第8話 奇襲 八百VS三  その1

 モウルドの軍までざっと二百五十メートル、不意に毒兵どもが立ち上がった。ヤベエ、見つかったかとアセった。

 が、そうではない、毒兵は一様に背を向けた。


「いいか香輝、お前はたらふく天の施しを食っているし、体も天の施しまみれだ。だから、毒の霧への抵抗力は十分にある。

 それでも、吸い込みすぎには気をつけろ!もしお前が毒兵に堕ちたら、容赦なく切り捨てる」


騾馬二頭の戦車を巧みに操りながら悟蘭ゴランが言った。


「悟蘭、そういうお前も毒兵になるなよ!」


 オレの声には珍しく怒りが混ざっていた。実は毒兵五体に何もやれなかった自分自身にむかついていた。それに何より、悟蘭がオレに何の期待もしていないように感じていた。


「香輝くん、ドワーフという種族は毒の霧への耐性がある。地中や鉱山が好きな種族で、そのお陰らしいよ」


 雲に乗った星那さんは、手にアカザの杖、顔にはレーススカーフのような物を被り、オレの横に来た。


「星那さんはどうなのさ」

「アタシ?アタシはさ、女仙だよ。女仙は元来ガンライ不死なのさ。死なない者には毒だろうとカビだろうと効きはしない。もっとも体を切り刻まれば死んじまうけどね。

 おっと、もうすぐ突っ込むよ。覚悟しな!勇者の覚悟だよ」


 ヴェエエエエエエ


 毒兵どもの呻き声が響く。空がもうもうと黒い霧に覆われる。

 その霧を見ていると、オレは自分が、毒兵を一体も倒さずに討ち死にする、ある意味伝説の勇者になりそうな予感がしてくる。


「いいか、トキの声ってえのは、こう上げるんだ!」


 ウオオオオオオオオオオ……

  ウオオオオオオオオオオ……


 突入する悟蘭の声が響く。オレも恐怖を打ち破るために声を張り上げた。『覚悟しな!勇者の覚悟だよ』という星那さんの言葉が頭の中で巡っている。



「モウルド様、あれは伝令でございましょうか?」

「なんだと。吾等の挟撃キョウゲキが今日に早まったか?」


 モウルドは立ち上がったまま、視線を先にやった。小柄な馬が三頭見える。土煙を上げ、急ぎ来る。


「確かに伝令のような……、しかし」


 状況がつかめなかった。この八百を誇るモウルド軍に他に近づく者もあるまい。敵であれば、少なくとも五百はいよう。


「おうっ!」


 スピードを緩めることなく、三頭、毒兵の間に突っ込みやがった。突っ込まれた毒兵たちが、何が起こったかも分からぬまま、次々と切り裂かれ、散っていく。


「て、敵…、敵でございます!」


マゴットが金切り声を上げた。


「ほう、これは面白い。何分もつかな?!ゲヘッ」


 毒の胞子が奴等をムシバむのと毒兵が引きずり倒すのとどっちが先だ?どっかとモウルドは椅子に座り直し、酒の肴を見ることにした。


 *敵だ!向かい撃て!*


 モウルドの命令に、毒兵達は手に手に武器を取った。辺りを見回す。

 ……だが、どこに敵がいるのだ?

 ……敵の軍勢はどこにもない?モウルド様はいったい何をおっしゃっている。

 働きの鈍い頭に、再び、モウルドの命令が下る。


 *敵だぞ!容赦なく殺せ、殺せ!*


 混濁した脳、見えぬ敵、命令、毒兵達同士の小競り合いがあちらこちらで始まる。



 悟蘭は、大軍とはいえ好き勝手に立っている毒兵の疎らなところを選び突入した。何が起こったかも分からぬ毒兵をミスリルの刃が切り裂く。

 切り裂かれた毒兵はモロい。あっという間に、体が崩れ、塵となっていく。

 だが、その塵からは黒い霧が煙のようにもうもうと立ち昇る。毒と菌糸を含んだ霧だ。人が吸い込めば、常人ならば毒に犯され、菌糸に蝕まれる。体が黴び、腐っていく痛みに心を明け渡せば、毒の浸食は止まるが、モウルドの傀儡クグツとなる。この始末の悪さを悟蘭はよく承知している。

 大軍で攻めれば攻めるほど、不利になる。


 かつて……、悟蘭は部下達を容赦なく鍛えながら、家族のようにかわいがっていた。自慢の兵達だった。だが、あの最初の戦い、その勇敢な兵達が背後から攻めてきたモウルドの毒兵にやられた。


 不意打ちとはいえ、鍛え上げた悟蘭の兵は強い。易々と毒兵を打ち破っていった…はず……だった。毒兵は黒い霧を体から出しながら倒れていく。

 悟蘭は、斧を軍配グンバイとし、兵達を動かし、攻め続けた。

 だが、半時もせずに事態は変わった。黒い霧が漂う中、押していたはずの兵達が苦しみだし、次々と倒れた。バタバタと倒れ、兵達に動揺が広がった。その中、倒れた兵の幾人かが立ち上がった。

 無事だったか……、安堵が広がる。


 だが、再び立ち上がった兵は、どす黒い顔に苦悶の表情を浮かべたまま、仲間を襲い始めた。毒兵へと堕ちたのだ。

 その時は何が起こったのか分からなかった。

 ただ、最悪の事態だった。

 混乱の中で悟蘭の兵同士の殺し合いが始まり、凄惨な戦いの末、軍は壊滅した。そして、終には彼の生まれ故郷の島キャードーも失った。


 隣の島キュードーに魔が現れたという報に、敗残兵となった悟蘭たちは幾艘イクソウかの小舟に乗り港を出た。二日月の暗い夜だった。キュードーの王軍と合流し、一矢報いてやろうという気持ちだった。

 だが、波の先、その夜の暗さよりもぽっかりと黒いものが彼等の背後でうごめき、島のシルエットも灯りも消え去った。悟蘭の家も町も人々も、故郷はただ闇に飲まれた。


「魔に飲み込まれた」


 悟蘭は自分の大切なものがいとも簡単に奪われたことをその時実感した。彼の心の中に己の体よりもデカい穴が空いてしまった。

 ……もう、あんな思いはせぬ。決してせぬ。だから城に残っていた兵も連れぬと決めていた。

 たとえ果たせなくとも小隊にも足りぬ人数でモウルドに挑む、そう決め、奴を探していた。王軍が決戦に出られたからには、必ずモウルドの軍がどこかに湧くはずだ、そう考え、斥候セッコウを多方に出し、索敵していた。


「この世から消えたくなかったら、どけいー、亡者ども!

 エエイッ、邪魔だあ!!」


 悟蘭が吠えた。

 最初は、不意打ちにただやられていた毒兵どもが騾馬戦車に向かい始めた。毒兵が壁となりつつある。

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