第6話 タラスクの森

 

 山影に隠れた町から少し離れた場所に一年中霧に包まれた森がある。

 タラスクの森だ。

 豊かな森の中は常にうっすらと霧が漂い、見通しが悪い。

 しかもタラスクの捕食から逃げ延びた肉食の魔物が潜んでいるため、危険な森だ。

 だがタラスクの霧の効果により、この森で採れる食材は非常に美味で高く売れる。

 そのため今日もこの森に訪れる冒険者は後を絶たない。



「あと2日くらいでタラスクがこの辺りを通るらしいよ。だから今のうちに稼いどこう」


「おう! がっぽり稼いで美味いもん食おーぜ!」



 空見の言葉に元気よく信太郎が答える。

 信太郎とは逆に小向とマリはあまり元気がない。

 小向はワクワクして、マリは信太郎の裸体に興奮して寝付けなかったためだ。

 他にも来る前に武具店で買った革鎧や武器が予想より高かったのも理由だ。



 予想外の出費で懐にあまり余裕はない。

 マリや小向はナイフを、空見はメイスという金属製の棍棒を選んだ。

 空見がメイスを選んだのは値段と刃こぼれしないのが理由らしい。

 ちなみに信太郎のみ素手である。

 理由は簡単、信太郎がその馬鹿力で武器を握りつぶしたからだ。

 店の店主が不良品と勘違いしたため弁償は免れたが、良心が痛んだマリ達は今後もその店を贔屓にすることに決めた。



「森の中、思ったより霧が濃いですね」


「接近されても気づかないかもしれないね」



 マリと空見が苦い顔になる。

 ちなみに信太郎と小向は「涼しくて気持ちいいっすね!」「加湿器みてーだな」と吞気そうに笑っている。



「知識の中に敵をサーチする魔法があるので奇襲は防げると思うのですが……」


「お? サーチ魔法ってどんなのなんだ?」


 興味を持ったのか、小向と遊んでいた信太郎が近寄ってくる。



「えっとね、視界に半透明なレーダーがある感じかな? 半径50mくらい」


「おお! なんかカッケー!」

「それなら余裕っすね!」


「よし、みんな! 打合せ通りに行こうか」



 空見の掛け声で一行は霧の森へと足を踏み入れた。

 濃密な土と草の香りに包まれた森の中をゆっくりと進んでいく。

 霧のせいか空気がひんやりとしていて気持ちがいいが、地面が少しぬかるんでいて足場はあまり良くない。



 命のかかった仕事でなければ楽しめただろうにと空見は考える。

 ちらりと横を見れば、信太郎も小向も遠足にでも来ているかのように無警戒で歩いている。

 マリが敵をサーチする魔法を使っているため奇襲される心配はないが、この森には危険生物が住んでいることに変わりはない。

 気を抜くのは危険だろう。



(僕はこの中で一番年上なんだからしっかりしないと……!)


 緊張した様子の空見を心配したのか信太郎が声をかける。



「空見のにーちゃん、どうかしたのか? 具合悪ぃの?」


「え? 空見先輩お腹でも痛いんすか?」


「大丈夫さ! 少し緊張してるみたいだ。ほら、この森には危険な魔物もいるみたいだし」


「そういえばそうっすね……」


「そーだな、気ぃ引き締めっか!」



 空見の言葉で小向と信太郎に緊張感がわずかに戻る。

 警戒心は少し足りないが、素直で良い後輩たちだ。


 ――彼らを絶対に死なせるわけにはいかない。

 空見は再度そう決意した。




 ◇


 一時間後。

 思った以上に順調に採取は進んでいた。

 空見の想像とは違い、魔物とは全く戦闘にならなかった。

 何度かマリのサーチ魔法に反応があったが、迂回するだけで簡単に戦闘を避けることができた。



 迷わないように目印をつけて森を進む。

 山菜やキノコの群生してるポイントを見つけると、索敵するマリを中心にして、他3名は5m以上離れないように採取する。

 これの繰り返しだ。



「これ食べれるっすかね?」


「ああ、それはね……」



 採取の際は空見が買った植物図鑑が活躍した。

 本には精確なイラストが描かれていて、おかげで初心者の信太郎たちでも問題なく採取が進んだ。

 採取したキノコや植物と図鑑を見比べ、食用可能なモノをリュックに詰め込んでいく。

 中には食べれるキノコに似た毒キノコもあったのだが、意外にも信太郎が真っ先に気付いた。

 信太郎曰く、なんか嫌な匂いがするらしい。

 だんだん獣っぽくなってきた信太郎である。




 ◇


「ここ湿気すごいですね」


「うへぇ! 足元びちゃびちゃするっす」


「霧で見えにくいけど湿地だね。これ以上進むと危ないかも」


「お? それじゃ帰ろーぜ! オレ腹減ったぞ!」



 詰め込んだ食材でリュックはパンパンになってきたし、今日の宿代には困らないだろう。

 そう考えて引き返そうとした時だった。



「みんな! 何か近づいてくる! あと30mくらい」



 マリの声に信太郎たちは慌てて彼女を中心にして円陣を組む。

 信太郎もマリの指さす方へと目を凝らして周囲を見るが何も見えない。



「急に反応が出てきて……もう20m以内に入ったよ!?」


「な、なにも見えないけど……! 信太郎君は見えるかい!?」


「いや、なんも見えねーぞ。透明なのか?」


「もしかして空からっすか? 風で上空の霧を散らすっす!」



 小向が放った風魔法で周りの霧が晴れるが何もいない。

 本当にいるのかと困惑する空見だが「あと10mです!」と悲鳴を上げるマリを見て嘘ではなさそうだと判断する。



「見えない敵ってことは悪霊とかっすか!? 僕そういうの苦手っす!」



 恐怖で小向の顔に涙が滲む。

 そして何かに足が引っかかったのか尻もちをついてしまう。

 ふと、そんな小向を視界にとらえていた信太郎があることに気づいた。


 ――妙な振動を感じる。

 風魔法で霧のなくなった足元を見ると、湿地の水面が揺れている。

 その揺れはわずかに泥を跳ね上げながら小向に近づいて行く。



「下だっ!! 小向が狙われてる!」



 信太郎が小向へと身を乗り出した瞬間、尻もちをついた小向の周りから泥の柱が噴き出し、そこから3匹の巨大なカニが襲い掛かる。

 鎧のような甲殻に身を包んだ怪物だ。

 予想外の奇襲に小向は反応できない。

 カニの化け物は呆ける小向の首へと巨大なハサミを突き出す。



「だりゃあぁっ!!」


「せいッ!」


 信太郎の回し蹴りが2匹のカニをまとめて砕き、残る1匹は空見のメイスでカニの頭を叩き割る。

 襲撃はほんの一瞬のことで、反応できたのは信太郎と空見だけだ。

 マリも小向もほぼ動けなかった。



「もう敵はいないみたい。びっくりしたぁ」



 マリが安堵のため息を漏らす。

 尻もちをついた小向は涙を滲ませていた。



「し、信センパイ。空見センパイ。助けてくれてありがとうっす……」


「お? 気にすんなって、後輩を守るのは先輩の務めだろ?」



 信太郎は悩みなど無さそうな顔で笑うと小向を助け起こす。

 信太郎とは対照的に小向の表情は暗い。


(……また足引っ張っちゃったっす)



 今日の探索で自分だけ全くチームに貢献できていない。

 このままじゃ切り捨てられるかもしれない。

 小向はそう考えて、落ち込んでいたのだ。


(また僕はネガティブなことばかり考えて……。気持ちを切り替えないと!)



 嫌な考えを振り払った小向が視線を上げると、空見が倒したカニの化け物を調べていた。



「これは……鎧カニか。昨日図鑑で見たけど、食べれるらしいよ」


「マジで!? うまいの?」



 食べれると聞いて信太郎が鎧カニの死骸に近づく。


「うん、泥抜きすればかなり美味しいって、……ん?」



 横からバリバリと音が聞こえ、何事かと空見は視線を向ける。

 信太郎が生でカニを頬張っていた。

 もぎ取ったカニ足を甲羅ごとかみ砕いている。

 実にワイルドな食べ方だ。



「し、信ちゃん先輩!?」


「ちょっ!? 泥抜きしないとダメだって!」


「泥抜きしなくてもまあまあイケルぜ!」


「ダメよ、信ちゃん! ペッしなさい!」



 マリの手によって信太郎の口からカニ足が叩き落とされる。

 名残惜しいそうにカニ足に手を伸ばす信太郎を慌ててマリが制止する。



「お腹壊したらどうするの!?」


「大丈夫だって。てゆーか俺さ、最近生肉や生魚がすごいうまそうに感じるんだよな」



 獣っぽくなってきた信太郎に空恐ろしさを感じながらも、一行は来た道を引き返していった。

 ちなみにカニ肉は信太郎がすべて回収し持ち帰った。

 宿で調理してもらったカニ鍋はびっくりするほど美味しく、信太郎たちは鎧カニを見つけたら必ず倒すことに決めたのだった。

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