負けヒロインは親友の彼女とデートする

春槻航真

私だけど私じゃない

私は所謂負けヒロインだ。私の好きな人は学校で1番の親友と結ばれた。そして今日、私は親友の彼氏と待ち合わせをしている。2人で歩くなんてまじサイコー!ってなるのが普通だけど、私の心中は穏やかではなかった。


「遅いよ優斗くん!」


 待ち人多き時計台の下。息を切らして走ってきたのは、私の好きな人。名前は優斗っていう。名前の通りとても優男で、面長のイケメンだ。


「ごめんごめん。ちょっと手間取っちゃって」


 優斗くんは紙袋を持ってきていた。麻の袋からはほんの少し黄色い花びらがちらりと見えていた。もしかして、優斗くんってちょっとキザ?それを私に渡したり……んなわけないか。


「詩織は、いつから待ってた?」


 しおりと言われて少し遅れて反応してしまった。


「え?あっあー5分前くらい?そんな待ってないよー」


 私はできるだけにこやかな顔をした。こんな大したことないことでも申し訳ない顔をする優斗くんが、やっぱり良い人だなって嬉しくなった。


「それじゃ、行こっか?」


 2人して、駅から山の方向へ歩いていく。優斗くんの隣を歩けるなんて、2ヶ月前の自分では想像つかなかった。こんなことじゃないなら、もっと心動くのに。私はそう思いつつも、少し膨らんだ胸を揺らしつつ駆け足で歩いていた。


「久しぶり、だね」


 優斗くんはどこか遠慮した顔をしていた。こちらを伺っているようなおどおどした様子には、私もよく理解できた。爽やかな赤色のカーディガンが厚手のコートの下でチラ見せしていた。こんな私服を着てたんだ。私は知らなかった。


「久しぶり、だよね?」

「2ヶ月ぶりだから、久しぶりだよ」

「それもそうだね、あけましておめでとうございます」


 なるべくにっこり対応した。いつものように対応すると、目つきが悪くなってしまう。そんなことはないのかもしれないが、私はいまだに少し気にしてしまうのだ。


「初詣っていけた?」


 優斗くんはまだ少し遠慮した声色だった。何を心配しているのかととぼけるほど、私は鈍感ではないが。しかしわざわざ指摘するのも野暮だ。


「いけてないー。お正月はずっと家にいたからさ」

「あ、やっぱりそうだったんだ」


 少しだけ開く間。こんなに無口な人だったのだろうか。学校では明るい笑顔を振りまいているイメージだったが、もしかしたら付き合ったらこんな感じなのかもしれない。


「それじゃあさ、お参りしてからいく?」

「近くにお寺とかあったっけ?」

「小さい神社ならあったよ。何の神様祀ってるは知らないけど」


 にって笑った。やっぱり優斗くんはかっこいい。そしてちょっとずつ、緊張が解れてきたような気がした。


「それじゃ、歩いていこっか」


 そして、優斗くんとの生まれて初めてのデートに私は繰り出したのだった。







 駅から目的の神社までは徒歩10分くらいだ。私は少しの罪悪感を感じながら優斗くんの隣を歩いていた。嬉しい気持ちも楽しい気持ちも勿論あるが、心配も負い目もある。親友の彼氏なのだから気にすることも多い。ただそれだけじゃなくて、そもそも話・を・合・わ・せ・な・け・れ・ば・い・け・な・い・のだから大変である。


「詩織はさ、志望校とか決めた?」


 はいいきなりきたね。何も考えてないのが答えだ。将来のことなんて考えられるわけがない。高校2年生の1月で、センター試験まで1年を切っているが、まだ1年も残っているとも言えるだろう。つまるところ何も考慮しておりません!ごめんね!


「うーん、N大かな?」


 なんてこと回答できるわけがなかろうて。私は慣れないふふふ笑いで切り行けることにした。私の親友なら、こんなふうに回答するだろう。多分。


「N大!?」


 結構有名な大学だぞ?文句はないだろう。N大はこの辺だと五指に入るくらいの有名国公立だ。これなら怒られないだろうと思っていたのだが、優斗は目をまん丸にしてからこう苦言を呈した。


「N大って志望低くない?」


 え!?そうなの!?私の知っている数少ない有名大学をあげたのに、バッサリ切られてしまった。


「詩織だったら余裕でI大とかいけると思うけど、N大に何かやりたいことあるの?」


 え?え?なにそれ賢い人らの中ではそんな評価なの!?だめだこれじゃあ幻滅されてしまう!!N大……N大に何の学部があったっけ?パッと出てきたのは文学部と経済学部だったけど、多分他の大学にもあるよね?


「や、雰囲気いいなって。去年オープンキャンパス行って、活気あったから……」

「そうだっけ?思ったよりキャンパスが狭かったし学問的にももうちょい上の大学狙いたいって去年の夏は言ってたよ」

「そ、そうだっけ?」

「ほら、音木さんと行った時に言ってたよ。もしかして気が変わった?」


 そんなこと思っていたのか。私は私の新事実に驚いていた。


「まあでも、確かに今の時期ならもっと上目指してたほうがいいかもね」

「そうそう、志望校なんて後からでも下げれるんだし」

「だ、だよねー!因みに優斗くんは変わってない感じ?」


 ここは私の工夫ポイントだ。ただ志望校を聞くだけなら前に話したと言われる危険があるが、この尋ね方なら……


「そうそう。T大の工学部!!」


 と優斗くんの回答を聞くことができる。馬鹿なりにも頭を使って生きているのだ。


「昔はもっと物理の基礎研究に進もうと思ってたんだけどさ、ちょっとやりたいことができた」

「どんなこと?」

「自動運転の技術向上。それを基点とした自動車の安全性向上を研究テーマにしたいなあって。将来教授の道に行くかメーカーに勤めるかはわかんないけど、制御動力学専門に設計を学びたいなあって」


 優斗くんは可愛いのほほんとした雰囲気とは裏腹に頭がいい。そういうちょっとギャップのあるところも好きだ。でもその内容は、馬鹿な私には難しい。やはり親友の方がお似合いなのだろうか。


「そ、そっかあ」


 私は少し仰け反りつつ、他の話題を探した。勉強の話はすぐにボロが出てしまう。私が学業に専念してこなかったせいだから自業自得なのだが、まさかこんな形でその罪を背負うとは思わなかった。


「あっ、あそこに焼き芋売ってるよ!!」


 もう初詣の季節は半月前に終わっていたものの、神社前の参道には未だに屋台が並んでいた。


「たこ焼きとかりんご飴とか売ってる!」

「小さい神社なのにあるんだね」

「ねー!ちょっとなんか買ってこようよ!」


 目の前の信号が赤になったので、私は駆け出そうとして止まった。馬鹿でも運転ルールは守るのだ。


 しかしそんな私に向かって、一台のバイクが突っ込んできた。車にぶつかって上手く曲がり切らなかったのか、交差点から歩道に乗り上げてきたのだ。


 全力で向かってくるバイクに、私は棒立ちになってしまった。バイクの赤色の車体が目に焼き付いて離れなかった。棒立ちになった私を救ったのは、優斗くんだった。


 ガッと腕を掴まれ、ぐいっと優斗くんに引っ張られ、ギュッと抱きしめられた。間一髪でバイクから避けることができたけれど、私は胸のバクバクが止まらなかった。バイクはそのまま植木に激突し、周りは騒然としてしまった。


 私はギュッと優斗くんの服に掴まっていた。優斗くんは肩を震わせて、バイクをギロッと睨んでいた。凄い形相だった。いつもの優しそうな彼の顔からは想像ができないくらい眉がひん曲がっていた。そして、大丈夫かと落ち着かせるように、背中をポンポン叩いていた。それが少し嬉しくて、少し引け目を感じて、何より申し訳なくなった。






 神社にお参りを終わらせてから、いよいよ今日の本題だ。このデートの時間も、そろそろ終わり。先ほど食べた焼き芋の甘さが舌に残っていたが、歩くたびに皮の感触が蘇ってくる気がした。


「あれからここにはきた?」


 優斗くんは優しく問いかけてきた。まるで私に言われているような気がした。


「きてない」

「そっか」

「……まだ私は、現実が受け入れられてなくて」


 少し坂道を登っていく。寒く感じたのは標高が上がったからだろう。断じてそうだ。


「そ、そうだよね……」

「……だって、まさか目が覚めたら冬休みだったなんて……」


 私は言葉を濁した。


「11月だったもんね。事故にあったの」


 坂道を登り切ったところで優斗くんは呟いた。その通りだ。11月の中頃、東京の大学へオープンキャンパスに参加していた伊沼詩織いぬましおりは、乗っていた高速バスの事故によって深い眠りに入ってしまった。目を覚ましたのは12月26日。つい3週間前の話だ。


 石畳の上を歩きながら、桶に水を汲んだ。


「あ、それもつよ」


 重たいと思われたのだろう。桶を軽々しく持つ優斗くんは、とても頼もしかった。そして慣れている手つきだった。


「もしかして……優斗くんはここにきたことあるの?」


 私の質問に、優斗くんは淀みなく答えた。


「あるよ。詩織が目を覚ました報告もしたし、後詩織の替わりに四十九日にも参加したから」


 はっきりとした答えだった。それがとても嬉しかった。私は負けヒロインなのに、好きな人からこうして大切に思われているなんて、身に余る幸福だった。


 だからこそ感じる罪悪感に、私の胸はざわつき続けていた。なんでこんな、ひどい仕打ちをするのだろう。


 2人で数あるお墓を抜けて行き、とある人のお墓の前で止まった。私も初めて見たそれは、出来立てらしくピカピカ光っているように見えた。お墓に人が入るのは四十九日だから、本当につい最近なのだろう。そしてこの時、私は痛感した。私・が・死・ん・だ・こ・と・をこの身を持って認識した。


 私のお墓に自ら手を合わせた。そんな人、この日本で私くらいだろう。


「音木さん、詩織が来てくれたよ」


 そう言いつつ水を墓にかける優斗くんは、まさか音木さんが目の前にいるとは塵ほども思っていないだろう。私が優斗くんの立場でもそう思う。でも、現実は不可思議で非情なのだ。


 私は、つい2ヶ月前まで音木弥虹おとぎやこだった。パーマをかけた茶髪を揺らしつつ、バスケに打ち込む普通の女子高生だった。伊沼詩織を親友に持ち、いつも2人でご飯を食べたり一緒に家に帰ったり休日遊んだりして過ごしてきた。私は間違いなく音木弥虹だった。


 優斗くんは高1の時からクラスメイトだった。詩織には2年生になった時初めて紹介した。その後私と優斗くんとの仲があまり進展しないうちに、詩織と優斗くんが付き合い始めたのだ。私はそれを聞いて少し塞ぎ込んだりした。好きな人と結ばれない恋を知り、私は一歩大人になったのだ。そして今は、詩織と彼の仲を暖かく見守っているのだ。


 それが、2ヶ月前までの話。


「久しぶり、だね」


 私は私にこう呟いた。墓の名前にはしっかり【音木家之墓】と書かれてあった。幻ではなかったのだ。


 2ヶ月前のあの日、東京からの帰り道で事故は起こった。10台が巻き込まれる玉突き事故の大惨事に巻き込まれ、そのままバスは崖へと落ちてしまった。この事故で多くの人間が亡くなった。私も、亡くなった。


 崖から転落していく時のことはいまだに覚えている。ああ、私は死ぬんだと思って、隣にいるはずの詩織のことも忘れて走馬灯が蘇ってきていた。1番強く思った後悔は、優斗くんに告白できなかったことだった。


 そして目が覚めたら、私は伊沼詩織になっていたのだ。


「詩織、線香」


 優斗くんにそう言われ、促されるように煙の出た線香を供えた。優斗くんは菊の花束を置いてくれた。そして2人して手を合わせた。寒空の下、紅色の唇を萎ませながら首を下げた。


 理由わけは知らないし、誰も信じてくれない。でもこれは事実だ。私の魂は伊沼詩織にある。目を覚ました日からずっと、私音木弥虹は伊沼詩織として生活しているのだ。そして肝心な私の身体は、もう火葬して埋葬されている。


 もしもこれが神様の仕業だったら、なんて意地が悪いのだろう。私は負けヒロインなのに、親友の彼氏なのに、親友に成り代わって生活をしているのだ。詩織が受ける予定だった寵愛を全て、代わりに私が受けているのだ。なんて卑怯で卑劣な女なのだろう。


 それでも私の想いは複雑だ。何故なら彼の愛情は、私に向けられていない。外・側・の・詩・織・に・向・け・ら・れ・た・も・の・だ・。当然だ。優斗くんは詩織の彼氏なのだ。私に付け入る隙はないのだから。


「またくるね……」


 私はそう言って、頭を上げた。誰に向けての言葉なのか、私自身もわからなかった。詩織がここに眠っている保証だってない。もしかしたら魂だけどこか彷徨っているかもしれないし、明日には私の方が消滅しているかもしれない。


 優斗くんがギュッと肩を寄せてきた。嬉しくって、辛くなって、幸せだけれど負い目を感じて……感情が忙しなく動いて、私の心にまとわりついてくる。それでも優斗くんにすら相談できず、私は詩織として生活している。


 もういっそ根っからの泥棒猫なら、こんな悩みなんてしないだろうに。揺れ動く感情を捕捉できないまま、私は親友の彼氏に肩を抱かれていたのだった。

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