第62話 タラスク襲撃3


「嘘っ!? あのバカな子死んじゃったんじゃない!?」



 霧で真っ白に染まった平原にリリアの声が響いた。

 ――自分が出し惜しみをしたせいで死んだのではないか?

 自責の念にかられ、「どうしよう」とリリアは泣きそうな顔で震え出す。

 そんな彼女に対してマスターは非常に落ち着いた様子で、どこか諭すような表情で口を開いた。



「落ち着いて、リリア。信太郎君に水属性は効きにくい。こんな程度で彼が死ぬはずがないよ」



 マスターは信太郎が生きていることを確信していた。この男は完全な善意から信太郎たちに装備品を作ったのではない。

 信太郎たちが敵に回る可能性を考えて、弱点をしっかりと調査しているし、渡した装備品にもちゃんと仕掛けを施してある。

 特に信太郎は敵に回ると非常に厄介なため、マスターは念入りに信太郎の体を調べ上げていた。



 調査の結果、マスターは信太郎のことをシャーマン系の戦士だと推測していた。

 シャーマンとは神霊や精霊などと交信し、奇跡を起こす呪術師のことを指す。

 たしかシャーマンの使う術に、自らの身体に精霊を憑依させるものがあったはずだ。おそらくその術によって超人と化しているのだろう。

 あの頭の悪さも憑依した何かに呑まれかけているからだろうとマスターは推測している。

 そして信太郎の体に憑依するモノは間違いなく精霊王クラス、属性は地属性。

 地属性に水属性の攻撃は効きにくいため、致命傷にはなっていないだろう。



(それにしても彼は一体どんな代償を払ったのか……。早めに突き止めた方がいいな)



 強力な神霊や精霊との契約には必ず代償を伴う。

 様々な英雄たちを観察してきたマスターから見ても信太郎の身体能力は異常だ。

 あれだけの力を代償もなしに振るえるはずがない。

 代償の内容によっては周囲にも大きな問題を及ぼすこともあり、マスターが危険視するのも当然と言えた。

 実際はマスターの考えすぎなのだがそれも無理のない話だ。

 まさか神様に貰ったチート能力だと予想できるはずもない。



「で、でも探しに行った方がいいんじゃないの? ケガして動けなくなってるかも……」



 信太郎の無事を確信し、探しもしないマスターになおも言い募ろうとするリリア。

 その直後だった。



「いや~、死ぬかと思ったぜ」


「ひぅっ!?」



 パンツ一丁の信太郎がひょっこりと霧の中から現れ、リリアはびっくり仰天する。

 その姿はボロボロで泥まみれ、体中に擦り傷だらけだが大きな怪我はなさそうだ。

 パンツ一丁の信太郎に恐る恐るリリアは口を開く。



「アンタ生きてたのね。てっきり死んじゃったのかと思ったわ」


「お? けっこー痛かったぜ。あと5~6回食らったらやべぇと思うぞ」



 傷が痛いのか顔をしかめる信太郎。

 そんな彼にマスターは無言で小さな小瓶を手渡す。

 ここ最近信太郎たちがお世話になっている回復ポーションだ。

 信太郎は腰に手を当てると、まるで風呂上がりのおっさんがビールを飲むように喉の奥へと流し込んでいく。

 流し込んだ回復ポーションは涼しい流れのままに喉を降りていき、口の中にはかすかな余韻だけが残り、やがて消えた。



「ふぃ~! やっぱケガした後のコレは癖になりそうだぜ」



 街で売っている既製品のポーションはもっと苦いし飲みにくい。

 この味ならば子供だって飲めるし、酒場で出しても十分に金がとれるだろう。



「飲みやすいように工夫しているからね。それよりも信太郎君、今から秘蔵の魔道具を使う。これは僕の切り札だ。街の手前にタラスクを引きずり落とすから、止めは頼んだよ。このコに着いていって!」



 マスターはそう言うと腰のポーチから小さな人形を取り出す。

 それはあっという間に巨大化すると、人間大のガーゴイルとなる。



「お! 分かったぜ! でも大丈夫か? この辺サメの化物ウヨウヨしてるぜ」



 信太郎の言う通り、霧の中をたくさんの魚影が蠢いている。

 生き物の気配に敏感な霧鮫が集まってきたのだ。その数は100を軽く越えるだろう。



「平気さ。僕らにはこの子たちがついてるからね」



 マスターが指をパチンと鳴らすと、リリアの背後から人型の影が現れる。

 鮮やかな真紅の全身鎧に身を包み、大槍と盾を装備した騎士たちがリリアの背後にずらりと勢ぞろいしていた。

 その数は十体。

 リリアに傅くように待機するその様は姫に仕える騎士のようだ。

 タラスクの霧で五感が鈍ったせいで気配が感じ取れなかったのか、信太郎が驚きの声を上げる。



「おぉ!? ぜんぜん気配無くてマジびっくりしたぜ~! でも、そいつらヒトの気配しねーな。あっ、分かったぜ! そいつらもガーゴイルだろ!」


「よく分かったね。特注品のガーゴイルさ。信太郎君、時間がない。すぐに……」


「お? 悪い悪い。すぐ行って来るぜ」



「じゃあ後でな!」と元気よく叫ぶ信太郎はガーゴイルの後をついて行き、霧の向こう側へと姿を消した。



 信太郎がいなくなった瞬間、霧鮫は急速に包囲網を狭め始める。

 次の瞬間、前後左右、上空を埋め尽くすほどの霧鮫が同時に突進してくるが、その全てを真紅の騎士人形たちが斬り伏せ、霧鮫を死体へと変えていく。

 霧鮫の突撃をものともしないパワーやタフさ、そして個々の連携も素晴らしい。

 マスターが特注品と言ったのもうなずける性能だ。

 真紅の騎士人形に守られ続けるマスターは傍らのリリアを振り返る。



「これで目撃者はいなくなった。リリア……」


「ええ、分かってるわ。これで気兼ねなくぶっ放せるってワケね!」



 ここは街の外で巻き込むような人々もいない。

 タラスクの霧のおかげで視界は遮られ、どんな魔法を使ってもバレる可能性は少ない。これで手加減をする必要もなくなり、全力で魔法を使えるわけだ。

 リリアの真紅の瞳が輝き、莫大な魔力が渦を巻く。



「影よ 闇よ 深淵よ

 混沌より暗黒の天体を呼び覚ませ

 開け 光すら飲み干す地獄 万物を虚無へと誘いたまえ」



 リリアの謳うような詠唱と共に極大の魔力が編まれていき、ソレは突然現れた。

 世界に穴が空いたのだ。




 ◇


「なっ、何よコレはっ……!?」



 城塞都市モリーゼの中で、霧鮫を倒して回っていたエアリスは恐怖の叫びを上げた。何かとんでもなく恐ろしい何かが現れ、世界に穴が空いてしまったような感覚にエアリスは混乱する。

 大精霊のエアリスですらそうなのだ。

 下位の精霊などは恐慌状態に陥り、周囲から逃げ出そうとしていた。

 極大魔導士である小向も周囲の異変に気付いたのか不安そうに辺りを見回す。



「エアリスさん? どうしたんすか!? 何か急に変な感じするんすけど!!」


「……分からないわ。アタシに分かるのは誰かがとんでもなく危ない魔法を使ったってことだけよ」



 小向の疑問にエアリスは震える両肩を抱きしめながら大空を睨みつける。

 彼女の視線の先、郊外の空高い場所にはおぞましい気配を撒き散らす黒い渦が逆巻いていた。




 ◇



 城塞都市の周囲に住む精霊や高位の魔導士が突然の恐怖に慄く中で、最も混乱していたのはタラスクだろう。

 なにせ得体のしれない何かが自分の真下に現れたのだから驚かないはずがない。

 慌てて距離を取ろうとするタラスクより先に、それは始まった。

 巨大化していく黒い渦に周囲が浸食され、空間が歪んでいく

 まるで巨大な陽炎が大空に発生したかのように見える。

 今もなお広がり続ける黒い渦を見上げながら、世界を歪ませた美しい金髪の少女は高らかに言の葉を紡いだ。



「飢餓なる虚空に呑まれよ『グラビティ・アビス』」



 その直後、黒い渦は周囲のあらゆるモノを吸い込み始めた。いや、吸い込むという表現は適切ではないかもしれない。

 まるで全て生命の行き着く先はここだと言わんばかりに、あらゆるモノを、圧壊し、粉砕しながら引きずり込んでいく。

 まさに地獄の蓋が空いたかのような光景だ。



「っっ!!!??」



 すぐに異変に気付いたタラスクは全力で離脱しようと、自身の真下に竜巻を発生させて急上昇しようと試みる。だがそんなものは無駄だ。

 空間ごと引きずり込まれているというのにどうやって抗えというのか。

 懸命に抗うタラスクだが、ジワジワと吸い込まれていく。

 周囲にいた数千匹の霧鮫は根こそぎ浚われ、黒い渦に引きずり込まれ、もはや影も形もない。それだけではない。霧や竜巻までもが吸い込まれ、無になっていく。

 そしてついにタラスクの長い尾が黒渦に触れてしまう。



『ゴアアアアァッッ!!!?』



 それは渦の中心に辿り着く前に圧壊し、粉々になって吸い込まれていき、タラスクは街を震え上がらせるほどの絶叫をあげる。このままなら全身を黒渦に吸い込まれてタラスクは死ぬだろう。

 だがこの程度で終わるのならタラスクは災害級の魔物と恐れられていない。

 魔力の波長からすぐにこの魔法の発生源――術者を特定するとタラスクは遊びナシの全力のブレスを放つ。



 攻撃目標となったリリアはたいして怯える様子もなく、指揮者のように優雅に腕を振るうと、ブレスの進路へと黒い渦が移動する。

 それを見たタラスクは驚愕する。

 街の中にある大切なモノごと消し飛ばす覚悟で放った必殺の一撃が、当たれば大都市ですら軽く消し飛ぶ全力のブレスが幻のように消え果てたからだ。

 だがタラスクの行動は無意味ではなかった。

 黒い渦の座標が移動した結果、途方もない牽引力から逃れることに成功したからだ。

 さらにもう一つ。

 リリアの魔法――黒い渦が消えたのだ。



「思ったより粘られたわね」


「仕方ないよ、リリア。あれ以上の長く魔法を使い続ければ街の人に見破られる恐れがある」



 少しばかり悔しそうにリリアは呟く。

 そんなリリアを慰めるかのようにマスターは優しい声色で語りかけてきた。

 リリアはあえて自分から魔法を止めたのだ。

 この地方では闇魔法は禁忌、使えるだけで異端審問にかけられるほどの重罪である。


 リリアの魔法『グラビティ・アビス』によって周囲の霧まで吸い込まれた結果、視界が晴れてしまったので仕方なかったのだ。

 しかしタラスクを仕留める千載一遇チャンスを逃したというのに、リリアたちの顔に焦りはない。

『グラビティ・アビス』によって地表すれすれまで引きずり降ろされたタラスクは油断なくリリアを睨み、ブレス発射準備に入っているというのに。



「ここまでは計画通り、あとはアイツの仕事よね?」


「ああ、トドメは彼に任せようか」



 手負いのタラスクがブレスを放つ直前、頭上から能天気な声が響いた。



「おっしゃぁっ!! あとは俺に任せろ!」



 その聞き覚えのある声にタラスクが危機感を感じた瞬間、隕石でも衝突したかのような衝撃が頭に叩き込まれ、物理的に口を閉ざされたタラスクの口腔内でブレスが暴発した。


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