第7話 風の大精霊エアリス


 宿の一人部屋で、ベッドに座る小向はうなだれていた。

 今日のタラスクの森でチームに貢献できなかったため落ち込んでいるのだ。


「ここでも僕はダメなのかな……?」



 思えば日本でもそうだった。

 中学に入ってすぐに厄介な不良グループに目を付けられ、イジメられた。

 当然のように教師やクラスメイトは見て見ぬふりだ。

 それに耐えられなくなり不登校になった。

 幸い、家族は理解を示してくれ、家では毎日必死に勉強していた。

 全ては隣町の有名な高校に受かるためだ。

 彼は一度人間関係をリセットして、そこで新たな生活を始めるつもりだったのだ。



 だが小向の願いは叶わなかった。

 それは家族に買い物を頼まれ、街に出た時のことだった。

 午前中だし、学校の連中とは合わないだろうと考えていた小向だが、運悪くサボっていた不良グループと鉢合わせてしまったのだ。

 慌てて逃げ出したが、追い回され、人気のない所で取り囲まれてしまった。



「メリケンサックだっけ? これ買ったばかりなんだよ。ちょっと試させろや」



 そういうと不良は手に金属性の凶器を付け、凶悪な笑みを浮かべた。

 不良たちに羽交い絞めにされ、殴られそうになる瞬間に小向は召喚されたのだ。



 神様は一週間以内に死ぬ運命の者だけを召喚したといっていた。

 おそらくあの時に自分は殺される運命だったのだろうと小向は考えている。

 あのやばい不良ならそのくらいはやるだろう。

 異世界行きは不安でいっぱいだったが、優しい先輩達に巡り合えてどうにかやっていけそうだ。

 だが、守られるだけではダメなのだ。

 自分もチームに貢献する必要がある。



「でも今の僕じゃ……、そうだ! 何か役立つ魔法を探せばいいんだ!」



 小向は記憶の中から役立ちそうな魔法を思い起こす。

 神様の能力ガチャのおかげで、小向の頭には下級から極大までの風魔法が全てインストールされている。

 使える魔法をピックアップしておけばいくらかマシになるかもしれない。

 必死に記憶を辿る小向の頭に興味を惹かれる魔法があった。


『風の精霊召喚魔法』:風の上位精霊を召喚する。

         

「これだ!」



 小向はさっそく召喚魔法を試すことにした。




 ◇


「紹介するっす! 精霊のエアリスさんです」



 朝食の場で嬉しそうな顔で小向が報告してくる。

 彼の肩には2~30㎝ほどの少女が腰かけていた。

 白い髪をツインテールに纏め、緑のドレスを着こんでいる。

 非常に整った可愛らしい顔立ちをしていて、吊り上がった目尻は気が強そうな印象を感じさせる。



「次の風の精霊王候補!……と一部で言われているエアリスよ。よろしくね。

 ねぇ子ブタ、仲間はこれだけ?」


「小向っすよ。他にも薫先輩って人がいるけど今は別行動してるっす」



 ふむふむと可愛らしく頷くエアリスを見て、呆気に取られていたマリが再起動する。

 そして鼻息を荒くして、手をワキワキと動かしながらにじり寄っていく。



「可愛いぃ~! エアリスちゃんだね? よろしくね!」


「よろしく頼むわ。ところでその手の動きやめてくれないかしら? ちょっと怖いわ」


「お?これが精霊か~。初めて見たぜ」


「新しい仲間が増えたね。よろしく、エアリスさん」


「ええ、よろしく。子ブタから聞いてるわ。マリにシンタローにソラミね? この風の大精霊エアリス様に任せなさい!」



 上機嫌なエアリスは平らな胸を自信満々に叩いた。




 ◇


「その魔法はそんなに万能じゃないわ。使うなら注意が必要よ」



 食事を済ませた後、信太郎たちはさっそくタラスクの森へとやってきていた。

 タラスクが明日にはこの辺りを通るため、明日は町から出ることすらできない。

 2年後には魔王がやってくることを考えると、時間もお金も無駄にはできない。

 少しでもお金を稼ぎ、実力を上げる必要がある。



 そんなわけでエアリスという魔法のエキスパートに色々と教わることになったのだが、いきなりマリがダメ出しをされた。

 昨日使っていた“エネミーサーチ”という魔法に問題があるらしい。



「そうなの? どの辺に問題が?」


「その魔法ね、悪意や敵意に反応するの。つまり悪意のない魔法生物や眠っている魔物にも全く反応しないわ」


「そうなの!? それじゃ昨日の魔物って……」


「鎧カニだっけ? たぶん地中で寝てたのでしょうね。だから最初は反応しなかったんじゃない?」



 エアリスはそう推測する。

 実際に鎧カニは仲間と共に地中に巣を作って寝る。

 外敵に襲われるのを避けるためだ。

 タラスクの生み出した霧鮫も地中まではやってこない。



 鎧カニは巣の中で寝てる最中に、信太郎らの声や足音に反応して起きたのだ。

 そして獲物を襲おうとした瞬間、敵意に反応したエネミーサーチが反応した。

 これがエネミーサーチを掻い潜り、急に反応があった理由だ。



「なるほど、だからか」


「エアリスさん、博識っすね!」


「ありがとう、エアリスちゃん。それじゃどの魔法で索敵すればいいか教えてくれない?」



 思った以上にエアリスは博識なようだ。

 専門用語を使わないので説明も分かりやすい。

 頼りがいのある仲間にマリ達は喜ぶ。

 説明が分からなかったのは信太郎のみで、彼は内心首を傾げていたが、一応分かったふりをしていた。



「索敵ならこのエアリス様に任せなさい! 森の精霊達にも話を聞けばどこに何があるかなんて全部わかるんだから!」




 ◇


 エアリスのガイドによって信太郎たちは森の奥にやってきた。

 彼らの目の前には巨大な花が見える。

 外見はラフレシアに似ているが、よく見ると鋭い触手の先っぽが地中からはみ出している。



「あれが肉食花よ。美味しくて良い香りの果実を実らせるわ。寄ってきた獲物を麻痺させて食いつくの」


「図鑑でみたかもしれない。たしかあの果実は高値で売れるって」


「うまいの? よし! 俺が……!」



 飛び出そうとする信太郎にエアリスが待ったをかける。



「待ちなさい。アンタじゃ力強すぎて肉食花を倒しそうだわ」


「倒した方がいいんじゃんーの?」


「倒したら果物が取れなくなるでしょ? 森の精霊によると他の冒険者は殺さずに果実だけを回収してるみたいね。帰るときにはわざわざ大ネズミの肉を口に放り込んで肉食花が弱らないようにしてるらしいの。ワタシたちもそうしましょう?」




 エアリス主導の下で肉食花の果実狩りが始まった。

 マリの氷魔法で死なない程度に動きを止めて果実を採るか、あるいは小向の風魔法で気流を操り果実をもぎ取っていく。

 採取後は肉食花の口元に携帯食を放り込む。

 この携帯食は町で念のため買ったのだが、あまりに不味すぎて食べる気になれなかったものだ。

 扱いに困っていたので処分するにはちょうど良かった。

 その後もエアリスの探知で肉食花の場所を調べ、10を超える果実を採取した。



 順調に採取が進み、信太郎達の顔には笑みが浮かぶ。

 だが彼らは気づかなかった。

 はるか上空からゆっくりと忍び寄る魚影があることに。




 ◇


「すごいっすよ、エアリスさん!」

「さっすがエアリスちゃん!」

「ありがとう、エアリスさん」

「エーアリス! エーアリス!」


「ちょっと! この程度のことで騒がないで。恥ずかしいわ」



 エアリスはそっけない口調だが、照れたように笑っている。

 信太郎たちのエアリスコールに満更でもなさそうだ。

 だがニヨニヨと笑っていたエアリスの顔が急に真顔になった。



「何か来るわ! 警戒して!」


 慌ててマリを中心にして円陣を組む太郎たち。



「この感じは魔法生物……? 上から来るわ!」



 エアリスの言葉に信太郎たちは空を見上げる。

 十数メートル上空から魚影が3つ突っ込んでくるのが見えた。

 慌てて小向が風魔法で霧を散らすと、その魔物の姿が露わとなる。

 それの姿は白いホホジロザメによく似ていた。

 体長は6メートルほどで赤黒い目で信太郎たち睨み、上空を旋回し始める。



 この魔物の名は『霧鮫』といい、タラスクの生み出した使い魔だ。

 タラスクは自分の作った狩場に、自分以外の捕食者が居座るのを嫌う。

 そのため、そういった存在を追い払うために一定数の霧鮫を森に放流していくのだ。

 信太郎たちは運悪く巡回中の霧鮫に見つかってしまったらしい。



「エアリスちゃん、戦いは避けられない感じ?」


「無理ね。マリ、子ブタ。やりなさい! フォローはしてあげるわ」


「分かった!」


「行くっすよ!」



 マリと小向から上級魔法が無詠唱で放たれ、氷刃の嵐が、竜巻の槍が霧サメへと迫る。

 目前に迫ったその魔法を霧サメは急加速であっさりと避ける。



「ウソっ……!?」



 驚く間もなく、大口を開けた霧サメが突進してくる。

 不揃いで鋭い歯が何列にも並んでいるのが見え、マリは恐怖で固まってしまう。



(た、食べられ……!)


「だらっしゃぁ!」



 食いつかれる前に間に入った信太郎のワンパンで霧鮫は粉々に砕け散る。

 不思議なことに死骸や血肉は残らずに、まるで幻のように消えてしまった。

 霧鮫のような魔法生物の体は魔力で出来ているので、死ねば溶けるように消える。

 だから血も肉片も全く残らないのだ。



「シンタロー、アンタやるわね。ワタシの魔法より速く動くなんて」



 小向の方に来た霧鮫はエアリスが倒したようだ。

 彼女はマリの方に来た魔物も倒そうとしていたが、信太郎の方が早かったらしい。

 残る魔物は一匹。

 だが警戒しているのか寄ってこない。



「最後の一匹はこのエアリス様が……」


「いや、僕にやらせてくれないか」



 エアリスが手を出そうとするが、それを遮って空見が前へ出ていく。

 一人パーティから離れた空見に向かって霧鮫が突進する。



「シッ!」



 空見は突進してきた霧鮫の脳天へカウンターでメイスを叩き付ける。

 しかしそれは致命打にはならず、空見は霧鮫に食いつかれてしまう。

 霧鮫に噛まれた左手からミシミシと嫌な音が聞こえ、空見の背筋が恐怖でゾワリと震える。

 霧鮫は空見に食いついたまま上空へと彼を浚っていく。



「おい、やべーぞ!」


「大丈夫よ、ワタシが今助けるわ!」


「大丈夫だ! まだやらせてくれ! 『バースト・レイ』」



 そう叫ぶと空見は噛まれている左手に魔力を注ぎ込み、そこから中級の光魔法『バースト・レイ』を発射する。

 さすがの霧鮫も内側からの攻撃には耐えきれなかったのだろう。

 霧鮫は空中で爆散し、空見は上空から落下していく。

 そして地面に叩きつけられる直前に、信太郎が空見を抱きかかえて助ける。



「アブねー! 大丈夫か?空見の兄ちゃん」


「どうにかね。助かったよ、信太郎君」


「へえ。アンタ中々根性あるじゃない」


「……どんな強い敵でも内側から攻めれば倒せるって知ってたからね」



 転移初日、同じやり方で不良達がオークに殺されたのは今でも忘れられない。

 空見はそれを実践してみただけだ。



「ところでその、血は出てないでしょうね? マリ、回復魔法使えるんでしょ?」


「大丈夫だよ。ケガはない。盾は壊れちゃったけど・・」



 困った様子で空見がつぶやく。

 その視線の先には砕けた盾がある。

 また余計な出費が増えてしまったと頭を悩ませる。



「でも誰も酷いケガしなくてよかったっす! そろそろ帰るっすよ」


「そうだな、オレ腹減ったぜ」



 森から出ようとする信太郎たちだが、そばの茂みが揺れて思わず一行は身構える。

 茂みからは大きなネズミが数匹出てきた。

 こちらに視線を向けてきたが、興味がないのか、近くに生えるキノコにかじりついた。

 敵対する気はなさそうだ。



「ただの大ネズミよ。無害だから大丈夫。一応食べれるけど臭みが強くてかなり不味いらしいわ」


「食えるんだろ? 今日のおかず一品ゲットだぜ!」


「ちょっ……!?」



 エアリスが止めようとする前に信太郎が飛び出し、食事中の大ネズミを捕獲しようと手を突き出す。

 信太郎はガチャで得たチート能力によって身体能力がベヒーモス並みだ。

 当然ながら大ネズミは爆散し、辺りに赤黒い肉片が飛び散る。



「げ! やっちまった、食うところが減ったじゃねーか」



 細かい肉片が飛び散り、信太郎は真っ赤に染まる。

 だが信太郎は血で汚れたことより、肉が減ったことを悲しんでいた。



「信ちゃんったらもう……。魔法で洗うよ?」



 マリは信太郎に近づくと水魔法で彼を洗っていく。

 そんな光景を見ながら小向はふとあることに気が付いた。



「……ん?エアリスさん、どうしたっすか?」



 自分の肩に座りこんだエアリスの様子がおかしいことに気付いた小向は心配そうに彼女の顔を覗き込む。

 その時だった。



「うぼええぇぇっ!!!」


「ひええぇっ!?」



 小向の肩にエアリスがゲロを吐いた。




 ◇


「え? エアリスさんちゃん、血の匂いダメなの?」


「……ええ」



 気分が悪そうに吐きまくるエアリスを落ち着かせ、森から出た信太郎たちは町へと続く道を歩いていた。

 日が傾き、周囲が茜色に染まる草原の中でエアリスは小さな声で事情を語りだしたのだ。



 故郷では風の精霊王シルフィードの末妹であったエアリスは、まだ若いが強力な力を持つ精霊だった。

 だが彼女には欠点があった。

 エアリスは血の匂いがダメなのだ。

 血の臭いを嗅ぐたびに抑えきれない吐き気が彼女を襲う。

 その欠点のせいで、住処を魔物から守る戦いの度にゲロを吐きまくっていた。

 そのことで精霊の仲間にからかわれ、ずっと馬鹿にされていたらしい。

 故郷の仲間を見返すために小向の召喚に応じたとのことだった。



「あれ? 今まで平気だったでしょ」


「肉食花も霧鮫も血の匂いしないでしょ?」



 言われてみれば確かにそうだ。

 肉食花は植物だし、霧鮫は魔法生物で血の匂いはしない。



「子ブタ。契約はどうする? 切る?」



 エアリスは不安そうにつぶやく。

 その顔は先ほどのような自信に満ち溢れていたものとは全く違う。

 まるで捨てられるのを恐れる幼子のようだ。



「いや、そんなことしないっすよ」


「ああ! 母ちゃんが言ってたぜ! どんな人にも苦手なモノはあるし、足りないものは友達と補い合えって! オレらダチだろ?」


「そうっすよ。僕もポンコツなんで半人前同士よろしくっす! 僕らと一緒に故郷のお仲間を見返してやるっすよ!」


「おう! 俺たち3人ポンコツ同盟だな!」


「子ブタ……おバカ。アンタたち馬鹿っぽいけどいい奴ね」



 エアリスが感極まった様子で呟く。



「子ブタじゃなくて小向っす」


「信太郎な。てゆーかこのオレがバカだって? 九九だって言えるんだぜ?」



 太郎と小向との会話でエアリスに笑顔が戻る。

 夕日で茜色に照らされる中で微笑むエアリス。

 その様はどこか幻想的な光景だ。



「みんな、改めてこれからよろしくね!」



 エアリスは先ほどの泣きそうな顔とはまるで違う、満面の笑みを浮かべたのだった。




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