第61話 タラスク襲撃2


 青い空の下、山のような巨体が城塞都市モリーゼに迫る。

 まるで背中に山を一つ背負った海亀のような外見の魔物――タラスクだ。

 空をゆったりと泳ぐタラスクは街まで残り100メートルほどの所で大きく息を吸う。

 ブレスで街ごと消し飛ばすつもりだ。

 しかし、文字通り一息で街を滅ぼそうとしたタラスクだったが、ほんの一瞬考え込むと攻撃を中止する。

 あの街には守らねばならない大切なものがあると思い出したからだ。

 それが何なのかはタラスク自身にもよく分からないが、傷一つ付けずに守り切らねばならないという思いに突き動かされて、タラスクは次なる行動に移る。



 自分の眷属を――霧鮫を大量に産み出したのだ。

 霧鮫に『大切な物』を確保させたら街ごとブレスで消し飛ばす。

 それがタラスクの出した答えだ。

 街へさらに霧鮫を送り込もうとした瞬間、タラスクは異変に気付く。

 強大な魔力が迸り、快晴だった空に黒雲が出現したのだ。

 首を傾げ、周囲を伺うタラスクをの耳に歌うような声が届いた。



「雷帝よ 古の契約に従い その力を示したまえ! 汝が前に敵はなく その鉄槌に砕けぬもの無し。 打ち砕け! 『サンダーレイジィィッ』!!」



 その直後、極太な雷光がタラスクを貫き、僅かに遅れて耳をつんざくような爆音が鳴り響く。痛みと共にタラスクは唸り声を上げる。

 まず感じたのは不快感、そして燃え上がるような怒りだ。


 ――身の程知らずに死を!

 タラスクの思いを言葉にすればそんなものだろう。

 周囲を埋め尽くすほどの霧鮫を産み出すと、タラスクは下手人を探させる。

 もはや敵対者の骨一つ残すつもりはなかった。その時だった。



「おっしゃー! あとは俺に任せろ!!」



 周囲に無邪気な声が響き渡る。

 それはどこまでも能天気で、悩み一つ無さそうな少年の声だった。



 ◇



 洗脳されたタラスクが粕森を守らないはずがないし、粕森を確保するまでは街に影響を及ぼすような広範囲攻撃はしてこないだろう。

 そんなマスターの想像通り、タラスクは大量の霧鮫を産み出してきた。

 これで空中にタラスクへと続く無数の足場が出来あがる。

 常人には絶対に無理だが信太郎ならば問題ない。



「おっしゃー! あとは俺に任せろ!!」



 そう叫ぶと信太郎は撃ちだされた銃弾のように空中にジャンプする。

 その速度は亜音速まで届き、そのまま野生のカンと天性のセンスで宙を泳ぐ霧鮫を踏み台にして空を駆け上がっていく。

 時折、霧鮫に食いつかれるがベヒーモス並みに頑丈な信太郎は傷一つつかない。

 逆に食いついてきた霧鮫を足場にして大きくジャンプする。

 そして信太郎はついに地上数百メートルの高さにいるタラスクと同じ目線に立つ。



「どりゃぁっ!!」



 繰り出したのは信太郎の渾身の右ストレート。

 小隕石の衝突に匹敵する一撃がタラスクの鼻先へ叩き込まれ、その激痛に驚いたタラスクは首をひっこめる。

 その時、初めてタラスクは信太郎を認識した。

 そして困惑する。

 こんな小さな生き物が自分を傷つけたのかと。

 呆けるタラスクの前で、信太郎は背後から翼のある石像に抱きかかえられた。

 錬金術師のマスターが造ったガーゴイルだ。



『信太郎君! ガーゴイルにサポートさせるよ! 取り合えずこの子を足場にして追撃を……』


「お? マスターってそんな顔だったっけ?」



 ガーゴイルからマスターの声が聞こえ、信太郎が不思議そうに首を傾げる。



『いやいや! それは僕が作ったガーゴイルだよ!? とにかくこのガーゴイルを足場にしてくれ!』


「お? よく分かんねーが行ってくるぜ!」



 ガーゴイルを足場にして跳んだ信太郎はタラスクの頭に着地すると、ちょうど眉間の辺りで大きく拳を振りかぶる。


「どりゃりゃりゃりゃっ!!」



 爆音をたてながら信太郎は拳の連打を叩き込む。

 このままタラスクの脳天を打ち砕く気だ。

 その時、割れるような痛みの中でタラスクは数十年ぶりに恐怖を感じた。

 タラスクは気づいたのだ、この小さな生き物が自分を殺しうる存在だということに。

 直後、巨体からは想像できない速度でタラスクが高速回転する。

 高密度に圧縮した水流を身に纏い、回転するその姿は水の竜巻となり、水流と遠心力によってバランスを崩した信太郎はそのまま跳ね飛ばされてしまう。



「うおぉぉっ!? お前ズルっこいぞ! 俺もそんな技欲しい!」


『……あんた、あんな技が欲しいの?』



 跳ね飛ばされた信太郎を受け止めたガーゴイルからリリアの呆れた声が届く。

 おそらくタラスクの真似をした信太郎の姿でも思い浮かべたのだろう。

 そんなリリアと違ってマスターは厄介なことになったといった表情で上空を睨んでいた。



「まずいな、距離を取られた」



 視線の先には雲の上まで一気に上昇したタラスクが鎮座していた。

 そのまま大量の白い霧を吐き出し、周囲が白く染まっていく。

 それを見てマスターが苦々しく呟く。



「この霧には生き物の五感を狂わせる作用があるだし、長期戦は不味いね」


「……マスター、どうする? 私が切り札を使った方がいいんじゃ?」



 緊張した様子のリリアがマスターの耳元で囁く。

 その言葉にマスターは少し考え込む様子を見せた後、無言で首を横に振る。

 それを見たリリアは慌てだす。



「で、でもこのままじゃ街の人が……!」


「切り札を使えばタラスクを倒せると思うけどまともに動けなくなっちゃうよ。そうなれば例のバカ貴族どもが押し寄せてくるのは目に見えてる。隠れ家を見つけてない状態でそれは不味いよ」


「火は効きにくいみたいだし、私の雷魔法だと威力不足でしょ? なら闇魔法を使った方が……」


「リリア!」



 リリアの言葉を打ち消すようにマスターは大きな声を出す。

 そしてはるか後ろにある城塞都市の門へとそっと視線を向けると、そこには街の防衛のために兵士が大勢詰めていた。

 騒ぐ様子がないことからリリアの≪闇魔法≫というキーワードを聞いた兵士はいないようだ。



 ≪闇魔法≫

 それは死や呪いなどの暗黒を司る負の側面と、眠りや調和を司る正の側面を持つ属性であり、光と並んで上位属性と言われている。

 決して闇=悪ではないのだが、死霊使役や魂喰らいの術を使った犯罪事件が多発した結果、この地方では禁忌とされた魔法だ。

 リリアはこの魔法に高い適性を持っており、攻撃系の闇魔法は全て修めている。

 強力な闇魔法を使えばこの状況を打開できるだろうが、それが周囲にバレれば厄介になることは間違いない。



「前も話したと思うけど、この地方だと闇魔法は禁忌なんだ。使えることが分かっただけでも異端審問にかけられる。街で聞いた噂だけど貴族や神官達のおもちゃにされるらしい。いいかい、絶対に誰にも知られちゃいけないよ?」



 マスターの言葉にリリアは怯えた表情を浮かべ、背筋を震わせる。

 それを見たマスターは安心させるように、優しい表情で口を開く。



「怖がらせてゴメンね。誰にも聞かれなかったみたいだから安心して。リリア、もう少し待つんだ。この霧には生物の五感を狂わせる作用があるのは言ったよね? これが周囲に満ちるまで待つんだ」



 上空から舞い降りてきた霧を指さすマスター。周囲は大分白く染まってきていて、もう数メートル先までしか見通せないほどだ。

 このタラスクの霧には霧鮫を活性化させるだけではなく、獲物の五感を鈍らせる作用も僅かに含まれている。

 加えて視界を大きく制限する濃密な霧。

 これが周囲を覆いつくせば誰が闇魔法を使っても分からないはずだ。



(だがもう少し濃くならないとバレるな。ここは彼に時間を稼いでもらうしかない)



 マスターは手に持っていた通信用魔道具のスイッチを押すと、遥か上空を飛んでいる信太郎へと語りかける。



「信太郎君、タラスクの気を引いてくれ! 僕の魔道具を使ってタラスクを引きづり下ろす」


『おーし、俺とガゴ太郎に任せろ! カメ公の所まで飛んで倒してくるぜ』


「ガーゴイル! 信太郎君を連れてタラスクの所まで運んでくれ!」



 主の命令に従うガーゴイルは信太郎と共に空へ向かって急加速する。

 ガーゴイルに抱えられ、上空のタラスクを目指す信太郎だが、あっという間に霧鮫の群れに包囲されてしまう。



「おっしゃ! ちょっと倒して来るから待っててくれ」



 そう言うと信太郎はガーゴイルを踏み台にして霧鮫の群れへと単身で突っ込む。

 瞬時に数十匹の霧鮫に取り囲まれ、信太郎の姿が見えなくなる。

 その直後、爆音と共に凄まじい衝撃波が発生し、霧鮫たちがバラバラに消し飛ばされていく。

 信太郎が爆撃のような乱撃を繰り出し、霧鮫を蹴散らしたのだ。



「おーし、ガゴ太郎! 俺を拾ってカメ公の所まで……。あれ、ガゴ太郎?」



 霧鮫の群れを瞬殺した信太郎だが、ガーゴイルの反応がないことに気づき、後ろを振り返る。その先には霧鮫の群れに襲われ、見るも無残に半壊したガーゴイルの姿があった。



「ああああっ!? ガゴ太郎ぉぉぉっ!?」



 ガーゴイルという乗り物をを失った信太郎は真っ逆さまに落下していく。

 あわや地面に激突する前に、マスターが追加で出したガーゴイルをによって受け止められた信太郎だが意気消沈した様子だ。



「マスター、すまねぇ……。ガゴ太郎が……」


「あれは仕方ないよ。まさか足場を破壊してくるとはね。霧鮫は思ったより賢そうじゃないか」


「ああ、たぶんアイツ俺より頭いいぜ」


「魚に頭脳で負けるアンタってなんなの?」



 呆れた表情でずいぶんと辛辣なことを言うリリア。さすがにそれには堪えるものがあったのか、信太郎が奮い立つ。



「クソぅ、このままじゃ終われねぇ! 汚名挽回してくるぜ!……あれ、名誉返上だっけ?」


「……汚名を返上されても困るわ、挽回するなら名誉にしなさいよ。あとアンタは後でマリに言葉を教えてもらいなさい」


「お? 勉強なら教えてもらってるぜ。でも最近すげー物覚えが悪くなってる気がすんだよなぁ。まぁいいや。もういっぺん行ってくるぜ!」



 信太郎はそう言うと傍らのガーゴイルを担いで思いっきりジャンプする。

 助走なしの垂直跳びだというのに数十メートルも跳躍する信太郎。

 完全に人をやめている身体能力だ。



「おっし。こっから先は頼むぜ、ガゴ次郎!」



 ガゴ次郎と命名されたガーゴイルは、信太郎を抱えると一直線に上空を目指す。

 しかし先ほどと違って上空は霧で真っ白に染まり、一メートル先もまともに見えない。おまけにタラスクに霧によって五感まで鈍っている始末。

 この状態で襲撃してくる霧鮫に対処するのは非常に難しいと言える。

 それが並みの戦士であるならば。



「よっと!」



 信太郎は奇襲してくる霧鮫を的確にパンチ一発で爆散させていく。

 奇襲をものともしないのは、信太郎の反射神経の高さゆえだ。

 今の信太郎ならば銃弾も掴み取れるだろう。

 順調に上空を目指して進む信太郎だが、不意に強烈な気流に襲われる。



「おおぅぅっ!? なんだこりゃ!?」



 上空のタラスクが嵐を発生させたのだ。

 信太郎はまるで嵐の中に飛び込んだ木の葉のように撹拌されて目を回す。

 ガーゴイルの出力ではこの嵐を突破するのは不可能のようだ。

 激しい気流に抗えず、信太郎を抱えるガーゴイルは街から大きく離れた場所へと墜落していく。それをタラスクは待っていた。

 街の中にいる大切な物(粕森)を傷つけずに強敵を葬れる瞬間を。



 雲の上にいるタラスクの口腔内に莫大な魔力が迸り、遠雷のような波の音が曇天に鳴り響く。それはあっという間に巨大な水の竜巻となり、空が落ちてきたような爆音と共に信太郎を飲みこんだ。


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