第53話 洗脳の粕森2
粕森はチャラい男だ。
合コンを繰り返し、互いに同意の上で一晩楽しむ軽い関係が好きな大学生で、それなりにキャンパスライフを楽しんでいた。
ある日の事だった。
中学時代の先輩と再会した粕森は、飲み会に誘われた。
写メを見ると、参加する女子はみなモデルのように可愛い子ばかりで、粕森のテンションは急上昇する。
友人も呼んでいいと言われ、仲の良い者に声をかけたのだが、返事は予想外のモノだった。
――その人、良い噂効かないからやめた方がいいんじゃね?
まさか全ての友人が断ると思わなかった粕森は不機嫌になった。
――せっかく善意で声をかけたのになんて奴らだ!
当時はそうとしか思わなかった。
まさかこれが自分の転落に繋がるとは夢にも思わなかったのだ。
飲み会が始まって1時間もしないうちに異変が起きた。
ヤクザが乗り込んできたのだ。
どうやら粕森の先輩達は、泥酔した女性たちに乱暴する下衆野郎であり、彼らの毒牙にかかった女性の中にヤクザの関係者がいたらしい。
幸い、粕森はその一件関わっていなかったので殺されなかったが、彼の先輩達は粕森の前で生きたまま解体されることとなった。
しかも粕森はその解体作業を無理やり手伝わされたのだ。
一種の口封じである。
殺人の片棒を担がせ、警察に通報できないようにさせるためだ。
粕森はふらふらと危うげな足取りで帰宅した。
――全部悪い夢だったんだ。
そう思いこんで忘れようとする粕森だったが、彼の悪夢はまだ終わらなかった。
ヤクザに大学キャンパスで薬の売人として働くように強制されたのだ。
それ以来、粕森の表情は消えていった。
命令通りに薬を売り、不幸をばら撒いていくうちに、あれだけ楽しかったキャンパスライフが灰色になっていく。
仲の良い友人たちと疎遠になっていくのが、裏社会との関わりが耐え切れず、粕森は逃げ出した。
当然、ヤクザがそれを見逃すはずがない。
粕森はあっさりと居場所を特定されて、拉致監禁された。
そして臓器売買のため、解体される直前に召喚されたのだ。
自分で戦うのは、暴力沙汰はもう御免だった。
だから粕森は洗脳能力を望み、ヤバそうな連中を代わりに戦わせようとしたのだ。
彼の誤算は洗脳能力が弱すぎたこと、そして洗脳は重罪だと知らなかった事だろう。
普通は言われなくても気づくと思うが、普通じゃない精神状態の粕森には気づけなかった。
◇
狭い宿の一室で、粕森はベッドの上に寝ころんでいた。
ここは従業員用の仮眠室らしく、ベッドの寝心地はあまり良くない。
不機嫌そうに寝返りを打つ粕森は酒瓶へと手を伸ばすが、その手を名残惜しそうに引っ込める。
配下のやけど男は偵察に出していて、今はいない。
万が一の時のため、素面の方がいいだろう。
「せめて美人な女でもいれば……」
その時、ドアを叩く音が部屋に響いた。
息を殺す粕森の耳に、特徴的なリズムのノックが聞こえる。
これは配下と取り決めたノック、つまりドアの外にいるのは敵ではない。
彼はほっと胸をなで下ろすと、ドアを開ける。
そこにいたのはこの宿の店主だ。
「粕森様、リストを作ってまいりました」
粕森は店主に命じ、リストを作らせていた。
駒として使えそうな強者の名前が書かれたリストだ。
人の好い笑顔を浮かべる店主の手からリストを引ったくると、粕森はリストに目を走らせる。
安心して眠れるように、一刻も早く有能な護衛が欲しいのだ。
「金等級の名前は……シンタロー? 日本人じゃねえか! こいつはパスだ。他はいないのか……?」
粕森の洗脳は転移者や英雄には効かない。
そのため、粕森は現地人で強い奴をチェックしていくが、強そうなのが誰もいない。
強そうなのは日本人らしき名前ばかりだ。
粕森は苛ついた様子で舌打ちする。
「おい! 他に有能な奴はいないのか!?」
「亜人キャンプにならかなりの腕利きが揃っているようですが……」
「亜人キャンプ?」
「ええ。獣人の戦士たちやエルフの魔導士たちのキャンプです」
「ほう! いいじゃないか」
前の町でもハーフエルフを洗脳したが、とんでもない美人だった。
町から逃げる時に、自分の盾となって死んでしまったのが悔やまれる。
ハーフであれだけ美しいなら、純血のエルフはどれほどのモノなのか今から楽しみだ。
まだ見ぬご馳走を前にして、粕森は舌なめずりをする。
だが、粕森の笑みは店主の次の言葉で引っ込むことになった。
「その、キャンプは町の外にあるのですが大丈夫ですか?」
「ちっ! それじゃダメじゃねぇか」
表情を一変させた粕森は不機嫌そうに吐き捨てる。
実は粕森の人相書きは広く出回っており、そのせいでこの町の門を通ることすらできなかったのだ。
あのアリスとか言う少女の手助けがなければ、未だに森で野営をしていたことだろう。
町には入れたが、人相書きのせいで行動に制限がかかって、うまく獲物が物色できないことに粕森は苛立っていた。
そんな粕森に店主が笑みを見せる。
「粕森様、ここから少し離れたところに町一番の料理人が勤める宿があります。
そこにあらゆる上級魔法を扱える女魔道士が宿泊してるとか」
「……回復も使えるのか?」
「そのようです」
店主の言葉に粕森の表情が明るくなる。
回復魔法の使い手は貴重だ。
ぜひとも手に入れておきたい。
「おまけに彼女はとんでもなく美しい少女と友人らしいです。うちの従業員が親しげに話しているのを見たとのこと。なんでも亜人キャンプからきた娘だそうです」
「最高じゃないか!」
きっとエルフだろう。
獲物が向こうから来てくれるなんて何たる幸運か。
興奮のあまり、思わず粕森は舌なめずりする。
(2人まとめて俺のモノにしてやる)
粕森は暗い笑みを浮かべる。
今の粕森の配下はやけどした小汚いオッサンのみ。
性欲もたまっているし、そろそろ美女を手に入れたいと思っていたところだ。
上機嫌になった粕森は酒瓶に手を伸ばし、器に酒を注ぐ。
「それで? その女魔道士の名前は何というんだ?」
「名前はマリーというそうです」
(やっぱ日本人じゃねぇな、好都合だ)
酒を美味そうに飲む粕森だが、店主が何か言いたそうにしていることに気づき、無言で続きを催促する。
「粕森様、この娘も可愛いらしいのですが、変なアダ名があるらしく……」
「言ってみろよ」
「変顔のマリーとか残念美人とか」
「美人なのに変顔……? 一体どういうことだ」
粕森は困惑した表情を浮かべた。
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