第8話 霧の魔獣 タラスク
城塞都市モリーゼ。
普段は冒険者や買い付けに来た商人たちで賑わうが、今日ばかりはそうもいかない。
今日は災害級の魔物タラスクが町の傍を通り過ぎる日なのだ。
城門は固く閉じられ、町の人も粗暴な冒険者ですらも静かに引きこもっている。
太郎たちも例外ではない。
宿の一室で、マリは採取した薬草を仕分けていた。
今マリが手に取っているのは傷薬や回復ポーションの原料になるヤクシ草、毒消しの原料であるドクバミ草だ。
これらの薬草を持って薬師の元へ行けば、普通に買うよりも安くポーションが手に入るのだ。
お金に余裕のない冒険者は皆やっているらしく、信太郎たちのチームでもやることとなった。
薬草をせっせと仕分け、5本ごとに束ねていたマリがふと顔を上げる。
先ほどから信太郎がやけに大人しいのだ。
てっきり作業に集中しているからだと思っていたが、信太郎は作業を中断し、窓から空を見上げていた。
その表情は珍しく真剣だ。
「信ちゃん、怖い顔してどうかしたの?」
「いや、何か空気がピリピリしねーか?」
マリは信太郎の隣に立って空を見渡すが、異変は見当たらない。
念のため、複数の索敵魔法で周囲をチェックしたが特に異常はない。
「気のせいじゃないかな?本当に異常があったらエアリスちゃんが気づくと思うし」
「……そーだよな。わりぃ、作業中断しちまって」
そういうと信太郎とマリは薬草の仕分けに戻っていった。
◇
タラスクの森のそばを数台の荷馬車が駆け抜けていた。
御者たちは絵に描いたような山賊面で、獣のように目をギラつかせている。
とてもまともな商人には見えない。
彼らは違法な奴隷や禁制品を捌くために悪徳商人だ。
「親分、なんでこの時期にタラスクの近くを通るんでさ?」
「あぁ? ここを抜ければ関所を通るたびに賄賂を払う必要もねぇ! がっぽり儲けるにはコレしかねぇだろうが!」
子分の疑問を親分は怒鳴りつけて黙らせる。
出発前にも説明したというのにどうやら聞いていなかったようだ。
使えない子分に苛立ちが募っていくが、それ以上怒鳴りつけたいのを我慢した。
今の彼に従う子分は数えるほどしかいないのだから。
「クソ! 何が勇者の国だ!」
親分は悪態をつく。
彼らは勇者の国アルゴノートにて禁制品を扱っていたのがバレて摘発されたのだ。
おかげで彼の一味は片手で数えられる程しか残ってない。
アルゴノートの勢力圏では奴隷や人の心を操る魔道具は全面禁止されている。
周辺国でも犯罪奴隷以外は禁止され、例外はブリタニア王国とローザス王国のみ。
そこに安く運ぶためには南部連合を経由するのが一般的だ。
理由は良くも悪くもタラスクだ。
タラスクを刺激しないために、この辺りの警備は手薄なのだ。
強くて好戦的な魔物もタラスクのおかげであまりいない。
近づきすぎなければ安全のはずだ。
荷馬車に積んだ禁制品や奴隷を捌けば一財産築ける。
男が返り咲くにはこれしかないのだ。
何が何でも返り咲いてやると親分は気炎を燃やす。
子分は機嫌の悪い親分からそっと目を離す。
下手に目が合って八つ当たりでもされてはたまったものではない。
すると視界の端で何かが動いたような気がした。
ふと、それへ視線を向けると生気のない赤黒い瞳と目が合う。
いつの間にか、馬車に並走するように霧鮫の群れが泳いでいて、すでに取り囲まれていた。
「お、親分っ!!」
「霧鮫じゃねぇか! なんでこんなところに!?」
悲鳴が皮切りになったのか、霧鮫が馬車に体当たりし、馬車は横転する。
転がり落ちた悪徳商人や奴隷たちに次々に霧鮫が群がり、辺り一面が血の海になっていく。
悲鳴が木霊する中で、慌てて親分は横転した馬車の下へと身を隠す。
(馬鹿な! あいつら森から出ないはずだろ!?)
息をひそめる親分の目の前で他の荷馬車が集中攻撃されているのが見えた。
すでに壊された馬車からは禁制品が零れ落ちる。
(なんだぁ? あそこに人は乗ってねぇはず……?)
疑問に思う親分の視界にある禁制品の酒樽が映る。
それは竜の血液で作られた酒で、強力な媚薬としても知られている逸品だ。
霧鮫の群れは狂ったように酒樽を破壊していく。
(まさか竜血の臭いに反応してんのか!?)
タラスクは自分の狩場に他の捕食者が入り込むことを嫌う。
竜血の臭いが近づいてきたのを、縄張りに竜が入ってきたと勘違いしたのだろう。
この霧鮫の群れはタラスクが竜を排除するために生み出したものに違いない。
唖然とする親分の周りが明るくなる。
何事かと上を見上げると、霧鮫の群れが馬車に食いついて持ち上げていた。
子分や奴隷たちの血で赤く染まった霧鮫の群れが、生気のないたくさんの瞳が最後の生き残りを見据えていた。
「ひいぃっ!? や、やめっ……」
男の声は最後まで形にならなかった。
血肉に飢えた霧鮫の群れが一斉に群がったからだ。
こうして自分の利益のために他人の人生を歪め、壊してきた悪徳商人は生きたまま貪り食われるという最期を迎えた。
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