第58話 粕森VSガンマ

「思った以上にうまくいったじゃねーか」


「ええ、今なら逃げられます」



 警備の薄くなった通りを見て粕森が笑みを浮かべる。

 逃げるために民間人を暴徒にして良かったと胸をなで下ろす。

 検問にはまだ3人の兵士が残っているが問題はないだろう。

 相変わらず検問の兵士には洗脳の力が阻まれてしまうが、この程度の数なら突破できるはず。

 なにせ粕森のそばに立つ火傷男は銀等級の冒険者だ。

 並みの兵士が束になってもかなうはずがない。

 だというのに粕森は頼りがいのある火傷男の顔を見てため息を吐く。



(しっかし本当に醜いツラだな、コイツ。いい加減このツラ見たくねぇから代わりを見つけて切り捨てたいぜ……。さっきのマリィって女をモノに出来なかったのは惜しかったな)



 さんざん世話になった火傷男に対して感謝どころか粕森は心中で悪態をつく。

 かつてはここまで酷い性格ではなかった。

 本来の粕森は少しだけ自己中心的なとこはあるが、友人もそれなりに多くいる、どこにでもいるチャラ男だ。

 だが日本でのヤクザとの一件以来、望まない犯罪を手伝わされる毎日が彼を悪い方向に変えてしまった。

 日本にいたかつての友人が今の粕森を見たら間違いなく絶句するだろう。



 今の粕森にとって自分の都合と欲求だけが全てだ。

 いつだって正しいのは自分で、間違っているのは相手。

 自分の意見が通らないことはすべて相手が悪いと本気で思っている。


 ――何故みんなは自分の思い通りに動かないのか

 ――何故みんなは自分の決定に逆らうのか



 言葉にするなら粕森の考えはこのように歪な考え方をしている。

 幼子でもここまで自己中心的ではないだろう。

 計画通りにいかなかったことを思い出し、苛立つ粕森は血が出そうなほど強く爪を噛む。そんな時、注意深く検問を見ていた火傷男が小声でささやいた。



「粕森様、兵士が一人減りました。今のうちに抜けましょう! これ以上待っても敵兵は減らないはず」


「……ちっ! じゃ行くか。しっかり俺を守れよ」


「はっ! この命に代えても」



 フードを目深にかぶり、裏路地から出た粕森達は堂々と通りを歩き、検問へと近づいてく。

 避難警報が出ているせいか通りの人影はまばらで、フードで顔を隠した粕森達は周囲から浮いていた。

 そのせいか検問まであと十歩というところで兵士が粕森達に気づく。



「おい、そこの2人! そこで止まれ! フードを取って顔を見せろ」



 その瞬間、火傷男が矢より速く動いた。

 ほんの一瞬で距離を詰めると兵士の首を断ち切り、慌てて警笛を鳴らそうとしたもう1人の兵士の喉元に短剣をねじ込む。

 恐るべき早業だ。

 ほんの数秒で2人の兵士を仕留め、音も無く検問の影に死体を押し込めたその力量は間違いなく一流の冒険者といえる。

 事実、通りにいた他の住人は何が起きたのか分からず、きょとんとしていたが、すぐに興味を失ったのか家の方へと足を進めだした。



「粕森様、この兵士の服に着替えてください。兵士のふりをして逃げ出しましょう」


「おう。……んだよ、血がついてんじゃん! 汚ねぇな」



 差し出された血まみれの衣服を見て、不愉快そうに舌打ちしながら粕森は兵士の服へと手を伸ばす。

 その時だった。



「よう! 久しぶりだな、ゲス野郎」


「あ?」



 どこかで聞いたことのある声に顔を上げると、粕森は自分が取り囲まれていたことに気づく。

 慌てる粕森の前に進み出てきたのは黒ずくめの根暗っぽい男だ。

 どこかで見たことがあるような気がしたが、粕森には思い出せなかった。

 思い出そうとする粕森だったが、一人の少女を目にしてそこから目が離せなくなる。



 粕森の視線の先にいたのはとんでもない美少女だ。

 年の頃は十五、六才といったところであろうか。

 宝石のように煌く緋色の瞳、整った鼻梁に艶やかな赤い唇。

 腰まで届く豊かな髪はまるで黄金のように、そしてその美貌は女神のような輝きを放っていた。

 丈が短めのスカートから伸びる肉付きの良い足に、服を着ていても豊かさを主張する胸元の双丘に粕森の目は釘付けになる。

 粕森が今まで見てきた女の中で間違いなく一番美しい女だ。



(おいおい、こんな女に会えるなんてとんでもねぇ幸運だぜ! もしかして噂のハイエルフって奴か? いや、耳が尖ってねぇから違うか。まぁいい、さっそくモノにしてやる!) 



 欲情に目を血走らせた粕森は即座に洗脳の力を彼女へと飛ばす。

 その直後、何かに自分の力がかき消された感覚を感じ、苛立たしげに舌打ちをする。



(ああっ!? またかよ! どうなってんだ!? せっかくこんないい女がいるってのによ!)



 粕森は知らないが、粕森を取り囲む人間はあらかじめ錬金術師の作った護符――洗脳封じの護符を装備済みだ。

 洗脳の力を封じられた今この場において、粕森はただの一般人に他ならない。

 緊張した様子の火傷男と違って、粕森の視線は一人の少女――リリアに釘付けだ。

 武器を持って自らに迫る男より、女に見惚れる粕森を黒づくめの男――ガンマが呆れた表情を浮かべる。



「お前、本当に変わってないな」


「ああ? お前どっかであったのか? 見覚えねぇけど」


「……お前はあの町の住人を覚えているか?」



 感情を押し殺したようなガンマの問いに対し、粕森は人を馬鹿にした声色でゲラゲラと嗤いだした。



「はぁ? あの町ってどの町だよ? お前、国語力ないって言われねぇ? あの町って言葉だけじゃどこの町だかワカリマセーン!! バカだろ、お前!」


「……今の言葉で分かった。お前は救いようのないクズだってことがな。その様子じゃ自分が滅ぼした町の名前も、殺した住人の名前も覚えちゃいないだろ」



 ガンマの言葉に粕森はきょとんとした顔つきになる。

 しかしすぐに表情を歪めると烈火のごとく怒りだした。



「お前、あの町の生き残りかよ!? なんだよなんだよ、何で生きてんだよ!!? そうか、だから指名手配されてたのか!  お前らのせいで俺がどれだけ不便な生活したのか分かってんのかよ!? 人の迷惑ってモンを考えろや、常識ねぇな!!  ったく、あの町の連中も使えねぇな! 町にいる奴はみんな殺しちまえって命令したのによ!!!」



 そのあまりの言い分にガンマだけでなく、周囲の兵士も絶句する。

 どこまでも身勝手で、吐き気を催す邪悪。

 自分が利用して殺した相手さえ口汚く罵るその様は、能天気でおバカな信太郎ですら表情を険しくするほどだった。



「おい! さすがにそれは酷すぎるじゃねーか? 」


「ああっ!? 俺に意見すんじゃねぇよ!!」



 自分に意見した信太郎に怒鳴り返す粕森だったが、信太郎の容姿を見て顔色を変えた。



(能天気でバカっぽいガキ……さっきギルドであった奴か!? まずいぞ! こいつは黒髪黒目だし間違いなく転移者……! なんて俺は運が悪いんだ! 俺が一体何したってんだ!)




「粕森様、私が道を開きます! 逃げて下さい」



 熟練の冒険者である火傷男は理解していた。

 自分を取り囲む者すべてが格上であることを。

 逃げ切れないならせめて一か八かで粕森だけでも逃がそうと、決死の覚悟で飛び掛かる。

 火傷男が狙うのは金髪の美しい少女だ。

 この場にいる以上、あの少女も只者ではないのは分かっている。

 だが装備品から考えて彼女はおそらく魔導士。



(接近戦ならこちらに分がある……!)



 うまく捕らえて人質に出来れば逃げることも不可能ではない。

 一直線に飛び込む火傷男の前に一人の男が立ち塞がる。

 信太郎だ。



「邪魔だっ!!」



 火傷男が繰り出す最速にして渾身の突き。

 彼にとって生涯最高の一撃と言えるだろう。

 そんな一撃を信太郎は危うげ無く鷲掴むと、そのまま剣を握りつぶす。



「なにっ!? そんなバカなっ……!」


「ていっ!」


「がぁっ!?」



 驚愕に固まる火傷男を信太郎は強めのデコピンでぶっ飛ばし、そのまま吹き飛んで建物に叩きつけられた火傷男は昏倒する。

 信太郎がデコピンで倒したのは別にふざけているからではなく、強めに殴れば殺してしまうと本能で気づいたからだ。

 どうやら獣に近くなった信太郎でも、喰うため以外の殺しは忌避感があるらしい。



「これでお前を守るのは誰もいないな」


「ううっ……! ひ、卑怯だぞ! 大勢で一人を取り囲むとか……お前らそれでも男かよぉ!?」



 ガンマの言葉に粕森が泣きそうな叫び声をあげる。

 だが急に妙案を思い付いたといった様子で破顔し、腕まくりをした。



「そうだ! おい、黒づくめのモヤシ! 俺とタイマンでやろうぜ! それで白黒つけようじゃねぇか! 俺が勝ったら見逃せ! なっ! いいだろ?」



「こいつ、この期に及んで……」



 粕森を取り囲む兵士達は憎々しげに粕森を睨む。

 一つの町を滅ぼし、この町でも無辜の民を使い捨てたというのに悪びれずに図々しい提案をする粕森に殺意を抱いているようだ。

 当然だが兵士達には粕森の提案に乗る気はない。

 本音を言うならこの場で切り捨てたい兵士達だが、その思いをグッと堪えた。

 彼らは貴族連中に粕森を生きて連行しろと命令されている。

 面子を大事にする貴族や権力者たちが、自分に楯突いた犯罪者を簡単に殺すはずがないと熟練の兵士はよく理解していた。



「連行しろ」


「隊長、いいんですか? ここで始末した方が……」


「新人、お偉いさんがコイツを簡単に殺すと思うか? この外道に長く地獄を見せるはずさ」



 察しの悪い新人を急かす中年の兵士を押しのけ、一人の男が前に進み出る。

 ガンマだ。

 そんなガンマを中年兵士は怪訝な顔で見つめた。



「ガンマ殿? 何を……?」


「コイツは俺とサシでやりたいんだろ? ならやってやるよ」


「何っ!? 何を勝手に……!?」



 慌てて止めようとする中年兵士の肩を信太郎が掴んで止めた。



「なぁおっちゃん。あの二人因縁があるみてーなんだ。悪りぃけどちょっと待ってくんねーか? いざって時は俺が止めるからさ」


「しかし……」


「お~お~! いいじゃねぇか男気あってよぅ! じゃあさっそくやろうか、モヤシ野郎!」



 なおも言い募ろうとする兵士達を遮るように慌てた様子の粕森が声を張り上げる。

 変に話し合う時間を与えて自分の申し出をなかったことにされたくないのだろう。

 そんな粕森の前でガンマが無表情でローブを脱ぎ捨てる。

 ローブを脱ぎ捨てたガンマの体格を見て粕森は笑みをこぼす。



(やっぱモヤシ野郎だ、ガタイは俺の方がいい。しかもコイツ無表情ってことは緊張してるな? こりゃ勝ったわ!)



 日本にいた頃、それなりにケンカ慣れしていた粕森は自分が負けるはずがないと確信していた。

 粕森は力任せに突っ込むと、やや大振りのテレフォンパンチを繰り出す。

 一撃KOを狙ったパンチだったが、容易くその拳を弾いたガンマは鋭いアッパーで粕森のアゴ先を正確に撃ち抜いた。



「あがっ!?」



 予想だにしない一撃に足をもつれさせる粕森。

 こんな弱そうな男に負けるはずがないと妄信していたせいか、その衝撃は粕森の心に大きな空白を作り上げる。

 そしてその好機を見逃すガンマではない。

 ガンマは無防備な粕森のこめかみへと渾身の右フックを叩き込み、たまらず地面に倒れこんだ粕森の顔面にガンマの蹴りを叩き込んだ。



「ひぎいぃっ!? い、いでぇぇっ!! な、なんでぇ……?」



 鼻血で顔を赤く染めた粕森は鼻を潰された痛みで地面を転がりまわった。

 ひぃひぃと呻きながら粕森は痛みを堪えてそっと視線を上げる。

 そして自分を見下ろすガンマの視線に気づくと、粕森の瞳に憎悪の炎が燃え上がった。



「ぢ、ぢくじょおぉっ!! 俺を見下すんじゃねぇよ! この雑魚がっ! モブ野郎の分際でよくもぉっ……!!」



 涙と鼻血でグチャグチャになった顔をさらに醜く歪めた粕森がガンマへとタックルを仕掛ける。

 押し倒してからマウントポジションをとってタコ殴りにするつもりだ。

 そんな粕森の試みをガンマの膝蹴りが押し止める。

 顔面への重い衝撃で目を回す粕森の首筋にガンマの体重をのせた肘鉄がぶちこまれ、たまらず粕森は地面に倒れ伏した。

 戦意を失ったのか、粕森は唖然とした表情でガンマを見上げる。

 まさか自分が負けるとは欠片も思っていなかったようだ。



「なっ、なんで……?」


「ずっと他人に戦わせてたお前と違って俺は努力した。それだけの事だろ」



 涙目の粕森へ冷たく言い放つガンマ。

 鬼族の襲撃以来、ガンマは兵士に混じって毎日訓練に参加していた。

 鬼気迫る様子で鍛錬を続けるガンマはいつもボロボロになって宿に帰って来て、空見やマリから回復魔法で治療を受けたものだ。

 お世辞にも才能があるとは言えなかったが、ボロボロになりながら訓練について来るその姿は兵士達にも好意的に受け止められ、ガンマは並みの兵士と同等の技量を備えるまでに成長していた。



 いつも洗脳した相手に戦わせ、自分は安全な所でダラダラしていた粕森。

 毎日血を吐くような訓練を続けたガンマ。

 この結果は当然の事だといえるだろう。




「年貢の納め時ってやつだ。本当ならここでお前をぶっ殺してやりたい。でもここで死ぬより捕まった方がお前は苦しむはず。さあ、地下牢で地獄が待ってるぞ」


「ひぃっ……!」



 ガンマの殺意のこもった瞳を見て粕森の背筋が震える。

 粕森はこの目に覚えがあった。

 日本で自分を殺そうとしたヤクザと同じ目だ。

 当時の恐怖がフラッシュバックし、粕森の歯の根が合わぬほどガチガチと音を立てる。

 必死に這いずって逃げようとしる粕森の背中をガンマが体重を込めて踏みつけ、たまらず粕森はカエルがつぶれたような悲鳴を上げた。



「ガンマ殿、もう宜しいか?」


「ああ、ワガママを言ってすまなかったな」


「いや、貴殿の思いは私もよく分かる。おい、連行しろ!」



 中年兵士の命令に従い、兵士達が近寄ってくるのを横目で見た粕森は、この世の終わりでも見たかのように絶望した顔を浮かべた。


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