2章

第12話 牙を剥く世界


 城塞都市モリーゼの北には小さな町が点在している。

 それらは街道沿いに作られた宿場町で流通の要地となっている。

 モリーゼに比べれば大分見劣りするが、きちんと結界によって守られた町だ。

 そんな町の一つが滅びに瀕していた。



 並みの魔物ならものともしない結界付きの防壁が悲鳴を上げている。

 防壁は少しずつ歪み、壁に亀裂が走っていく。

 壊れるのは時間の問題だろう。

 宿場町の冒険者たちは震える手で武器を握る。



「おかぁさん……」


「大丈夫、大丈夫だからね」



 怯える幼児が母親に縋りつく。

 母親は我が子を強く抱きしめ、安心させようとするが、彼女の声も体も震えている。

 援軍は間に合わないと分かっているのだ。



 ついに防壁が限界を迎え、音を立てて崩れていく。

 防壁の切れ目から5メートル近い魔物が町の中へと入り込み、鼓膜が破れそうなほどの雄たけびを上げる。

 現れたのは人骨のネックレスを着けた牛頭の巨人だ。

 歪んだ笑みを浮かべた怪物を見て、女子供から悲鳴が上がる。



「牛頭のデーモンだと!?」



 冒険者が絶望の声を上げる。

 ”牛頭のデーモン”とは鋼鉄やミスリルでさえ素手で引きちぎる怪力を誇り、人肉に異常なほど強い執着を見せる怪物だ。

 この魔物を倒せるのは一握りの上位冒険者、ランクでいうなら金以上でなければ対処できないだろう。

 この町には銅ランク以下の冒険者しかいない。

 つまり状況は絶望的だ。



 魔物の群れを引き連れた牛頭のデーモンは鼻息が荒い。

 当然だろう、彼にとってこの町はご馳走の山なのだから。

 しばし周囲を見渡した牛頭は、最初の一口を子供に決めたようだ。

 舌なめずりをしながら、母親に縋りつく幼児へと足を向けた。



「ひっ!?」


「お、おかぁさん!!」



 標的となった親子が絶望の表情を浮かべたその瞬間だった。

 空から何かが降ってきたのは。

 それは小石のように牛頭を跳ね飛ばす。

 牛頭は魔物の群れへと叩き込まれ、隕石でも落下したかのような地響きが町に響き渡る。

 そのあまりの衝撃と爆音に親子は身を竦ませた。



「大丈夫か? 助けに来たぜ!」



 親子の耳に能天気な男の声が届く。

 恐る恐る親子が目を開けると、悩みなど無さそうな少年が爽やかに笑っていた。




「信ちゃん! 小物は任せて!」



 亜麻色の長髪をポニーテールにした少女が腕を振るうと、巨大な氷柱が雨のように放たれ、後続の魔物を薙ぎ払っていく。

 彼女に加勢しようとした信太郎と呼ばれた少年は足を止める。

 片腕のない牛頭のデーモンが憤怒の表情を浮かべて立ち塞がったからだ。



「すげーガッツじゃねーか。そーゆーの嫌いじゃないぜ。行くぞっ!!」


「グルアァッツ!!」



 信太郎と牛頭のデーモンが正面からぶつかり合う。

 だが最強の魔獣ベヒーモスの力を得ている信太郎には及ばなかったのだろう。

 ぶん殴られた牛頭は砲弾のように吹き飛び、町の防壁へとめり込んだ。



「な、なんだ、あのガキは!?」

「信じられねぇ! 牛頭のデーモンをこんなにあっさり……」



 宿場町の冒険者はあんぐりと口を開ける。

 彼らにとって牛頭のデーモンは出会ったら死を覚悟する悪夢の象徴だ。

 そんな存在が赤子の手を捻るように倒されたのだ。それも当然の反応だろう。



 信太郎は幼馴染の少女マリへと視線を向ける。

 彼女の方はほぼ片付いたようだ。

 信太郎はゆっくりと壁にめり込んだ牛頭の方へと歩いていく。

 信太郎は気づいていたのだ。

 牛頭のデーモンはまだ死んでいないことに。



「やっぱ生きてたか」



 両腕を失った牛頭のデーモンは血反吐を吐きながらも、射殺すような視線で信太郎を睨む。

 この魔物は信太郎に殴られた瞬間、衝撃を受け流して致命傷を避けたのだ。

 敵ながらすさまじい闘志と技術に信太郎は感心する。



「コイツで最後かー。しかし今回は間に合ってよかったぜ~」



 信太郎はほっとした様子で息をつく。

 つい先日のことだ。

 救援の知らせを受けて信太郎たちが着いた時、町の住民たちは魔物たちに食い殺されたあとだった。

 その時の光景は衝撃的で、鳥頭の信太郎ですら忘れられないほど脳裏に焼き付いている。



「お前らも生きるために必死なのかもしれねーけどさ。俺はもうあんな光景みたくねーんだ」



 珍しく真剣な顔つきの信太郎は牛頭の首へ鋭い手刀を落とした。




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