第52話 洗脳の粕森1


 城塞都市モリーゼの大通りから少し外れた場所に大きな宿が建っている。

 だいぶ年期の入った建物で、モリーゼでもかなりの老舗の宿だ。

 その宿の店主は、ようやく業務が落ち着き、ほっとした様子で椅子に腰を下ろしていた。

 店主は水差しから生ぬるくなった水をジョッキに注ぎ、一息に飲み干す。



 人心地ついていた店主は、従業員の気が張り詰めているのを思い出した。

 なにせ魔王討伐のためとはいえ、他国の兵士を町に迎え入れているのだ。

 それも仕方がないことだろう。

 おまけに夕食時には、兵士たちは必ず酒を注文する。

 酔っ払って歯止めの効かなくなった兵士ほど危険な者はいない。



 万が一のことを考え、若い女の従業員は裏方に徹するように言い含めたため、一番忙しい夕食時を男性従業員だけで回していた。



(こんなのがあと一ヶ月も続くのかと思うと、気が重くなるな)



 宿の店主がため息をついたとき、彼の耳に鐘の音が聞こえた。

 玄関のドアに取り付けたベルの音だ。

 他の従業員は手一杯で、自分で応対するしかない。

 どうやら自分の休憩時間は終わりらしい。

 店主は営業スマイルを浮かべると、玄関へと急いだ。



 ◇



 玄関に目を向け、店主の視界に入ったのは2人の男だ。

 やせた男と体格の良い男。

 体格の良い男の顔には酷い火傷があり、思わず注視してしまう。

 失礼だと思い、慌てて視線を外す店主の目に光るものが映る。

 首から下げられた、銀色の冒険者の認識票だ。



(銀等級の冒険者? 見覚えがないが……)



 南部連合王国の上空にはタラスクが回遊している。

 この規格外の怪物を恐れて、大型の魔物は滅多に入ってこないので、この町の冒険者には強い者は少ない。

 銀等級クラスの冒険者など、数組しか居なかったはずだ。

 そして自分の記憶が確かなら、この男はこの町の冒険者ではない。



(ってことは流れの冒険者か)



 笑顔を張り付けた店主は心のなかで舌打ちする。

 流れの冒険者とは何か?

 一般的に、渡り鳥みたいに大陸中を移動して暮らす冒険者のことを指す。

 彼らは蛇蝎の如く忌み嫌われている。

 なにせ犯罪を犯すと、すぐに別の領地に逃げるため、問題を平気で起こす奴らが多いからだ。



 町に入り込めば、町中で追い剥ぎしたり、女を襲ったり好き勝手して他の領地に逃げ込んでいく。

 ある意味、魔物よりも厄介な存在である。

 これ以上の厄介ごとは御免だ。

 本当は一部屋空いているが、店主は部屋が空いてないことにしようと決めた。



「部屋は空いてるか?」


「すいません、お客さん。満室でして」



 すまなそうに頭を下げる店主は、やせた男の顔に見覚えがあることに気づく。

 どこかで見たような顔が妙に引っかかる。

 ふと、軍から回ってきた手配書の人相書きとよく似ていることを思い出す。



(こいつ! 手配書の男か!?)



 店主が顔色を変えたのが分かったのだろう。

 やけどの男が店主を一瞬で拘束する。

 食堂で騒ぐ兵士達に向かって叫ぼうとする店主だが、その直後に彼の意識は闇にのまれた。



「ちっ! 思ったよりカンがいいじゃねぇか」



 洗脳で無力化した店主を前にして、悪態をつく粕森のコートを、やけど男が召使いのように脱がす。

 このやけど男もすでに粕森の能力で洗脳されているようだ。



「どうされますか? 粕森様」


「どうするもクソもあるか! ここを拠点にして駒を集めるに決まってんだろ」



 忠臣のように、敬慕の表情を浮かべるやけど男を、粕森は不機嫌そうにどやしつけた。


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