5-7 心の空洞
「ブルームちゃん、お疲れ~!」
「八木さんも、お疲れ様です」
手を振ってくれる八木さんに頭を下げる。
今日はホライゾンの同僚、八木メイメイさんと同時収録の日でした。
「相変わらず迫力ある演技だったね~。私も演技じゃ負けないつもりだったけど……ブルームちゃんはホントに多才だなあ……」
「い、いえっ! 八木さんの『楽に死ねると、思うなっ!』って台詞にはゾクッとしちゃいました」
「やめてよ、思い出すだけでも恥ずかしいんだから~」
そう言って八木さんは恥ずかしそうに手をひらひらとさせる。
恥ずかしいと言えば、わたしも同じ。
声優名とは言え、リアルでブルームと呼ばれるのにはまだ慣れません。いつか慣れる日は来るのでしょうか?
ユーグレラの追加シナリオが発表され、ホライゾンの全員参加が決まってからは毎日誰かと顔を合わせるようになりました。
それが理由でしょうか。最近は話しかけてもらえることが増えました。中でも八木さんはとても仲良くしてくださいます。
今度、コラボ配信の約束もしてしまいました。コラボなんて初めてなので、いまからとても緊張しています……
「ブルームちゃんの演技は全部すごいけどさ。やっぱり忘れられないのは透香が教会で叫ぶシーンだなあ」
「あのシーン、わたしはあまり好きじゃありません……」
「え~どうして~?」
「なにか、ものすごく恣意的なものを感じるからです」
八木さんと話しているのは、追加シナリオの一幕だ。
透香は国を私物化しようとする悪人のレッテルを貼られ、国民に石を投げられ、家まで燃やされてしまいます。
そして傷心した透香は、ひとり教会に立ち寄り神様に嘆く。
――なぜ、わたしだけがこのような思いをしなければいけないのでしょうか?
――国のためを思って頑張ってきたのに、みんなと仲良くしたかっただけなのに。
――民に認められたいと願うことは悪なのでしょうか。そう願ったから石を投げられるのでしょうか?
――教えてください、神様。教えてください、石を投げる人々よ。
「悪趣味です。しかもその時間に限ってなんで演者全員がスタジオにいるんですか。絶対におかしいです」
あれは誰かに仕組まれたものです。
まるで
「でも、あの収録を聞いてから……空気、変わったんだよね」
そう言って八木さんは、勢いよくわたしに頭を下げる。
「ごめんっ! いままで普通に話すこともできなくてっ!」
「や、やめてください。わたしが陰キャオーラをかもしていたのが悪いんです」
「そんなの関係ないよ。本当は私たち先輩がいろいろ気遣ってあげるべきだったのに……」
「でも、いまは仲良くしていただけてます。それだけで十分ですよ」
「ううっ、ありがと。……ブルームちゃん、マジ天使っ!」
八木さんがわたしの背に腕を回し、ぎゅっと抱き締めてくれます。
……人肌のぬくもり。
久しぶりの感覚に、わたしも八木さんの背に手を回してしまいました。
「あ~、ホントかわいいなぁ……なんか妹ができたみたい」
「白なめくじでも、妹に欲しいですか?」
「なに白なめくじって?」
「……あ、いえ、なんでもないです」
「なになに、教えてよ~!」
「やめてください、八木さん。首が、首がしまってますから!」
---
それから八木さんと別れ、みくりんに終業報告をして今日の仕事は終わりです。事務所の用事は昼に済ませているので、直帰していいそうです。
VC社の借りているスタジオは家までは徒歩十五分ほどです。でも事務所からはその距離でもタクシーを使えとしつこく勧められます。
なんでも最近は熱心なファンが、ホライゾンやVC社に出待ちをしているという話があるらしい。
「……カズくんがいたら、無理にでも使えって言ってくれるのかな」
そんなひとりごとも、白い息となって夜空に溶けていきます。
少し前までは、家に帰るのが楽しみだった。
待ってくれる人がいたから。
でも、いまは誰もいない。
……ううん、本当はブルームがいる。
でも、その姿を視ることはできません。
わたしの左目はどこかに行ってしまったのだから。
クリスマス、お正月、誕生日。
いっぱい約束したのに、一緒に過ごせた日はありませんでした。
約束はすっぽかされてしまったから。
カズくんはいまも夢見先生なのでしょうか。
みくりんから聞いた伝言も、だいぶ昔のように思います。
だってカズくんがいなくなって、もう一ヶ月が過ぎました。
……夢見先生はユーグレラの追加シナリオを書き上げた後、音信不通になってしまったそうです。
---
「ただいま」
「おかえり、ママ!」
薄暗い玄関に響く、ブルームの声。
……リビングの奥をそっと覗きますが、人の気配はありません。
「今日はどうだった? またホライゾンの人とお話しできた?」
「うん。今日は八木さんと収録で、午前中には事務所で大森さんと」
「大森クヌギかぁ、リアルではどんな人なの?」
「背も高くて素敵な方です。昨日の配信も面白かったって褒めてくれました。いい人です」
「う~ん、ママはどんな人でもいい人って言っちゃうからなあ……」
「そんなことありません。わたしだって嫌いな人は嫌いっていいます」
「じゃあ、小清水ってプロデューサーはどう思う?」
「わたしとはあまり考え方が合いません。でも五十嵐さんを復帰させようと頑張っていました、悪い方ではないと思います」
「これだもんな~」
「おかしいことは言ってないじゃないですかっ」
コートを脱ぎ、エアコンのスイッチをつける。
電子的な音と、僅かに聞こえる室外機の唸り。
窓の外を眺めると、大粒の綿雪が降り始めていました。
音もなく降り積もる雪を見ていると、部屋がどんどん静かになっていく気がします。
「ねえ、ママ。……今日は夜ごはんは?」
「……あっ」
また買ってくるのを忘れてしまいました。
自分のごはんを用意するのは、自分しかいないのに。
「はは、ママはドジだなあ~。こないだは寿司だったし、今日はピザにしよっか?」
「……」
「ママ、聞いてる?」
「そう、ですね」
「よしきたっ!」
先日取っておいた宅配ピザのチラシをリビングで広げる。
「前に頼んだのはカニざんまいだったよね? 今日はお肉にしておく? でもカニは一月限定メニューだからリピートもありかもねっ!」
そっか。
一月、もう終わるんだ。
気持ちが沈んでいく。
ブルームの明るい声が、寒々しいものに聞こえてしまう。
いま気を遣われてるんだな、なんて考えてしまう。
「二月メニューってなにがあるんだろうね! バレンタインだからチョコピザ? あはは、まずそー!」
「ね、ブルーム」
「なに~?」
「バレンタインまでには、帰ってくるかな?」
ブルームの笑い声が、消えていく。
……こんなこと聞いたら困らせるってわかってる。
でも、わかっててもつい訊ねてしまう。もしかして新しい話が聞けるかもしれないから。
「ごめんなさい、なんでもないです」
「ママ……」
「それとピザはやめておきましょう。今日はあまりお腹空いてないみたいです」
それだけ言って、フローリングの横に寝転がる。
ひんやりとした床が頬に触れる。
気持ちいい。
床の冷たさは空っぽの心に、静かに染み渡っていきます。
……このままどこかに沈んでしまいたい。
もう二度と浮き上がらないほど、深くに。
カズくんを信じて待つ。
そう決めたのに、心はどんどんすり減っていきました。
いないとわかってるのにリビングを覗き、お帰りの声を期待してしまう。
ぶっきらぼうだけど、いつでもわたしを見てくれていたカズくん。
あの優しい瞳に、わたしを映してくれるやさしい人。
でも、それはもう過去になってしまった。
期待と落胆を繰り返して、どんどん心が抉られていくのを感じます。
演技のリテイクも、最近は目に見えて増えてしまいました。
でも速水さんも音監さんも怒りません。
「シナリオチェックも押してるから大丈夫、発売延期かな」
なんて笑いますが、本当は困っているに違いありません。
みくりんだって最近はいつも以上に気遣ってくれます。……きっと、元気がないように見えるのでしょう。
でも人に気を遣われるのは、あまり好きじゃありません。仲のいい人に気を遣われてしまうと……どこか距離を感じてしまうから。
心配してくれる人にこんなことを思うなんて、わたしは冷たい人です。
あまつさえ、こんなことを考えてしまいます。
――本当にわたしのことをわかってくれるのは、カズくんだけなんだ。
そんなことを考える自分が嫌い。
人に優しくしてもらって、いない誰かを想うなんて虫が良すぎます。
そうして考えれば考えるほど、どんどん自分のことが嫌いになっていきます。
「わたしはやっぱり、陰キャの白なめくじだったんです」
「なに言ってんのママ。ほら、寝るならベッドに行こうよ?」
「しばらく、放っておいてください」
「そんなこと言わないでよ、ね?」
「……」
「お願いだよ、ママ……」
寝転んだわたしの目の前に――心配そうなブルームの顔。
「……あれ?」
わたしは体を起こし、目の前に映るブルームの姿を眺める。
「あれ? ボク、実体化してる?」
ブルームも不思議そうな顔で自分の体を眺めまわす。
「ねえ、ママ。これって、もしかして……」
――その時、部屋にチャイムが鳴り響きました。
いてもたってもいられず、玄関に向かいます。
心拍数が上がり、頭がくらくらする。
もう頭の中は空っぽ。
考えるよりも早く、その姿を見たいから。
「カズくん!」
ドアを開けると――頭に雪を積もらせたカズくんが立っていました。
「あ、ああぁっ……」
自然と涙が溢れ、その姿にしがみつく。
「カズくん、カズくんっ!」
手は握り拳を作り、胸に向かって打ちつける。
「どこに行ってたの、なんで連絡くれなかったの ずっと心配したんですよ!?」
振り下ろす拳は止められず、嗚咽も止められない。
せき止めていた感情が一気に溢れ出す。
そしてカズくんはなにも言わず、わたしを受け止めて――
『……痛えよ』
手首を握られ、行き場を失った腕がだらりと垂れる。
『お前が、紗々か?』
表情を変えず、わたしを見下ろす眼。
そこに映るわたしの姿は――ものめずらしい髪色をした、赤の他人だった。
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