5-9 世界の果て

「相変わらず和平はかわいくね~な!」


『うるせ。男にかわいいと言われて喜ぶヤツなんているか』


「そうか? カワイイは世界共通の褒め言葉だぞ?」


『女視点の話だろ。いい年こいて路上演奏してるオッサンが言うセリフじゃない』


「ひっでぇなあ、でもそうやってツンケンしてんのが和平のかわいいとこだよな~?」


『付き合ってられねー』


「ははっ! ミカちゃんもそう思わない?」



 運転席に座るあいにぃが、隣の三厨さんに話を振る。



「……え、あ、うん」



 が、三厨さんは少し遅れて返事をする。



『三厨さんはさっきまで仕事してたんだ。少しくらい寝かしてやれよ』


「大丈夫、気にしないで夢見くん」



 とは言うものの、三厨さんはたまらず大きなあくびをする。



「ごめんね~ミカちゃん。疲れてるとこ付き合わせちゃって」


「……本当に申し訳ないと思ってます?」


「思ってるよ、当たり前じゃ~ん」



 あっけらかんとした返答に、三厨さんはため息をつく。



 ――事の発端は、数時間前。

 オレは紗々と話し合った後、あいにぃに電話をかけた。


 二年前の次元和平として。


 すると、三十分後。

 レンタカーに乗ったあいにぃが、マンション前に現れた。


 紗々に「弟を借りる」と告げ、オレを後部座席に押し込み、ホライゾンの玄関前で仕事帰りの三厨さんを回収。そのまま有無を言わさず高速道路に乗り上げた。


 現在時刻は深夜二時。

 車は先ほど江戸川橋を越え、京葉ジャンクションを抜けたところだ。



「で、この車はどこに向かってるんですか?」


「九十九里浜」


「は? 九十九里って……明日も平日で仕事なんですけど???」


「休んじゃおうぜ。なんならタケちゃんにクチ聞いとこうか?」


「絶対にやめてください。あーこれでまた仕事が後ろ倒しに……」


『……悪いな。クソみたいな兄で』


「大丈夫よ、馴れてるから。それより夢見くんに会えてよかったし?」



 そう言って三厨さんが振り向きざまに笑みをみせる。


 すると、スマホに下げたキーホルダーからホムラの声が聞こえる。



 ――ほら、降魔さま。言ってくださいまし。オレも会えて嬉しいです、と。


 ――バカ、そんな恥ずかしいこと言えるかよ。


 ――どこが恥ずかしいのですか! このままではいつまでたっても宿題が片付きませんわ!



 宿題。


 それはカズの言付けを守ること。

 カズの魂が戻らない理由を、紗々はそう結論付けた。


『後悔を残すな。人に会って、素直な自分になってこい』


 だが、素直とはなんだ?

 文字面だけをなぞれば、オレはいつだって素直に振る舞っている。


 オレは紗々に言われるがまま、あいにぃへと連絡をした。

 だが具体的になにをどうすればいいか、イマイチわかっていなかった。



「おい、聞いてるのか和平?」


『……悪い、少しボーっとしてた』


「和平もおねむか~? そんな眠いなら二人とも寝てもいいぞ」


『いい、車とか電車じゃ寝れないし』


「そーだな。和平は昔からマイ枕じゃないと、寝付かなかったし」


「へえ~意外。夢見くんはどこでも寝れるタイプだと思ってた」


「こいつ家族旅行の時も全然寝なくてさ~。いっつもオレと朝まで有料チャンネル見てたもんな~?」


『べ、別に見たかったわけじゃねーし』



 ホテルのテレビには有料チャンネルというものがある。


 廊下の自販機でテレビカードというブツを購入すると、部屋でアダルトな番組を見ることができる。


 お代は千円。

 二十代男子の五割は購入経験があるらしい。



「うっわ、あれ買う人いるんだ!? てか夢見くんも男の子だね~」


『あいにぃがいつも勝手に買ってくるから、仕方なく……』


「でも和平もガッツリ見てただろ、マンガの参考とかなんとか言って」


『だってオレが出した金だし、見なきゃもったいないじゃん』


「……ん? 愛さんが買って来たのに、夢見くんのお金?」


『子供の頃からよく金貸してたんですよ。家族旅行は年明けや春休みが多かったから、いつもお年玉削って貸してました』


「お、弟のお年玉でアダルト……」


「いや~昔から発育が良くってさ! なんでも興味津々みたいな? はっはっは~!!」



 高笑いするあいにぃの横で、三厨さんが肩を落とし頭を抱えている。


 ま、無理もないよな。心底同情する。


『三厨さんも大変ですね。こんなカスを彼氏に持つと』



 束の間、場がしんと静まり返る。

 ……なんだ、この沈黙は?



「あ~ごめん和平。オレとミカちゃん、別れたんだ」


『……あ、そう』


「オレ、こんなんだから呆れられちゃってさ~。ま、自業自得だよな」


 助手席に座る三厨さんを盗み見ると、特になにも言わず窓の外を眺めている。どうやらマジらしい。


 ……当たり前のように三厨さんを拾いにいくから、てっきり関係は続いているものだと思っていた。


 だが、オレがいなくなって二年が経っている。そういう変化があってもおかしくはない。


 なにか気の利いたことでも言おうとしたが、上手く頭が回らない。……どうやらオレは少しショックを受けているらしい。


 オレの知る限り、あいにぃは女性と仲良くなっても交際にまで発展することは少なかった。


 だから三厨さんと付き合うと聞いた時、どこか本気なんだなと思ったし、よほどの事情がなければ別れることはないと思っていた。


 この二年の間に起きた、よほどの事情。……考えるまでもない、オレの事故だ。

 



「そういえば、前に一緒だったアシスタントのコたちはどうしてる? みんなマンガ家になれた?」


 妙な沈黙を払拭しようとあいにぃが話題を振る。


「フクちゃんとシゲゾーとはいまも繋がってる。シバたんは書くのやめちゃったかな」


 ……懐かしい名前だ。


 実は三年ほど前にも九十九里には来たことがある、あいにぃとアシスタント四人で。だから友達とまでは言わないまでも、あいにぃとアシスタントにも面識がある。


『シバタさんか。彼は完璧主義過ぎるとこがあったからな』


「だよね、私もそう思う。締切より完成度を優先させちゃう人だったからね」 


『他の二人は?』


「二人はいまもアシやりながら頑張ってるよ」


『成果出てます?』


「……芳しくないねぇ。シゲゾーは一回読み切り出せたけど、その後は苦労してるみたい」


『そうですか』


 出版業界は甘くない。

 どんなに実力があっても見てもらう努力や、運も必要だ。


 大人になればマンガばかり書いてるわけには行かない。その間だって生活していれば金がかかる。将来まで考えだしたら不安で押し潰されてもおかしくない。


 オレが消えて二年、うち一人が脱落。

 あきらめなかったとしても報われる保障もない、厳しい世界。


 そんな彼らに対して、言えることはこれだけしかない。


『夢、叶うといいですね』


 三厨さんも神妙に頷く。

 オレたちが彼らにしてやれることなんて、ないに等しいのだ。



「……私も、いまはマンガ書いてないんだ」


『そういうこともあります』


「せっかく夢見大先生に指導してもらったのに、もったいないよね?」


『どうでしょう。オレは天才ですが、人に教えるのまで上手いと思ってません』


「はは。でも夢見くんはマンガ、続けて欲しかったよね?」



 三厨さんは言葉を選ぶように、慎重に聞いて来る。……どうやらオレに罪悪感があるようだ。



『三厨さん、いまホライゾンで脚本やってるんでしたっけ?』


「そう、だけど」


『脚本する上でマンガの経験って、まったくの無意味でしたか?』


「そんなことないよ、同じ話づくりだもん。むしろマンガ書いてなきゃ脚本なんてやってない」


『じゃあなにも言うことはありません。マンガで得たことを生かしてくれているなら……オレは嬉しいです』


「……ありがとう」



 窓の外に視線を移す。

 暗闇に点在するオレンジの照明塔が、どこか幻想的に辺りを照らしている。


 少し先には”東金まであと3km”と書かれた案内標識が見えた。



---



 それから一時間もせずに目的地に着いた。


 車を降りると、潮の匂いが鼻を衝く。

 ロクに街灯のない、伽藍洞の駐車場。


 遠くから聞こえる海鳴り、アスファルトに散った砂のざらついた音。


 それらがより静寂を引き立て、どこか物寂しい気持ちになる。


「思ったより寒くないな~」

「あまり風も吹いてませんからね」


 三厨さんはそう言いながらも手をこすり合わせている。


 それを見兼ねたのか、あいにぃがコートを脱いで羽織らせる。


 着せられた三厨さんは惚けた顔であいにぃを見上げ、口をへの字に曲げて頭を下げている。



 その光景を見て――少し不思議な気持ちになる。

 オレがいなくても、世界てのは回ってるんだな。


 ……そんな当たり前のことを思う。

 二人は恋人関係にあったのだから、似たようなことはあったはずだ。


 でもそれを直視したのは初めてだし、そんな想像をしたこともなかった。


 二人をそこまで見てこなかったから。


 オレはずっとなにかに追われ続け、そして追っていた。


 こうしてすべてを放棄し、自分を終わらせる刻になって、ようやくそんな当たり前に気が付いた。


 そして二人の関係を過去にしたのは、オレの無関心が生んだひとつの結果なのかもしれない。


 ……そんなことを思った。



「ほれ、和平。お前も飲め」


 あいにぃが差し出したのはブラックコーヒー。


『……真夜中にコーヒーかよ』


「これくらいしかお前の好きな飲みものは知らん」


『眠れなくなったらどうすんだよ』


「お前の歳だったら一日くらい寝なくても平気だ」


 あいにぃはオレの頭をぐしゃりと撫で、ひとり海岸に向かって歩いて行く。


「ほら、夢見くんも行こ?」


 三厨さんが小走りに追いかけ、オレも続いて後を追う。


 ざらつく階段に足をかけ、堤防に上がると――すべてを吸い込むような、黒々とした海が、視界を覆いつくす。


 ここが最期に辿り着いた、世界の果て。


 とめどなく浜を撫でる潮水が、安らかな寝息のようにあたりを響かせていた。

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