「遭遇」
任務を行う際の「軍服」に着替える特級クラスの更衣室。ここで戦闘に適した支給服に着替えた後、武器類保管庫へ自分の武器を取りに行き、そして任務へと向かう。それは時に過酷な時間の前の、緩やかなひと時となる。
「……昨日、皆であそこに遊びに行ってなかったら、このことは分からなかったのかもね」
「そうだな。もっと言えば、私が夕飯を買いに行ってあの広場にたどり着かなければな」
「……人を無差別に襲うんだってね。もしあそこにティエラちゃんが居合わせてなかったと思うと……」
「うわ、またそうしてやなこと考えるー……」
「だって……」
まだ成長しきらない、愛らしい貌を歪めてプリエールは俯く。それに反し、背後に居る事件を見た当の本人は妙に前向きだ。
「昨日はあの市場で色々買って良かったな。おかげで怪物から人々は守れたし、昨日私は美味い鶏のグリルを食えた」
「リィ君が作ってくれたの?」
「ああ、あいつも好きだからな。グリル焼き」
満足できた夕飯だった、と。ふぅっと息を吐いてティエラはプリエール達に向き直る。
「飯を食うにしても、食材を作る人や、それを売る人、買う人、調理する人とたくさんの人が必要だろう?誰だって世界の循環の何かを担っている。人が欠けてしまうと、それが誰であろうと、出来なくなってしまうことが生まれてしまう。私でも倒せるような脅威でそれが起こってしまうなんて、馬鹿らしいことこの上ない」
そう笑って軍服のベルトを締め、ロッカーの戸を音を立てて閉めながら話は続く。
「護りたい人がお前達にも居るだろう?今回も脅威は逃さず取り払うぞ。私はこれからもあの市場の食材を買いたいし、あの広場の喧騒を聞いていたいからな」
長話のうちにティエラはさっさと着替えを済ませ、「先行ってるぞ」とグローブを持った手をひらつかせながら更衣室を後にした。アコールは、難しい話は理解できないけど、と首を傾げながらローブの留め具を確認した。
「……私でも倒せるようなって、いやそれはちょっとって心の中で突っ込んじゃったけどさ」
見上げるプリエールのカチューシャを整えてあげ、真摯なまなざしでそれを見つめる。
「ま、危険なことがないに越したことはないもんね。そこは私も分かるよ」
「平和が一番だもんね」
二人でティエラの言葉の意味を分かち合い、互いに微笑んだ。
「よし、アコールちゃん、行こう!」
「ティエラほんとに先行っちゃってないよね?」
「ありそうなのが怖いなぁ、早く行こ」
長椅子で区切られた細い通り道を、風のように二人は通り抜けた。
アイオライト市場付近。現場に着き次第、生徒達は任務の準備を始める。
ティエラは事件に遭った者として十四番クラスと十七番クラスに当時の状況を伝えている。彼らとの情報交換を十分に済ませ、二十三番クラスの面々へと合流し、捜査は開始された。
「ここ……だよね?」
「ああ、ここの手すりに手を置いて項垂れていてな」
項垂れていたのか、そもそも項垂れることができるほどの情緒を残していたのは分からんが、と補足しながら、まさにその手すりを撫でる。紅の塗装が為された、異国情緒の鮮やかな橋だ。プリエールは怪物が手を置いていたとされる箇所をじっと見つめていたが、やがてそこの異変に気づく。
「ねぇ、ここ。何か、黒くなってる」
「……黒いオーラか奴の体液の跡だろうか。採れるなら採ってみようか」
ティエラが与えられたキットを漁るため視線を下に落とした時。
「……?」
「ティエラちゃん?」
ちょうど怪物が立っていたであろう場所に、これまた黒い痕跡が見えた。採取キットをプリエールに渡し、しゃがんでそれを観察する。
─────小型の魔法陣のような、掠れた黒い跡。拳程にも満たないような大きさのそれは、確かにあった。
「これでいいのかな……全然採れた気がしないよ」
「プリエール、そっち終わったら、これ」
「ん?……魔法陣?ぽいね」
「アコールが聞き取りに当たってただろう、ちょっと連絡入れてくれ。ここの清掃員にこの橋を掃除したか聞くように」
跡をデバイスの撮影モードで撮りながら指示を出す。連絡を済ませたであろうプリエールも、軍服のトゥニカをたたんでしゃがみ、それを見た。
「……どうしてこんなところに魔法陣が……?」
「さあ……」
二人して、その跡を見ながら熟考し。
「…………もしかして……召喚魔法……?」
ぽつりとプリエールが零した声に、ティエラが顔を上げて応えた。
「……奴が召喚されたものだというのか?」
「ううん、確信が持てるわけじゃないんだけど」
拡大鏡で細かく跡を観察しながら続ける。「……微かにね、時間を示す文字が刻まれてる。めちゃくちゃになって潰れてるけど……数字が確かに見えるの。……時間を指定して召喚したのかな……?それって結構難しいと思うんだけど。召喚魔法って、術者がその場ですごい集中してやらなきゃうまく決まらない難しい魔法なのに」
「それもそうだが、もしこれが本当に召喚魔法陣だとしたら。これによってあまり嬉しくない事実が分かったぞ」
苦虫を嚙み潰したようにティエラの端正な顔は歪んだ。
「奴を出したい場所に好きに召喚出来るような奴が居る。放置しておけば、今後ここ以外の色々な場所で人が襲われるぞ」
アコールから連絡が返ってきた。
『その清掃員の人、映写機で撮ってくれてた!現像したものが貰えたから、明日提出するね』
「有能だな」
級友から送られてきた完全な魔法陣の写真をプリエールは凝視する。
「……うん、ちゃんと見えたよ。確かに時間が書かれてるし、召喚魔法に使う魔法陣の造形だよ」
「これで……あの怪物がどこにでも召喚できるのか……」
「……そうなるね」
ティエラの顔がみるみるうちに曇っていくのが目視でも分かる。「困ったものだな……」と大きくため息を吐き、立ち上がって腰に両腕を当てた。
「これは巡回範囲でかくしなきゃいけないんじゃないか?やらなきゃいけないことも山積みだしな」
「やらなきゃいけないこと……」
「魔法陣はちょっと掃除すれば消えるんだろう?それはまあ見つけたらその都度消せばいいとしてさ」
そこまで言い、ティエラは一度話すのをやめる。
頭に思い描いた対抗手段が告げられず思わずえ、と声を出して見上げたプリエールだったが、ティエラはすっと息を吸って、低い声で続けた。
「この魔法の使い手を見つけだし、捕らえる。最重要事項だ。隅々探し回って絶対にしょっぴくぞ」
珍しくドスの利いた声で吐き出された言葉に、プリエールの背筋が思わず引き締まる。何か応えようとしたが、とうとう彼女から声が出ることはなく、各々に巡回任務に戻っていった。
『そろそろ時間だよティエラ!切り上げよ』
掛かってきた電話に空返事を送る。
デバイスが示すは十八時半前。今日もここで諸々を買っていくつもりだし、これわざわざ学校に帰る意味あるだろうか、とこぼしたくなるところだが、まあ仕方ないだろう。そう息をつき、頑張った自分へ心の中でエールを送った。まだ切っていなかった電話から、アコールのおつかれーと明るい声が耳に飛び込み、ふと心に染み込むそれにクスりと笑った。お疲れと返して辺りを見回す。
「……よし、行くか」
あまり人が来なさそうな木々の深いエリアまで来てしまったが、帰り道はわかるだろうか?いや、分かる。ほんのりと街灯の光が射している方向がある。自然とそこへ指差しして、歩き始めた時だった。
「あー、居た居た。探したよ」
「ッ……!!?」
指差したとは逆方向からガサリと枯れ葉を踏む音が聞こえる。近づくそれは木々の影に隠れてよく見えないが、聞こえた声は男性のものだ。
『ティエラ?どうしたの』
「……すまない、先帰っててくれ。急用ができた」
デバイスの向こうのアコールへ早口で告げて半ば乱暴に電話を切る。
……あの反応、まさか男の声が聞こえなかったのか?疑問を呈したが、それも程々に、目の前の空気を睨む。鋭い朱交じりの金眼はこの暗がりの中でさぞ映えることだろう。なるべく音を立てないように、武器を抜く姿勢を取り警戒する。
「お友達と電話してたのかい?これは失礼、邪魔しちゃったね」
「……」
静寂が辺りに広がる。男は何処にいる?確かに声は近づいていた。しかしどの方向を見ても、あるのは生い茂る木々のさざめきだけだ。
「ここだよ」
「ッ─────!!!」
耳元で囁かれる感覚に、ぞくりと背筋が波立つ。
反射的に刀を抜いて背後へ一閃する。しかし何も斬った感覚はなく、虚しく空を斬る音だけが響いた。しかしそうして振り向いた意味はあった。
振り向いた先、手頃な木には、確かに男が大きな枝に腰かける姿が、薄闇にぼんやり浮かんでいたのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます