第59話 最低の悪あがき
(嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だっ!!! )
ガンマに背中を踏みつけられる粕森は必死に暴れながら周囲を伺う。
地球と比べてモラルの低いこの世界では、犯罪者どころか平民にもまともな人権が与えらないことは粕森にもよく分かっている。
そんな世界で町を一つ滅ぼしたのだ。
権力者――貴族は間違いなく怒っているだろう。
まともに裁判など受けれるはずもないし、終身刑もこの世界にあるかどうか分からない。そもそも楽に殺してもらえるはずがないだろう。
何でもいいから洗脳できるモノを探し、この危機を抜け出さなければ待っているのは残酷な最期だ。
そう。日本に住んでいた頃に、目の前でヤクザに解体された粕森の先輩達のように。
(嫌だぁァァ! 死にたくねぇ! あんなの人の死に方じゃねぇよっ!! あんな死に方は絶対嫌だ! なんで俺がこんな目に……!? 何か、何か使える物はないのか!?)
半狂乱になって暴れる粕森の視界にあるモノが映る。
それはまるで空に漂う山のようで、大きな動物の背のようにも見えた。
その直後、粕森は生まれて初めて音が聞こえなくなるほど集中する。
それは時間にしてほんの数秒ほど。
すると先ほどまで縋るような泣き顔だった粕森の表情が悪鬼のように歪んでいき、やがて痙攣したような薄笑いを浮かべ始めた。
「クヒッ! ケヒヒぃッ!」
それは最初、小さな笑い声だった。
次第にそれは天に届くほどの大きな声量へと変わり、悪魔のような狂笑へと様変わりしていく。
「ヒヒっ! ヒイィッハハハハッ!!」
口もとを三日月のように歪め、粕森は笑い続ける。
どこまでも暗く歪んだ嘲笑に、連行しようと近づいていた兵士達もその異様な雰囲気にたじろぐ。
「お、おい。コイツ、急に笑い出したぞ……」
「気でも触れたんですかね?」
不気味そうに顔をしかめる兵士の前で、粕森は勝ち誇ったように吠える。
「賭けに勝った! 俺の勝ちだ! 俺を追い詰めるからこうなるんだっ! ぜんぶぜんぶぜんぶ……全部お前らが悪いんだぁァァァツっ!」
「お前、何を……?」
不審な顔つきでガンマが口を開いたその時だった。
突然、雲一つなかった青空が薄暗くなり、辺りに霧が包まれていく。
「お? なんか白っぽいモヤみてーなのが出て来たぞ」
「本当だ。なんで急に霧が? さっきまで快晴だったのに……?」
どこか困惑した様子で信太郎とマスターは会話する中、リリアがびっくりしたような声を上げた。
「これ霧じゃないわ! 魔法……いえ、魔法生物の一種みたい。発生源はその男ではないみたいだけど……」
「一体どこから来たのかしら?」と可愛らしく首を傾げるリリアの言葉に、ガンマとマスターは顔色を変える。
「まさか……うぉっ!?」
その瞬間、強い衝撃に驚くガンマは目を見開く。
いつの間にか飛び込んできた信太郎に抱き寄せられたようだ。
「信太郎!? お前……っ!?」
「何をするのか」というガンマの言葉は形にならなかった。
自分をかばうように突き出された信太郎の右腕に真っ白な鮫が噛みついているのに気づいたからだ。
「どっせい!」
妙な掛け声と共に繰り出された信太郎の頭突きによって、鮫の魔物は粉みじんに爆散する。しかし魔物は一匹だけではなかった。
いつの間にか信太郎たちを無数の魚影が取り囲み、血に飢えた視線を向けて来ていた。
霧の合い間から見えるその魔物の見た目は宙を泳ぐ体長6~7メートルほどのホホジロザメに見える。
そしてガンマや兵士はこの鮫に似た魔物に見覚えがあった。
「霧鮫だと!?」
「なんでこいつが街の中にいるんだ!? 」
霧鮫。
それはタラスクが生み出した魔法生物にして捕食器官。
満腹になるまで獲物を食い漁ると、その養分を主であるタラスクへと運ぶ習性を持っている魔物だ。
タラスクの作った餌場から離れないはずの魔物がどうして街の中にいるのかと、兵士たちは困惑の表情を浮かべる。
その直後だった。
「GOAAAAAAAAAAAA!!」
街全体を震わせる咆哮が響き、信太郎以外の者は驚きに身を竦ませる。
何事かと周囲を見回すガンマ達の前で、一人の兵士が魂が抜けたような表情で空を見上げていた。
「おいおい、なんであの化け物がこっち来てんだよ……」
唖然とした兵士の声に信太郎たちが空へ視線を向けると、タラスクが本来の回遊ルートを外れてこちらに向かってくるのが見えた。
こちらから刺激したりしない限り、タラスクが回遊ルートを外れて街を襲いに来るなど一度もなかったことだ。
未だかつてなかい危機に呆気にとられる兵士の前で悪鬼のような表情の粕森が爆笑する。
「成功した! まさかあんなデカブツにも成功するなんて……、やっぱ俺はツいてるぜ! こんなことならもっと早く試せばよかったわ~!」
「やはりお前がタラスクを洗脳したのか!?」
災害級の魔物であるタラスクに粕森の洗脳が通じたことにガンマは驚愕する。
だがそれはあり得ない事ではない。
何故なら粕森の能力は『転移者や転生者、英雄には効かない』が、それ以外のあらゆる生物を洗脳可能だからだ。
もちろんガンマもその可能性を考えなかった訳ではないが、魔眼使いとしての経験からどんな術にも射程距離が存在することを知っていた。
対象が見えていればいいのではなく、魔眼や術の種類によって最適な射程距離が存在するのだ。
相手と距離が離れれば離れる程、術をレジストされる可能性が跳ね上がることから、例えタラスクが見えていたとしても粕森の能力の射程外だろうと高を括っていた。
(クソっ! 最悪だ、まさかコイツの洗脳があんな所まで届くとは……!!)
歯噛みするガンマだが、彼の推測は当たっていた。
粕森にとってもこれは賭けだったのだ。
粕森の洗脳でも距離が離れすぎていると成功率が下がるようになっていて、なんとタラスク洗脳の成功率は一割を切っていた。しかし可能性はゼロではない。
確率で言うとほんの数%。
最悪なことにその数%を粕森は引き当ててしまったのだ。
「せ、先輩! どうすれば……!?」
タラスク襲来に怯える兵士たちが顔色を変え、上官へと指示を仰ごうとする。
部下の視線を一身に受けた中年の兵士は霧鮫を警戒しながら粕森へと一歩踏み込む。
「くそっ! おいてめぇ!! タラスクに街を襲わせたらどれだけの犠牲が出るか分かってんのか!? 今すぐやめさせろ!」
「はぁっ!? 知らねぇよそんなモン! だって俺は正しいんだからよ! 間違ってんのはいつだってテメーらだっ! 俺は悪くねぇっ!!」
やめさせようとする兵士の怒声をかき消すほどの声で粕森は叫び返す。
眼が完全にイってしまっていて、明らかに正気ではない。
もはや口で言っても聞かないだろう。
「クソっ! こうなったら……!」
こうなればすぐに粕森を殺してタラスクの洗脳を解くしかない。
魔眼使いのガンマは魔力を目に注ぎ込む。
使用するのは『炎熱の魔眼』。
ガンマの能力『七つの魔眼』の一つであり、視界の中にあるモノを爆破炎上させる能力だ。
魔眼を発動させて粕森を焼き殺そうとするガンマだったが、身を挺した無数の霧鮫によって防がれてしまう。
なおも魔眼を連発して粕森を仕留めようとするガンマだったが、濃密な霧によって視界を覆い隠されてしまう。
「ちいぃっ!」
ガンマは悔し気に舌打ちをする。
こうなるとガンマは弱い。
魔眼は使い手が対象を認識していないと効果を発さないからだ。
「信太郎! お前の鼻で奴を追跡できるか!?」
「そうしてーけどさ、この霧のせいかなんか鼻が利かねーんだ。それにこの鮫っぽい魔物、俺が離れた瞬間に一斉に襲ってくると思うけど大丈夫か?」
「くっ!」
信太郎たちを取り囲む霧鮫の群れは軽く100匹はいる。
だというのに襲ってこないのは信太郎を警戒しているからだ。
どうやら頭突き一発で霧鮫を爆散させた信太郎を警戒しているらしく、先ほどから信太郎の手の届かない空中を旋回している。
警戒の対象である信太郎がこの場を離れれば、その瞬間に霧鮫が襲ってくるのはガンマにも理解できた。
そうなれば後衛職であるガンマはなど骨も残らないはず。
こちらには魔導戦姫と謳われたリリアがいるが、彼女は魔導士だ。
マリの話だとあまりに魔法の威力が強すぎて、周りを巻き込まないようにいつも苦労していると聞く。
街中で霧鮫が一斉に襲ってきたら街を巻き込まずに倒すのは困難だろう。
歯噛みするガンマの耳に、霧の向こう側から粕森のヒステリックな叫びが響く。
「全部お前らが悪いんだ! 俺は悪くねぇ! 俺を追い詰めたお前らが悪いんだよっ!! タラスクっ! こいつらを……いや、この街を滅ぼせぇぇぇっ!!」
その瞬間、粕森の命令に応えるようにタラスクの体から数えきれないほどの霧鮫が発生し、津波のように街へと押し寄せてきた。
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