知らなくて良い事

 実と杏子がどこへ行ったのかはGPSで分かるが、それでも戦力がバラけてしまったことに私はどうしても不安になる。

 その不安を察知したのか、蒼が私をみて話しかけてくれる。


「おい有里、どうせもう眠れないだろうから、あの手帳に書いてあった事とか、俺たちが必要になるであろう知識を寄越せ」


 チャイナドレスを着ているともはや女性にしか見えない蒼に、違和感はない。


 私が物心ついてからずっとこの調子で、女扱いされるとキレるくせに、何度やっても楽しそうに、服を少しだけ手直ししては、男性用女性用という表示を気にすることなく着こなす。私はその鮮やかな緑を無意識に甘えるように少し摘んで、話しだす。


 大体は経営に必要な簿記の知識だったり、本を買えばある程度は分かるような話ばかりだった。

 だが、その分かりやすさは群を抜いていると感じていた。

 蒼も同意見だったらしく、時折感嘆の呻き声をもらしながら聴いている。


「そういや、杏子がどうやって作られたのか、という記述はされていなかったか?俺にも作れるなら作ってみたい」


 私が少し冷たくなった目で蒼を見ると、蒼は、意味がわからん、と言わんばかりのポカンとした顔をしていた。


「なんでそんなに怒っているんだ?」


 私は努めて感情的にならないようにしながら、口を開く。


「杏子は物じゃない」


 思考回路が子供の蒼だが、ちゃんと大人のように畏ることも出来る。

 いつもはすぐに謝るのだが、今日はどうしてだか何も言ってこないで、俯気加減で頭に片手を乗せて、考え込んでいる。

 脳内の話し合いが済んだようで、蒼は話だす。


「いや、そういうことじゃないんだ有里。

 彼女は、もともと人間・・・・・・だし、俺はどの人間のことも、何匹と数えることだってある。他の人間が繊細なだけだ。

 俺はそもそも、誰であろうと差別をすることはおかしい、という心情のもと、この仕事をしているんだ」


 驚くことは山ほどあったが、まずは最初の疑問を聞いてみる。


「杏子が人間だったとはどういうことだ?」


 蒼はやれやれと首を振る。


「日記の中に、手足を吹き飛ばされてしまった少年がいただろ?」


「ああ、お爺様が手術して治った、というあれか。確か戦争中だったっけ」


 昔は地球内で暮らせる所を探して、そこを色んな国が命がけで戦って自国のものにせんと息巻いていた時代があった、って言ってたっけ。


 私が続きを促すと、蒼が言った言葉に私はまた翻弄されてしまった。


「あいつ、その少年だよ」


 驚いて動けない私を見て、蒼は軽く笑った。


「緑色の目が溢れ落ちそうだぞ」


「なん……で……何で断定できるんだ?」


 蒼は悲しそうに私を眺め、真っ直ぐに言葉を発した。


「お前だって、薄々気づいていたんじゃないか?」


 私は虚を突かれて黙ってしまう。


(そうだ。私は薄々気付いてた。お爺様があれほどまでに杏子に入れ込むわけを。

 どうしてか、彼女が痛みで動けないほどになっていったときに、見た、あの傷口で、何もかもが信じられなくなったんだった)


 そうして私の意識は過去に戻される。


 お爺様!と叫んで、胸に飛び込んで行こうとしたら、杏子に抱き上げられた。

 今と全く変わりない姿で、杏子はそこにいた。

 従順すぎると噂されるほどの違和感とともに私や実の傍にいてくれた。


「全く、元気なのは良いことだけど、一郎様は今だいぶ疲れてらっしゃるのよ。

 元気になったらみんなで、今年出来なかったお誕生日のパーティーをしましょう?きっとみんな喜んでくれるわ」


 ふんわりと笑う彼女は、実の親代わりだけでなく、私にとっても母親同然の存在だった。


 過去のどこを見回しても、今聞かされた彼女と、私が助けてもらってきた彼女とは一致する。彼女はお爺様が亡くなった時も、父が殺され、茫然としている時も、ずっとずっと助けてくれていた。何より、心の拠り所であってくれた。


「杏子は杏子、だな」


 私がそう言うと、蒼はしたり顔で、決まってるだろ、と言葉を吐き出して、それが何となく可笑しくて、2人でクツクツと笑い合った。


「彼女の性能は載っていたのか?」


 私はコクリと肯く。


「この男の子が得た能力だけど、彼は手足の義足を作ってもらい、そこに、お爺様があの万能の磁石を埋め込んだらしい。その上、手足から爆発のような小さな風を発生させる装置が搭載されていて、それを以て高速移動をしているそうだ」


 今考えると、この条件に当てはまるのは彼女くらいのものとわかりそうなものだろうけどな、と自嘲気味に笑う。


「ただ、言い訳をさせてもらうと、あの実験は失敗で、廃棄した、とお爺様の日記には書いてあった。もちろん日記の隠されていた部分に。

 なのに、どうして杏子の事を身内にも、私たちにも隠す必要ががあるんだ?」


 蒼は、父親のように優しい目つきをして、私を眺めて、言った。


「なんでだろうな」

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