第60話 タラスク襲撃


 霧鮫の大群が街に降り注ぐ直前、鈴が鳴るような声が響いた。



「ストーム・インフェルノッ!!」



 リリアが極大魔法を発動させたのだ。

 街の上空に岩すら蒸発させる紅蓮の竜巻が発生し、霧鮫の大群を大きく削りとっていく。だが霧鮫は軽く見ても数万匹はいるだろう。

 さすがの魔導戦姫の魔法でも全ての霧鮫を滅ぼしつくすことは出来ず、逃げ延びた霧鮫が散開して町へと降り注いでくる。



「数が多すぎる……!」


「リリア殿! あなたの魔法で街中に入り込む前にどうにかならぬのか!?」


「威力が高すぎて街ごと消し飛ぶわよ!」



 兵士の言葉にリリアは悲鳴染みた叫びを上げる。

 その気になれば先ほど使った『ストーム・インフェルノ』よりもっと広範囲に及ぶ魔法を打つこともリリアには可能だった。

 しかし彼女の魔法は威力が高すぎるのだ。

 おそらく得意の火属性魔法で全ての霧鮫を薙ぎ払おうとすれば、余熱や衝撃波だけで城塞都市モリーゼは崩壊するだろう。



(ど、どうしよう? どうすればいいの……!?)



 緊張のあまり、リリアは過呼吸を起こし始める。

 だがそれも仕方がないことだろう。

 リリアは元々臆病な少女だった。

 そんな彼女が戦場に立ったのは知り合いの軍人に頭を下げられたからだ。


 ――『民を救うためにその力を貸してほしい』

 そう言われてマスターと共に軍に同行していたリリアだったが、すぐにその選択を後悔することになる。



 戦時中だというのに、顔を合わせる度に愛人になれと誘ってくる貴族。

 品性のない軍人や冒険者にいたっては寝込みを襲ってくる始末。

 もちろんその全てを叩きのめしてきたリリアだが、さすがにうんざりしていた。



 ――『もうこんな連中とは付き合ってられない。適当な所で抜けだそう』


 見かねたマスターの決断によって軍から逃げることを決めたリリアだったが、当時の連合軍がとった行動によって考えを変えることになる。

 軍は近隣の村々から子供たちを少年兵として徴兵したのだ。

 減り続けた兵の補充が理由というが、まともに訓練を行ってない者が魔物と戦えるはずがない。

 そう反対する部下の意見を上層部は押さえつけ、強引に徴兵を行った。


 ――『上の連中の会話を盗み聞きしてきたが、囮として使い捨てる気らしいぞ』

 ――『なんだと……!』

 ――『上は何を考えているんだ!?』



 一部のまともな将兵のざわめきから軍の狙いを知ってリリアは愕然とした。

 徴兵され、悲観に暮れる子供たちに支給されたのは粗末な槍が一本のみ。

 もはや死にに行くようなものだ。



(今ここで軍から逃げればこの子たちは……)



 子供たちの姿を見て、リリアは想像してしまった。

 本来なら戦いとは無縁の農村で暮らすはずだった子供たちが幼くして命を散らす様を。その日以来、リリアは戦闘の際に誰よりも早く前線に向かって極大魔法をぶち込むようになった。

 すべては無理やり徴兵された少年兵達を守るためだ。

 とある出来事で軍の上層部が入れ替わり、少年兵達が解放されるまでの間ずっとリリアは前線に立ち続けた。



 しかし魔導戦姫という異名を持つリリアだが、彼女の性格はとても戦闘に向いているとは言えない。過酷な戦場に身を置き続けたリリアのメンタルはかなりボロボロで、頻繁に過呼吸を起こすようになっていた。

 過呼吸を起こすリリアに気づいたのか、マスターは慌ててリリアを抱きしめ、頭を撫でながら落ち着かせる。



「リリア、落ち着いて深呼吸してごらん。大丈夫だから安心して? ……ガンマ君、確認したいんだけど洗脳は奴が死ねば解けるんだね?」


「ああ、鑑定の魔眼で見たから間違いない。アンタの魔道具でタラスクの洗脳は解けないのか?」


「人にかけられた洗脳を解く魔道具ならともかく、魔物にかけられた洗脳までは無理だよ。前例や需要がなかったし、解呪方法は誰も知らないと思うよ」


「……そうか。なら一度みんなでギルドに向かってみんなと合流しよう。方針はみんなと話し合って決めるが、たぶんアンタら2人には信太郎と一緒にタラスクを足止めを頼むことになると思う」


「おーし、分かったぜ! 俺はカメの化け物倒せばいいんだな? じゃ、さっそく……」


「ちょっと信太郎君! みんなと合流してからだよ!? ステイステイ!!」



 タラスクの方へと駆け出そうとする信太郎を慌ててマスターが引き留めた。




 ◇



 一寸先すら見えるか怪しい、深い霧が城塞都市モリーゼを包み込んでいた。

 タラスクの生み出した霧だ。

 乳白色の霧の中、一軒の大きな建物が無数のかがり火で薄っすらと照らされている。

 城塞都市モリーゼの冒険者ギルドだ。

 ギルドの前で能天気な顔つきの信太郎が口を開いた。



「で? 俺はどーすりゃいいんだ?」


「それを今から考えるんだよ。すぐに終わらせるからコレでも食ってろよ」



 薫が苛ついた様子で信太郎に袋を投げつける。

 難なく袋を掴んだ信太郎が中を開けると、そこには干し肉が入っていた。

 薫が買い込んでいた非常食だ。

 小腹が空いていたのか、信太郎はさっそく干し肉を口に放り込み始めた。

 とても幸せそうな表情だ。

 満足そうに食事をする信太郎を横目で見ながら、空見が口を開く。



「ガンマ、千里眼で居所が分かったりしないのかい?」


「霧のせいで正確な居場所は分からない。だが、やけに霧が濃い場所がある。おそらくそこだろうな。地図で言うとここだ」



 ガンマはみんなに見えるように街の地図を広げ、ある一点を指さす。

 そこは街の北側で住宅地が密接した地域だ。

 一寸先もよく見えない霧の中で人口密集地帯に入り込まれた以上、捜索は困難になるだろう。厄介なことになったと空見や薫は顔をしかめた。



「タラスクも真っすぐそこに向かってるし、敵はそこにいる可能性は高いね」



 空見は街に迫るタラスクを一瞥してそう呟いた。

 ほんの5分前に洗脳されたタラスクは街まで残り数百メートルの所まで近づいて来ていた。その巨体のせいかタラスクの飛行速度はかなり遅い。

 地球で言うと空気より軽い水素を詰め込んで浮かばせた飛行船と同じかそれ以下の速度だろう。街に入り込んだ霧鮫もまずは粕森の安全を最優先にしているのか、大多数が北側に集まり、積極的に人を襲う気配はない。



 粕森対策のため、あらかじめ住民を避難させておかげで住民の多くが家に篭っていたというのもあるだろう。

 そのおかげでまだ街には大きな損害はないようだ。

 今のところは、といった枕詞はつくが。



「あんま時間ないし、さっさと決めるぞ。役割分担はどうするんだ?」


「タラスクの足止めを出来るのは信太郎とそこの魔導戦姫くらいだろう? 俺たちは全員で粕森を仕留める」



 薫の言葉にガンマがギルド前に作られたベンチを指さす。

 そこにはマスターに抱きかかえられ、ようやく落ち着いた様子のリリアが座っていた。傍らには心配した表情のマリもいる。



「リリアさん、本当に大丈夫ですか……?」


「もう大丈夫よ。こういうの慣れてるの。ほら! 問題ないでしょ?」



 元気よく立ち上がるリリアの体調はどこも問題なさそうに見える。

 もっとも、ほんの数十秒前まで涙を滲ませて苦しげに呼吸していたリリアを見ていたマリとしては全然安心できない。

 それは遠目で見ていた空見たちもまた同じであった。

 心配そうな表情の空見がぽつりと呟く。



「噂だと貴族の誘いを断ったせいで嫌がらせを受けていたって聞いたけど、本当みたいだね。可哀そうに……」


「空見、今の論点はそこじゃない。彼女は戦えるのかってことだよ。しかし彼女、泣き顔もそそるな……、っ!?」



 余計なことを言って周囲にジロリと睨まれ、薫は慌てて口を閉じる。

 失言した薫に向かって呆れ顔のガンマが口を開いた。



「戦えるのは信太郎と魔導戦姫だけだろ? 悔しいが俺たちはじゃタラスクには太刀打ちできない。そのくらい分かってるはずだ」



 ガンマの言葉に空見が苦悶の表情を浮かべる。

 責任感の強いこの男は、自分より年下の者に大変な役目を押し付けてしまうのが心苦しいようだ。

 しかしそれも仕方ないことだろう。

 薫は当然として、空見やガンマでもタラスクが相手では火力不足だ。

 銃使いの薫にいたっては霧鮫相手ですら苦戦するだろう。



「俺たちが粕森を仕留めるんだ。行くぞ。もう時間がない」


「あれ、そう言えば……」


「どうしたんだい? マリさん」



 さっそく行動しようと足を動かす空見たちだったが、大事なことに気づいたといった様子のマリを見て足を止める。

 何か妙案でも思いついたのかと注視してくるガンマの前で、マリは不思議そうに周囲を見渡し、一言呟いた。



「ねぇ、小向くんとエアリスちゃんはどこにいるの?」


「「「あっ」」」



 ガンマ達三人の声が重なる。

 薄情なことに、どうやら小向のことを忘れていたようだ。




 ◇


 同時刻、城塞都市の某所で逃げ遅れた住民が走り続けていた。

 彼らの顔つきは必死だ。

 心臓が破けそうなほど苦しいが、彼らは決して足を止めない。

 少し前に転んだ男の断末魔の悲鳴が今も彼らの耳にこびり付き、死にたくないなら足を止めるわけにはいかないのだ。



「なっ……なんなのアレっ!?」

「バカ! 無理に喋るな息を整えろ!!」



 息も絶え絶えと言った女の疑問を傍らの男が黙らせる。

 彼らはとある商会に勤める従業員だ。

 周りが避難する中、上の人間に『火事場泥棒に入られんように戸締りをしっかりしろ』と命令されて、慌てて店を閉め終わったらすでに辺りは霧に包まれていた。

 困惑する従業員一同の前に、宙を泳ぐ大きな魚が目に映る。



『なんだ? この生き物は……』

『街にいるんだし魔導士の使い魔じゃねぇか?』



 見たことのない生き物に彼らは揃って目を丸くする。

 運の悪いことに彼らは霧鮫を見たことがなかった。

 兵士や冒険者ならともかく、街の住人は霧鮫の名前は知っていても姿を見たことがないという者は珍しくない。

 何故なら霧鮫はタラスクの森から離れることなどまず無いからだ。

 故にその悲劇は当然の如く起きた。

 不用意に近づいた男が上半身を食いちぎられたのだ。

 その時になってそれが危険な魔物だと気づいた従業員一同の行動は早かった。

 慌てて反転した彼らは避難所へ向かって走り始める。

 そして彼らの逃走劇は今に至り、その終演も目に見える形で現れた。



 前方からも霧鮫が現れたのだ。

 後ろを振り返らなくても彼らにはよく分かる。

 戦いとは無縁の彼らにも分かるほどの血に飢えた視線がずっと背中に突き刺さっているからだ。すぐ後ろにあの怪物がいる。



「そんな……! こんな、こんな最期なんて……」



 それは誰の口から漏れた言葉なのか分からないが、少なくても彼らの総意であることは間違いない。

 飢えた霧鮫が群がろうとした瞬間、烈風と共に不可視の刃が奔り、霧鮫をバラバラに刻んだ。突然の出来事に目を丸くする集団の頭上から気弱そうな少年の声が届く。



「皆さん! 大丈夫っすか~!?」



 避難民が顔を上げると、屋根の上には小柄な人影が立っていた。

 ぽっちゃりとした小柄な少年と、その頭を踏みつける小さな癖に気の強そうな精霊だ。彼らは風魔法を打ちまくり、近寄ってくる霧鮫を片っ端から刻んでいく。



「うおおぉっ!! み、皆さ~ん! 落ち着いて決して騒がず急がず急いで逃げてくださいっす~!」


「子豚、アンタの言葉矛盾してるわよっ!? ほらっ、避難所はすぐそこよ! さっさと逃げなさい!」



 小さな精霊が指し示す先にはこの町の避難所の一つである教会が見える。

 対魔物用の結界で守られたあの建物ならよほどのことがない限り大丈夫だろう。



「あ、ありがとうございます!」

「精霊様! 恩に着るぜ!」

「子豚の兄ちゃん、ありがとな!」

「精霊さん、子豚の坊主! ありがとな!」



 避難民の一団は口々にお礼を言うと教会へと走り始める。

 これに難色を示したのはぽっちゃりとした少年――小向だった。



「小向っすよー!? ちょっとぉ! エアリスさんのせいでみんな名前間違えて覚えてるっす!! こんなしまらない人助けってないっすよ!」


「うるっさいわね! 口を動かす前に手ぇ動かしなさいっての!」



 泣き言をいう小向をビンタしながら、エアリスは周囲の霧を上空へと押し上げていき、霧の中から出てしまった霧鮫は目に見えて動きが鈍っていく。

 霧鮫は強力な魔物だが、タラスクの生み出した霧から外に出ると動きが鈍るという特徴を持っている。

 エアリスによって動きの鈍った霧鮫を小向が確実に仕留めていく。

 さすがは極大魔導士と大精霊といったところだろう。

 二人の的確なコンビネーションによって周囲の霧鮫が全滅するまでほんの5分もかからなかった。



「エアリスさん! この辺りに降ってきた霧鮫は全部やったっすよ」


「上出来よ、子豚! じゃあ次行くわよ!」


「はいっす!」



 小向たちは風魔法を応用して次の霧鮫が密集する場所へと高速で飛行していく。

 2人は霧鮫から住民を必死に守っていた。

 住民の被害が軽微なのは小向とエアリスのおかげと言えるだろう。

 大活躍の二人だが、まさか仲間に存在を忘れられてると夢にも思ってもいなかった。


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