彼女の決意


「斬! 戻れ!」

 言ってもとんで跳ねていく斬には届かない。


「有里、私が協力しても?」


 勿論、と答えを出すより前に、杏子は自慢の力を床にぶつけて、彼を追っていった。

 すぐに見えなくなった彼女。


みのる、お前はこの部屋で怪我の手当てをしていてくれ」


 そう言って、みのるを目で説得する。


 蒼から湯気が立ち上っているような威圧感を読み取り、賢明な皆は2人の男性から遠ざかる。


「僕がいるってのに怪我を隠すってのはどういう案件だ……?」


 今にも爆発しそうな感情を理性で押し留める。


(流石。蒼が居てくれると心強い)


「本当に大丈夫ですから。気にしないでください」


「大馬鹿、何か言ったか?」


 みのるは怯む事なく意地をはった子供のように、ひたすら治療を断る。


 いつも後輩を指導するために、先輩の自分が率先して働いたり、休んだりするんです、と笑っていた、彼のとった行動だと認めることすら難しい。


 いい加減にしろ、とキレた蒼は怪我人相手に全力で拳を握る。必死に答えを探していた私は、喉を酷使した。


「今は仲間割れをしている場合じゃないだろ!」


 そう叫んでやると、一気に部屋の中が静まっていった。

 ジロリと物騒な目で私を見つめてくる蒼。迫力負けなら負けない自信がある。


 しばらく見つめあっていると、蒼が折れてくれた。力を抜いた状態で反省しているようだった。顔をあげた蒼の表情は、喜びがハッキリと現れている。


「お前にはもう、あの日記や星は要らないと思うぞ?」


「その台詞は斬が合流してから言ってくれると助かる」


 苦い野菜を食べた時のような顔になった3人の顔は、希望を描いて硝子の様に輝いていた。


「まあとりあえず、杏子さんの帰還を待つとするか」


「実。何か話したいことがあるんじゃないのか?」


 それでも頑なに喋ろうとしない彼に、しっかりとした疑問が脳内に弾けた。

 もっとも、それは呆気なく、記憶として押し込められた。


「有里! ごめんなさい。他の人達が居るエリアにあの子飛び込んで行っちゃって」


 あいつの持ち物、持ってくれば少しは特定出来たものの、今は手掛かり無しだ。


 杏子さんが悪いわけではないことは一目で分かったため、彼女を目一杯慰めた。

 やっとのことで動き出した彼女は、主人を見失った彼のベットに体を横たえる。


「どこへ行っちゃったのかしら……」


「斬のことだ、大人しくしていたり、私たちを見捨てたり、ということは絶対にしないよ」


 近くに居るはずだ、と解答を出し、私は皆が付いて来やすいようにゆっくりとでも堂々と、部屋を後にする。


「本当に隙はないように見えるが……あいつらどうやって有里の星を見つけたんだ」


 私だって泣いたり怒ったりするぞ、と唸ってやると、皆の顔が和らいだ。


 旅に必要な道具を大至急手配して回る蒼とみのるに圧倒されつつ、おっかなびっくり機械を弄るのは杏子さん。自分には社長は務まらない、と顔を歪めて私の方を見る彼女は泣いているように見えた。彼女の過去、みんなの過去、私はあまり良く周りの事に目を向けていなかったのだと反省した。


「よし」

 蒼が満足そうに言う。傷一つないように見えるみのるの姿から、いつも通りの柔らかさが戻っていた。


「こっちも準備終わったわよ」

 そう言って、杏子は重労働を終えた人とは思えない溌剌とした元気を剥き出しにして笑っている。


「やっぱりロープにも小細工がしてあったわ。どこまで外道になれば気が済むのかしら、政府のやつら」


 怒り心頭な彼女の話を聞いてみると、どうやら、ロープに大きく、でも出発後の衝撃までは耐えられない位のギリギリの切り込みがあったらしい。


 気付くこともなく、この場所から遠く離れてから、ロープがいきなり切れる事態になっていたわけか、と私は考えてゾッとした。


 いくら自分の位置が機械によって分かるとはいえ、全く作法を知らないところでいきなり一人ぼっちになることは遠慮したい。宇宙には様々な文化を持った人々がいる。

 『遠くへ行きたいのだとしたら、その土地のルールをたたき込んでから行くんだ』というのは祖父が私に教えてくれた言葉のうちの1つだ。


(おじいちゃん、ありがとう。絶対忘れない)


 私は日記をそれこそ丸暗記するレベルで読み込んである。それなら、本を失った、とはいえないのだと、私は自分に言い聞かせていた。


「斬……今お前はどこにいて、何をしているんだ?」


 思わず呟いて、慌てて口を閉じ、皆の様子を注意深く観察する。誰も聞いていなかった、と分かり、私はようやく力を少し抜いた。


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