「黒の波紋」


「ほんとにすぐ終わったね〜」

「本当に反省会だけで終わってびっくりしたな、なんか新しく来るかと」

「最近は事件とか無いみたいだしね、いいことだよ」

 段々と暑くなるこの季節、世界に夕焼けが長く居残ることも珍しくは無い。空の色は朱と蒼のツートンカラーに染まり、木々の影が落ちる街灯が闇を明るく照らしている。まだまだ市街は夕飯時に向けて栄え、活気は収まることを知らない。

 三人は回り道をし、賑やかな商いの道を闊歩した。それぞれ手に小物を入れた小さな紙袋を持って、他愛もない話を咲かせている。

「プリエ、これからなんか予定とかある?」

「クッキー焼こうかなってさっき話してたんだ、来る?」

「いいの?じゃあ行く!ティエラもどうよ?」

「ああ……私はちょっと買い出しして帰るから。すまない」

「そっか……じゃあまた今度だね」

「機会があったらまた呼んでくれ。じゃあ私……ここで買ってくわ」

「りょか!じゃあねティエラー!」

「またね〜!」

「ああ、また明日」

 街外れ、森の方面へと手を振りながら歩く友人を見送る。隣でパン売りのお婆さんが、その様子を見て微笑んだ。

「学校帰りかしら?仲が良いわねえ」

「はは……、まあ、それなりに」

 照れ笑いをしてパンを受け取ったティエラは、そこからまだ買い物を続けようと市場を回る。「肉と、レタスと、……オレンジも欲しいな」


 日もすっかり沈みかけ、空が青を夜闇で覆い隠す頃。街灯の周りには若者や商人が集い、談笑に花を咲かせている。噴水が美しく光で飾られ、自然に囲まれた広場は昼とはまた違った雰囲気の活気を帯びている。

 街灯は灯火イルムをガラス灯球に封じ、噴水が飾られるのは光の精霊達の仕業だろうか。光達は夜に沈む大海色の髪を暖かく、白く照らして染める。高く結っても尚腰まで届くその髪は、風に吹かれてさらに色を変えた。

 そんな光の広場に辿り着いたティエラの口元は思わず綻んだ。

「……へえ、ここ、夜はこんな感じになるんだな……」

 噴水の縁に腰を下ろし、荷物を整えながら周りの喧騒を楽しんだ。こういったのも悪くはないだろう、デバイスを取り出して時刻を確認し、少しだけこの場所に油を売ろうとしていたところ。ティエラはふと違和感を感じた。


 広場と市場を繋げる橋に、やけに黒ずくめな人間が一人。


 それは橋に前のめりにもたれかかって、今にも落ちそうだ。陰鬱なその様は、そいつの周囲だけ空気をどんよりとしたものに包んでいる。どこか体調が悪そうに見えるそれを、ティエラは注視した。

 ───黒づくめの装いにしては黒すぎる。異界からの映像作品にて、頭まですっぽり真っ黒なニットを被って犯行に及ぶ奴などは見たことがあるが、これはおそらくそんな類のモノではないだろう。目を凝らした観察の果てにティエラは気がついた。彼に黒いオーラが付き纏っていることに。

 ティエラが干渉しようと立ち上がった時だった。優しい誰かが黒い人間に近づく。

「おい、君……どうかしたのか?具合悪そうだけど……」

 彼がその背中に触れた途端、オーラはゆらりと波立ち、舞い上がる。


「そいつから離れろ!!!」

 ティエラは叫んで地を蹴った。

 刹那、人間のようだったものは低く雄叫びをあげ、優しい男へと襲いかかる。

雷電サンダー!!」

 ティエラが大きく手を振りかざすと、それの脳天を雷が貫く。それが怯んだ間に男を抱え、安全な場所へ移した。

 藹々とした空気に包まれていた広場は一瞬にして阿鼻叫喚に染まった。人々が逃げ去って怪物の周りが開けたことを確認すると、ティエラはそれに向き直る。

 怪物は呻き声を上げながら両脚を引きずって来る。体躯こそ普通の成人男性だが、泥でも被ったような形状の何かが身体を舐め、彼を完全なるクリーチャーへと変貌させている。

 じっと醜いその姿を見つめ、怪物の先手を待つ。ティエラがこれに向き合うのは、奴を倒すためではなかった。

 奴の情報を少しでも集めておかねばならない。突然現れたクリーチャー、きっと広く知れ渡ってはいないだろう。ここでなるべくこいつのことを知り、討伐、そして伝えなければ。ティエラの鋭い、朱の重ねられた金色が奴をしっかり捉えていた。

「グオオオオオ!!」

 くぐもった雄叫びが辺りを埋め尽くし、醜い肉塊はティエラを喰わんと突っ込んだ。

 獣の猛進はあっさり躱されるどころか、高く垂直に跳んだ脚によって頭部を地べたに押し付けられる。夕闇の空を舞い、怪物に照準を合わせると、手の中で渦巻く水を生成し、絶え間なく渦を巻いてやがてそれは刃のように鋭くなる。

「────ウォーターブレイド!」

 無数に浮かんだ水の刃が、怪物を無慈悲に切り刻む。海か湖でも掻き分けてもがくように怪物も抵抗したが、その物量と鋭さの前ではなす術もない。

 ティエラの身体が、重力に従って降下する。その勢いを利用し、右腕に水の刃を纏い。

「────はぁッ」

 手刀は近くの噴水以上の大きな飛沫を纏い、怪物の体は容易く真っ二つに裂かれた。



 小川に架かった小さな橋に、大雨の如く飛沫が降り注ぐ。濡れた海色をバタバタと振るい、ティエラはあの優しい男を見やった。

「大丈夫でしたか?お怪我は」

「い、いえ……!ありがとうございます」

 自然と周囲から、ささやかに歓声と拍手が湧き上がる。ありがとう!すごかったよ!と。感謝の輪の中心にいるティエラは照れくさそうに微笑み、そっと会釈をした。

 噴水の縁に置きっぱなしだった荷物を手に、ティエラも帰路へとつく。あの怪物のことを考えながら。

(……動きはゆっくりで機敏に反応することはできないっぽい……知能も獣同然っぽいな、それはともかくとして……)

 体躯を纏う黒いオーラとそこから垣間見えるありふれたごく普通の人間だったであろう姿が、ずっと引っかかっていた。

(察するに会った時点でまともな人間としては既に手遅れだったのだろうが……)

 ────もしこれを放置していれば大変なことになりそうだ。色々持論はまとめて明日提示するとして。見上げれば、住み慣れた我が家がティエラを迎えた。

「ただいまー」

 ふと見やった時計は夕飯時に片足を入れていて、やべ、と虚空に漏らしてそそくさとダイニングへなだれ込んだ。

「リィ?帰ってきているだろ?」

「ごめんごめん姉ちゃん、おかえり」

「ただいま、すまんな遅くなって。飯まだだろう」

「まだだよー」

 リーベもリーベで、流れるようにティエラが買い込んだ食材を物色し始める。

「お前好きだろ、鶏の腿。買ってきたぞ」

「うおー!!ありがとう!どうしよっかな、焼こうかな」

「そうだな、調味料も買い足した。グリルにでもすればいい」

「やったー」

 紙袋から包まれた肉やら野菜やらを取り出しながらご馳走に思いを馳せるリーベの頭を優しく撫でてあげ、自分はリビングのソファに転がって彼の手料理を待つ。

 何気ない平穏で幸せな日常が、今日もまた緩やかに終わろうとしていた。

(─────この幸福を噛み締め続けるためならば)

 ティエラは長い戦いに身を投じることも、怖くなかった。

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