああ、すまん。もう通っていいぞ」



 解体作業をしていた兵士を帰すと、松明をもった兵士たちは二人一組になって巡回を開始する。やけにハエが多い気がしたが、彼らは気にも留めなかった。

 誰か一人でもそのハエの姿をちゃんと確認していれば、未来は大きく変わっただろうに。



 それは明らかにハエではなかった。

 頭はハエだが、細長いウジ虫の胴体からは薄気味悪い触手が何本も生えている。

 悪夢にでも出てきそうな外見の魔物だ。

 明かりを避けて飛来したその魔物は死体を食い破ると、その傷口へとその身を滑り込ませる。それに気づいたものは誰もいなかった。

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