水筒
浩美さん
水筒
私は二年生のクラスが好きになれなかった。嫌いなわけではない、ただ物足りなかった。一年生のクラスが恵まれていたと分かったのは新しいクラスが始まってすぐの事だった。その何もかもを物足りなく感じた。気持ちが満たされない。たった一杯の牛丼で涙を流したあの頃、気持ちだけはいつも満たされていた。心の底から楽しかった。
思い出は美化されるなんて言うが、私の二年生の思い出を美化したとこ
ろでたかがしれている。一年生の時のそれとは比べものにならなかった。
いつだったか、物事を楽しめない原因は全て自分にあるという話を聞いた。まったくその通りだと思った。この一年を楽しめなかったのは過去に囚われて今を楽しめなかった私が原因なんだ。クラスのせいじゃない。
でも、一年生の時楽しめたのはクラスのおかげだった。
何だか心が干からびていくような心地が日に日に増していく、そんな一年間だった。砂漠の中を宛てもなくうつむきで歩き続ける。少しでも前を見て歩いていれば転ぶことも無かっただろうし、少しでも横に目をやっていればオアシスなんてすぐにでも見つかっただろう。干からびてしまう前に。
何故そうしなかった。そのくだらないプライドが今まで何の役に立った。
でも、そのくだらないプライドが自分の根っこの部分だと、もう一年生のクラスで気付かされていた。
文化祭は全く気乗りがしなかった。まとまらない意見、はっきりしない方向性、何でみんなそんなに楽しそうにできるんだろうか。
その気持ちは文化祭当日になっても変わらなかった。与えられた仕事はこなし、人手が足りないときは手伝ったりもしたけれど、何も仕事のない休憩時間は他のクラスを回るでもなく、一人ぼっちで水筒のお茶を飲みながらただぼうっとしていた。
ふと、去年の、一年生の時の文化祭を思い出す。クラスの出し物が忙しくて休憩している暇なんてなかったあの日、私は笑っていた。汗を流して団子を焼いて、喉を潤らしてお客を呼び込んでいた私。
だけど
だから心は今よりよっぽど潤っていた。
水筒の中を覗くといつの間にか空になっていた。いくら飲んでも満たされない。 底が抜けていたのか、そもそも何も飲めてなんかいなかったのか。
空になった水筒をロッカーに放り込んで、またぼうっとした。
三学期、私は水筒を使わなくなっていた。別段理由はない、しいて言うなら面倒になったのだ。水分補給は行きのコンビニか学校の自販機で適当に済ませていた。
この頃から、或いはもっと前からかもしれないがいよいよ私は自分がダメになっていくのを感じた。勉強に活力が見出せず、成績は下がる一方。部活でも使い物にならくなっていた。
日が落ちて、星も月明かりさえもない広い砂漠に立ち止まって、前にも後ろにも動けない自分という枯れ木を嘆いた。今を生きる力を失くした哀れな枯れ木を。
いよいよ二年生も終わり、受験生になる生徒を鼓舞しようとしゃべる先生の言葉が渇ききった心に突き刺さる。ボロボロと崩れ落ち、残ったのはくだらないプライドと空っぽになった人の皮。
結局私は三教科分の単位を落とした。その場はプライドで笑って見せた。
春休みには本当は京都に行きたかったのだけれど、もちろんそんな余裕はない。部活もあるし補習もある。終了式の日もその関係で慌ただしくなった。教室は最後に出た。もう忘れ物がないか確認のためにあまり使っていなかったロッカーを開けた。中には水筒があった。
その水筒は文化祭の時、私が放り込んだものだった。四か月近くロッカーの中に放置されていたそれは、カラカラに渇いていた。哀れな水筒に今の自分を重ねた。
春休みに入り、毎朝早くから部活に行く日々が続いていた。その日は先日見つかった水筒にお茶を入れて持ってきていた。
いつものように体育教官室の前を通り過ぎると、後ろから私を呼ぶ声がして、補修の日付を間違えたのかと思って慌てて振り向くと、教官室の方から先生が何やら楽しげな笑みで手招きをしていた。何かと思って覗いてみると、そこには一年生の時の担任で、去年別の学校へ赴任していった先生が来ていたのだ。
私の顔は自然と笑ってしまっていた。その先生の何かいい事があればそれは全て自分のおかげである」とでも言っているかのような、力強くはっきりとした笑顔に。何を話したかははっきり覚えていないけれど最後、
「勉強頑張ってください」
「はい!」
変に改まった言葉に威勢よく二つ返事をしたのは覚えている。
体育教官室を後にして、私はリュックの横に挿しておいた水筒から一口お茶を飲んだ。少しだけ潤った気がした。
ああ、負けてられん。あの一年が楽しかったのは私のおかげもあったんだ。だけど今の私じゃあ話にならない。次の一年、だれでもいい、私のおかげで楽しかった、と言わせて見せようじゃないか。
心なしかハリも戻って来た。
水筒 浩美さん @Tanaka-hiromi
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