第51話 恐れた理由
「今日の所はこれで失礼するね」
信太郎にそう言うと、マスターはリリアと共に席を立つ。
そろそろ時刻も夕暮れ時。
大通りも買い物客や夕食目的の人々で混み始める頃合いだ。
「お? 一緒にメシでも食わねーか? 奢るぜ~」
「そうしたいのは山々だけど、なんかうちの隊長が話があるらしくて」
マスターは信太郎の誘いを残念そうに断る。
この宿の食事はこの町でもトップクラスの美味しさのため、それも当然かもしれない。
すでに宿の厨房から良い匂いが漂ってきていて、リリアは名残惜しそうに厨房を見つめている。
予定があるなら仕方がないと、信太郎は気持ちを切り替え、さっき貰ったパンツを握りながら満面の笑みで笑いかけた。
「それじゃ、仕方ねーな。今日はパンツありがとな! 今度なんか奢るぜ! あんた本当にすごいパンツ職人だ!」
「あ、ありがとう……」
信太郎の言葉に、マスターは困ったような笑顔を浮かべる。
さすがにパンツ職人と呼ばれるのはマスターも恥ずかしいようだ。
パンツ職人呼ばわりにリリアの表情がほんの一瞬険しくなるが、すぐに呆れた表情で口を開いた。
「伝説の錬金術士に下着作らせたのってアンタたちくらいじゃない?」
ため息交じりのリリアの言葉に怒りはない。
彼女が怒らなかったのは、信太郎に悪意が全くなかったからだろう。
そのことにマリはほっとする。
あの亜人キャンプの時みたいになったら大変だ。
ふと、マリは視界の端にエアリスを見つけた。
(変ね。エアリスちゃんがやけに大人しい……)
ここで初めてマリがエアリスの様子に気づいた。
ようやくふんどし姿の信太郎という煩悩から解放されたようだ。
「ではまた今度」
「お! じゃあなー!」
「マスター、また今度商品買いに行くわ」
信太郎やガンマの見送りの声で、マリ意識は思考の海から引き上がる。
顔を上げたマリは、リリアが小さく手を振っているのが見え、慌てて手を振り返した。
◇
「それで? やけに大人しかったがどうしたんだ?」
どうやらガンマも小向達の様子に気づいていたようで、やつれた顔で口を開く。
普段の小向なら、美女を見かけたら顔を真っ赤に染めながら顔や胸元をチラ見し、それをエアリスに叱られるのがデフォルトだ。
だというのに顔を赤らめるのではなく、青ざめるとは一体どういうことか。
言いづらそうに口ごもる小向たちを、薫がからかうような声をあげる。
「やい、子ブタに幼女。お前ら一体どうした?」
「小向っすよ~」
「エアリスよ!」
薫のからかいに、2人は揃っていつもの反応をする。
それを見たマリは安心する。
いつもの元気そうな2人だ。
「それで? 何か理由があるんだろ?」
ガンマの探るような視線に根負けしたのか、小向が言いづらそうに口を開く。
「うまく言えないけど、怖かったっスよ」
「はぁ!? 怖かった? 意味分かんね」
小向の言葉に薫が驚きの声をあげる。
あんな絶世の美少女を見て怖いとは何事か、とでも言いたそうな表情だ。
それは他の皆も同じだった。
ため息と共にエアリスが口を開く。
「アンタ達には分からないかもね。おバカ、アンタはどうなの?」
「お? 俺のことか? うーん。怖いとは思わねーけど、危ないとは感じるぜ」
「おいおい、どういうことだ? 説明してくれ!」
信太郎まで妙なことを言い出し、ガンマが慌て出す。
小向の肩に腰を下ろしたエアリスが重苦しいく口を開いた。
「……あのリリアって女、魔力の量が桁違いなのよ。鬼族の群れが攻めてきた時、ワタシが使った切り札のこと覚えている? 」
「エアリスちゃんの切り札って、サイクロン・ディザスターだっけ? 」
極大魔法サイクロン・ディザスター。
エアリスの切り札であり、たった一発で彼女の全魔力を使い切る、最も燃費が悪い大技だ。
エアリスの言葉で、マリは当時のことを思い返す。
数百匹の鬼を纏めて消し飛ばした大魔法だったはずだ。
おそらくアレ一発で城塞都市エリーゼを半壊させることが可能だろう。
思い出しても背筋が震える威力だったのをマリはよく覚えている。
「たぶんだけどリリアって女、あのクラスの魔法を連発できるでしょうね。しかもそれだけ魔法を使っても魔力は半分も減らないと思うわ」
「大精霊より上ってことか……?」
ガンマの言葉にエアリスが黙ってうなずく。
そう、小向とエアリスが大人しかったのは怖かったからだ。
極大級魔導士の小向と大精霊のエアリスは魔力に敏感であり、そのためリリアとの力の差が誰よりもよく分かっていた。
「あの女の魔力は精霊王のシルフィード姉様に匹敵するわ」
「お? スゲーんだな!」
「嘘……」
それは凄いことだと皆が驚く。
信太郎は感心した様子で、マリが唖然とした表情を浮かべる。
凄い魔導士だと思っていたが、精霊王クラスのとは予想もしていなかった。
「たぶん先祖帰りね。先祖に人ではないのが確実にいるわね」
先祖帰りとは何か。
この世界における先祖帰りとは、先祖がもっていた特性が、子孫のとある個体に突然現れることをいう。
総じて魔神や受肉した大精霊の子孫に現れるケースが多い。
もはや人の形をした別種の生き物といって良いだろう。
勇者、神の使徒、悪魔、化け物など呼び名は様々だが、どれも同じ存在だ。
「敵対はしない方がいいな……」
表情を硬くしたガンマの呟きが騒がしくなる宿に溶けていった。
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