第54話 不吉な予感
南部連合王国の北に位置する大都市、城塞都市モリーゼ。
普段は活気のある大通りはピリピリと空気が張り詰めていた。
それもそのはずだ。
他国の兵士や冒険者が大通りを闊歩しているのだから無理もない。
特に犯罪を起こすと他の領地に逃げ込む『流れ』の冒険者が多いようで、衛兵たちも目を光らせていた。
もっとも、とても手が足りず、大半が野放しになってはいたが。
少し前まで女子供が安心して出歩いていた大通りには、異様に目をギラつかせた冒険者たちがうろついていて、見るからに治安が悪そうだ。
実際に無銭飲食や暴力事件が多発していて、女子供は外出を控えるように市長からお触れが出ている。
冒険者というより、武装したチンピラが町中にいるようなもので、市長としても頭を抱えているらしい。
流れの冒険者たちは大通りの至る所に座り込み、昼間から酒盛りを始めていた。
酒を飲みながら、今晩の相手――獲物を探していた男達の視線が一か所に集中する。
「なんでぇ、あの娘……!」
彼らの視線を集めていたのは一人の少女だ。
年の頃は16~7歳といったところであろうか。
腰まで届く金色の髪は柔らかく波打ち、赤い宝石のように美しい。
顔立ちは恐ろしい程整っていて、その美貌は女神のような輝きを放っていた。
しかもその女の服装は信じられないような代物だった。
赤と黒を基調とした丈の短い赤いドレスで、胸元を大きく開けたデザインとなっている。
そのおかげで豊かな乳肉は今にも零れ出しそうだし、太腿まで剥き出しになった白い足がなまめかしい。
彼女は隣に従者と思われる男を連れ、大通りを通り抜けていく。
「町の住人じゃなさそうだ」
「貴族が呼んだ高級娼婦か?」
「どうでもいいだろ、そんなもん。追うぞ!」
酒盛りを中断した男たちは、欲情に目を血走らせながら、2人に向かって間合いを詰めていく。
こんな片田舎の街でここまでの美女と居合わせるなど、現実とは思えないような幸運だ。
彼らは下衆な笑みを浮かべながら追いかけていく。
目の前で2人が脇道へと入るのを見て、男たちは殺到する。
もう彼らの頭の中には、彼女を押し倒し、己の獣欲を発散することしか考えられなかった。
だが脇道に飛び込んだ男達が目に入ったのは、誰もいない路地裏だった。
ゴミでも放置されていたのか、妙な匂いが充満している。
鼻につく、どこか甘ったるい香りだ。
「お、おい! どこ行きやがった!?」
「気づかれてたか……!」
「まだ近くにいるはずだ!」
「絶対逃がさねぇ」
路地裏を探し回る男たち。
建物の間は狭すぎて通れそうにないし、他に繋がる道もない。
どういうことかと首をひねる男の背後で、重いものが倒れる音が聞こえた。
振り返った男の視界には、苦し気に唸る仲間達が倒れていた。
「何だ!? どうしたお前ぇら……! ん……?」
慌てて駆け寄ろうとする男は、足に力が入らないことに気づく。
さっきから甘い香りが強くなっていて、慌てて大通りに向かって走ろうとするが、
そのまま膝から崩れ落ちて男は意識を失った。
◇
「汚らわしいわ! 本当にどうしようもない連中ね」
「うん。思った以上にアホだったし、少し警戒しすぎたかな」
建物の屋根に立っているのは、リリアとマスターだ。
彼らは路地裏に倒れる男達を、軽蔑した目で見下ろしていた。
欲望を抑えることを知らず、他者を傷つけることしかできない。
獣と言えば、獣に失礼な気さえした。
冒険者達を気絶させたのは、マスターの魔道具の効果だ。
路地裏に麻痺と眠りのポーションを散布しておいたが、こんなに簡単に一網打尽にできるとは思わなかった。
失敗した時のために他の手も用意していたというのに。
「まぁいいか」
使わずに済んだのならそれも良いだろう。
油断して足元を掬われるよりもマシだ。
マスターは腰のベルトポーチから試験管を取り出すと、それを路地裏に向ける。
その直後、試験管から黒い液体が何十リットルへと路地裏に流れ落ちていく。
明らかに試験管の容積の何百倍もある質量だ。
「グラトニー、彼らの装備を喰らえ」
グラトニースライム。
暴食の名前を冠するスライムで、その名の通り何でも食べる。
あらゆる物質を喰いつくし、己の生命力や質量に変える能力を持つ。
弱点として、魔力や霊体などの実体がない物は食べれない事、火に弱いことがあげられる。
グラトニーはマスター指示通りに冒険者の装備を丸のみにし、瞬時に消化する。
そして丸裸になった冒険者を触手で拘束し、いつでも丸のみに出来るように男たちを包み込むと動きを止めた。
どうやらマスターの指示を待っているようだ。
「殺すの?」
「いや、裸で下水道に放置する。巨大な虫やネズミが食べてくれるだろうさ。彼らがやってきたことを考えると、痛みなく一瞬で死ぬのは被害者が許さないだろう」
リリアの問いにマスターが酷薄な笑みで答える。
流れの冒険者の悪行は有名で、話を聞くだけでも反吐が出る思いだ。
ここ数日、町の若い娘が行方不明になる事件が多発していて、犯人はこの一味で間違いないだろう。
彼らに安らかな死など許されない。
麻痺で体が動かない中、虫やネズミに食われるのが彼らにとって似合いの最期だ。
グラトニーに命じて、彼らを下水に放り込もうとマスターの肩に小鳥が止まる。
ただの鳥ではなく、小鳥型のゴーレムだ。
そのままマスターの耳元で何事かを囁く。
リリアの記憶によれば、このゴーレムは町を巡回させていた個体のはず。
何か不測の事態でも起きたのかと、リリアは不安そうな表情を浮かべる。
「マスター、何かあったの?」
「……洗脳の力が使われた形跡があるらしい」
マスターは苦虫を噛み潰すような表情で口を開いた。
そのまま懐から小鳥型ゴーレムを3体取り出すと、それぞれに封筒を持たせる。
封筒の中には、昨日追加で作った護符が入っている。
洗脳を防ぐ、使い切りの魔道具だ。
「一号はゲイルたちの所、二号は辺境伯、三号はガンマ君の所へこれを届けてくれ」
小鳥型ゴーレムを各所に飛ばすマスターを見て、リリアは不安そうに呟いた。
「……一波乱来そうね」
彼女の視線の先――地平線の辺りには山のような巨体が空を泳いでいるのが見える。
タラスクだ。
早くて明日の午後には町の近くを通り過ぎるはず。
(何事もなければいいんだけど……)
彼女は、タラスク接近中に洗脳能力を持つ男が問題を起こさないことを願った。
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