5-11 温もりに包まれて

 あいにぃは岩場の一角に腰掛け、タバコを吹かしていた。


 オレの姿に気付くと、ちょいちょいと手招きされる。

 誘われるがままにオレも磯によじ登り、隣りに腰掛けた。


「もう、いいのか?」


 黙って頷き、少し離れた浜辺を振り返る。

 三厨さんは浜辺に残り、月明りを浮かべた水面を眺めている。


『少し、一人にさせてくれって』


「そか」


 それだけ言って、中空に紫煙を吐き出す。


「お前も吸うか?」


『やめとく、借りもんだし』


「……そか」


 地響きのような波の砕ける音。

 時おり大きく砕けた波が飛沫を上げ、額や頬を掠めていく。


 ……どうにも落ち着かない。


 オレの兄は普段から騒がしい。

 それなのに黙られていると、こっちが気を遣ってしまう。


 まさかオレと再会したことで、あいにぃも平静を保ってられない、ということなのだろうか?


 そんなことを考えていると、ますます声がかけづらくなる。


「な、和平」


 おそるおそる、隣の横顔を盗み見る。

 もし、この兄に涙なんか見せられてしまったら、オレは――



「お前、いくら持ってきてる?」


『……は?』


「レンタカーってガソリン入れて返さなきゃじゃん? でもそこまで持ち合わせなくてさ、少し貸してくんない?」


『ざけんな。クレカくらい持ってねえのかよ』


「バカ、審査が通るわけないだろ」


『なんで少しドヤってんだよ……』



 ため息をつき、頭を抱える。



『アンタ、昔からなんも成長してないのな』


「あいにくと二年前には完成してたんだよね」


『完成度を上げる努力をしろ』


「いや~上げなくても人生楽しいからさあ」


『……ホント。いつでも幸せそうだな、あいにぃは』


「まあな~」



 そう言ってケタケタと笑っている。

 オレはその愉快そうな顔を見て、肩の力が抜ける。


 あいにぃは変わってない。

 三厨さんとは違い、二年の時を感じさせず、あの頃のままだ。


 でも、実際のところはどう思ってるのかわからない。


 本当はあいにぃだって、オレの事故で思うことがあったのかもしれない。だが夕方に拉致されてから、その話題には触れようとはしなかった。



『……迷惑、かけたよな』


「あん?」


『事故のことだよ。記憶失った後のオレ、構ってくれたみたいだから』


 あいにぃは言葉の意味を少し考えたかと思うと、


「対して構ってやれてねーよ。お前と同じく、いまの和平にもウザがられてるしな」


 なにがおかしいのか、あいにぃは笑いながら言う。


 その本当に変わらない様子が気になって、オレはつい訊ねてしまった。


『あいにぃは、怒ってないのか?』


「怒らねーよ。そりゃお袋たちを悲しませたのはアレだけど、さっきミカちゃんが怒ったので十分だろ」


 ……聞こえてたのか。

 さすがに、アレを見られていたのは少し恥ずかしい。


『でも三厨さんと別れたの、オレのせいだろ』


「お前がいなきゃ会うこともなかった」


『だからって、なにも思わないことはないだろ……』


「あ? もしかして怒られたいのか?」


『いや……そんなことはないけど』


「じゃいいだろ。お前は短い人生で夢を叶え、立派に生きた。和平みたいな弟が持ててオレは誇らしい。それで終わりだ」


 あいにぃは携帯灰皿にタバコをねじ込んで立ち上がる。


「そろそろ行くか。ミカちゃんもずっと放置されてんのはイヤだろ」


 そう言って、さっと岩場を降りていく。




 あまりにも変わらない姿に、少し拍子抜けする。


 ……でも、それでいいのかもな。


 オレたちはずっと、ほどほどの距離感を維持してきた。事ここにいたって無理にエモい話をする必要も、美化する必要もない。


 言葉にしなければ伝わらないこともあるが、言葉にしなくても伝わることはある。


 だったら言葉にしないほうが、円滑にまわる関係もあるはずだ。


 ……でも。



『あいにぃ!』


 不思議そうな顔で振り向く。

 そんなとぼけた顔に、一言だけ残しておく。


『アンタと兄弟でよかった。機会があったら、次も、頼む』


「……任せとけ」



 あいにぃは親指を立て、朗らかに笑った。




---



 オレはひとり、駐車場に戻ってきた。

 あいにぃと三厨さんを浜辺に残して。


 別に深い意味はない。

 ただ二人にいまも惹き合うものあるなら、元通りになって欲しい。


 そのほうが会いに来た甲斐がある。



 リモコンキーの開錠スイッチを押し、後部座席に体を滑らせる。


 衣服はまだ生乾きだが、着替えるほどでもない。


 脳みそを空っぽにし、車内の中心に浮かぶ灯りをぼうっと眺める。




 ……よし。


 衝動的な恐怖はやって来ない。

 

 胸の底には満ち足りた気持ちが、膜を張ったように堪えている。


 もう、思い残すことはなくなった。


「降魔さま……」


 スマホに下げたキーホルダーが、眉にハの字を形作っている。


「終わって、しまったのですね」

「ああ、綺麗さっぱりにな」


「本当に、よろしいんですの?」

『よろしいもなにも、いまさらゴネるなんてセンスない』


「体裁なんて気にする必要ありませんわ。もし未練がおありでしたら二年のお時間、しっかりいただいてしまっても……」


『よせ。いまからDS書いたって二年じゃ完結しない。俺たちの戦いはこれからエンドを書くつもりもねーしな』



 茶化してみるが、ホムラはなにも言い返してこない。


 なにやら浮足立った様子で、必死に考えを巡らせているようだ。そんなホムラを見て……オレはひとつの可能性を思いつく。



『怖くなったんなら、無理に付き合わなくてもいいんだぞ?』


「いえ、決してそういうわけでは……」


『よくよく考えれば、お前は消滅が確定してるわけじゃないしな』



 ホムラが消えようと思い立ったのは、ブルームに復讐するという理由を失ったからだ。


 魂の上書きだって、薫が夕日丘ホムラとして復帰し、かつ演技に大きな変化がなければ発生しない。言ってしまえば、ホムラの消える未来は確定していない。



『ホムラ。お前、やっぱ残れ』


「な、なにを突然言い出すのですか!?」


『気づけば立場、逆転してたな。なんかオレがお前を道連れするみたいになってるし』


「自分から望んだことです! わたくしも降魔さまと一緒に行きます、一緒がいいんです!」


『そうは言っても、オレより薫のほうが好きだろ』


「そんなことありません! わたくしは本気であなたのことをお慕い……」


『それは死ぬ理由にならない』


「降魔さまだって、今すぐである理由はないでしょう!?」


『ある。カズと紗々まで引き裂けない』



 ……最初は本気で体を奪うつもりだった。


 だがアイツのお節介に触れていたら、すっかり毒気を抜かれてしまった。いまではレールに乗せられて、ご丁寧に身辺整理までするハメになっている。


 でも、後悔はない。

 二年に相当する報酬は、もう受け取った。



『お前はブイチューバーに復帰して、もう一度ブルームと競い合え。そんで抜き去ってから報告に来い』


「いまさら、そんなこと……」


『よくよく考えれば大した実績もない二次風情が、オレの隣りに並ぼうなんざ生意気なんだよ。もう少し立派な肩書持ってこい』



 抗いたいという気持ちがある限り、何度やり直したって構わない。


 何度失敗したってペナルティが付くわけでもない、挑戦を止める権利は誰にもない。


 世の中とはそんな風にできているし、そうでなければならない。



『復讐が空しかったなら、正攻法でぶつかってみろよ。勝って脳内物質ドバドバ出してこい、あの気持ちよさはオレが保証する』


「でも……」


『デモもヘチマもない。未練抱えたヤツを引き摺ってくほど、オレは寂しがり屋じゃないんだよ』


 つけ込まれる隙がないように強く言い切る。


 選択の幅を広げてやることだけが、為になるとは限らない。


「……ひとつ、約束してくださいまし」


『言ってみろ』


「わたくしが窺うまで……隣の席は空けておいてくださいますか?」


『もちろん。てか他の誰かに用意する席なんてねーよ、生前はまったくモテなかったしな』


「……ふふ、降魔さまはもう少し言葉遣いを改めてくださいまし。そうすれば印象もだいぶ違ったかと」


『めんどくせ。お前がいれば十分だろ』


「き、急にそんなこと、仰らないでくださいましっ!」



 ホムラが恥ずかしそうにぼそぼそと呟く。オレは鼻で笑い、キーホルダーをひと撫でする。


 まさか最後の最後で、二次にこんな気持ちを抱くなんて思いもしなかったな。人生ってのは、なにが起こるかわからない。



「ねえ、降魔さま。あちらの世界では、次元の隔たりを越えられるでしょうか?」


『当然だろ。あの世ってのは究極の意味で都合主義であるべきだ。すべてが叶う夢の世界だよ』


「なら、よかったですわ。わたくし、真の意味で貴方の隣にいられるのですね?」


『ああ……』



 ――そう応えると、視界がどんどんぼやけ、意識が遠ざかっていく。



 ここで、終わりか。


 気のせいか、ホムラの喚くような声が聞こえる。


 そんなに騒ぐな、少し眠るだけだ。


 キーホルダーをゆっくりと両の手で包み、目を瞑る。




 ……光を失った世界で、不思議と体を抱かれる感覚があった。


 きっと、そこにいるのだろう。


 目を開かなくても、わかる。


 オレも腕を回し、その体を抱きとめる。


 そこには確かに温もりがあり、


 その腕の中で、オレはゆっくりと眠りに落ちていった。




---




 ――そうして、俺は目を醒ました。


 朝日がまとわりつくように目蓋を灼き、まどろみの中で少しずつ意識が覚醒し始める。


 どうやらここは車の中のようだ。


 耳元からはすうすうと寝息が聞こえる。

 ちらと視線を横に移すと……目を瞑ったあいにぃの顔がアップで現れる。


「うわっ」


 体を逸らせようとしたが、動かない。


 反対側には三厨さんが肩にもたれて眠っていた。どうやら俺たちは川の字になって寝ていたようだ。


 どれくらい、眠っていたのか。


 よく効いた空調と、人肌の熱でかなり汗をかいている。……そして鼻が曲がるような磯クサさ。


 窓の外を見るとだだっ広い駐車場に、ヤシの木と堤防。後ろから断続的に聞こえるのは波の音。どうやら俺たちは海に来ていたらしい。


 きっと、二年前の次元和平として。



「……降魔、ちゃんと話ができたんだな」



 良かった。

 この様子なら、きっと心配ない。


 最期の時間は、二人と一緒にいることを選んだのだろう。


 彼らがどんな言葉を交わしたのかはわからない、知る必要もない。それは降魔のプライベートだ。


 でも、これだけはわかる。

 こうして二人に寄り添ってもらえる降魔は、きっと幸せな最期を過ごしたのだろう。



 その時、俺はなにかを握っていることに気付いた。


 両手で包み込むように握られていたのは、キーホルダーだった。



「……そっか。お前、最期まで一緒にいてくれたんだな」



 キーホルダーに映るホムラは、ぼろぼろに泣いていた。



「ありがとう、降魔と一緒にいてくれて」



 ホムラは応えない。

 俺も返事を求めていたわけじゃない。


 ただ最期の瞬間まで、ホムラは降魔に寄り添っていてくれたのだ。


 降魔のことを愛する――ひとりの人間として。

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